ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

人見絹枝

2024-01-16 22:52:56 | テレビ番組

最近、人見絹枝に興味があります。

と言っても、今では知る人も少ないだろうなあ……。女子陸上黎明期の暁の星☆とでも言うべき存在で、日本最初の女子オリンピックメダリストであります。1907年生まれで、1931年に24歳の若さで世を去っている天才アスリートーーふと、どこかで見た写真で、「あ、この人いい顔してるなあ」と思ったのが、私が人見絹枝に興味を持ったきっかけでした。

1928年の第8回アムステルダムオリンピックで、「死の激走」と言われた800メートル走で銀メダルを取った写真が残ってますが、この感動的な場面も、もう百年近くも前のこと。人々の記憶からも、彼女のことはすっかりこぼれ落ちていると思っていたのですが、この間、NHKのEテレで「偉人の年収」というどストライクな番組があり、人見絹枝のことを取り上げていました。

     こういう感じの人が「人見絹枝」に扮してました。この人、誰?

男性なんだろうけど、髪型とか横に留めたピンとか、人見絹枝をカリカチュアしてて、思わず、笑ってしまいました。白いブラウスに、エンジ色の胸元のリボン……百年前の日本女性の洋装というのは、こういう感じだったんでしょうね。

ちなみに、本物の人見絹枝は、こんなルックスの人。170センチの長身だったといいますから、150センチそこらが平均的身長だった1世紀前の日本女性の中では、目だっていたでしょう。そんな彼女が生まれたのは、岡山市福成の農村。家は農家でしたが、進歩的な考えを持つ両親の意向もあり、小学校を卒業した後、岡山県岡山女学校に通うことに。当時は、県下の才媛が集まる難関だったようです。

女学校時代は、テニスに熱中していたというのですが、足を踏み入れた陸上の世界でも、いきなり日本一、世界一の新記録を出すという天賦の才能を発揮しました。そんな彼女は、19歳の時、たった一人の日本人として、スゥエーデンのイェーテボリで行われた万国女子大会に出場しますが、そこでも最優秀選手に選ばれるなど、ヨーロッパの人々を驚かせました。

それにしても、この時代、たった一人で、ヨーロッパに乗り込んだ彼女。山口の下関から船で大陸へ渡り、シベリア鉄道でモスクワを経由して、スゥエーデンへ向かうのですが、その旅路は1か月という長さです。

これだけでも圧倒されてしまうのですが、当時の日本はナショナリズムの高揚が激しく、今のオリンピック選手など比べ物にならない、精神的重圧があったに違いありません。

実は、私が彼女に惹きつけられたのは大正モガの雰囲気が残る時代の面白さや、明治の女性の強さだけでなく、彼女の文章を読んだため。

実は、人見絹枝は、国語の成績が大変良く、文章を書くのが巧みでした。だから、陸上の練習をする傍ら、熱烈にスカウトされた大阪毎日新聞社で女性記者としても働いていたわけ。TVでは、絹枝の物まねをしてる人が、レトロモダンな部屋で、木の机に向かい、腕には黒いカバーを脚絆のようにつけてましたが、この時代は、本当に、こんな感じだったんだろうなあ……。

絹枝は、アムステルダムで金メダル候補だったにかかわらず、惨敗し、今まで一度も走ったことのない800メートルに出場して、雪辱を果たすしかなくなります。

残された日記には、彼女が重い心を抱きながら、レストランに入り、楽曲を演奏しているロマの人々に、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」を演奏してくれ、と頼む場面が描かれています。しかし、その文章の鋭さや、ひしひしと胸に迫ってくるような心情描写。

思わず、これが書かれたのが、もう百年近くも前のことだということを忘れてしまいそうなほどに、絹枝の絶望や、力をふり絞る決意が迫真力を持って迫ってきます。

結局、何度もの渡欧の過労や激務のせいもあって、彼女は大阪大学病院で、乾落性肺炎のため、亡くなります。あまりにも短い人生や、その肩にのしかかった重圧を思うと、「すごいなあ」と思うと同時に、悲しさも感じてしまうのは、私だけでしょうか?

このマンガ版を買って読みましたが、面白かったです。

   

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ザ・プロファイラー「ビビアン・リー」

2023-10-05 22:06:16 | テレビ番組

月末までに提出しなければならないカリグラフィーの仕事に取りかかっていると、もう夜。🌌

村上春樹は、今年もやはりノーベル文学賞受賞ならず……残念といっても、半ば予想していました。

それでも、世界中でこれだけ読まれている村上春樹にノーベル賞が来ないのは、おかしい、と思ってしまう私です。今回、受賞したノルウェーの劇作家も、高く評価されているそうだけれど、名前を聞いたことのない人。

人気作家には、与えないと決めてしまっているのかな?

そして、9時から見た「ザ・プロファイラー」。今日は、好きな女優の一人であるヴィヴィアン・リーが取り上げられていたので、楽しみに観ました。 

  

インドで生まれ、6歳でイギリスの修道院学校に入れられたことだとか、ローレンス・オリビエとの恋や、「風と共に去りぬ」のスカーレットを射止めた経緯、心の病、悲劇的な死等々の伝記的事実は知っていることばかりだったのですが、岡田准一さんや、立川志らくさんなどコメンテータの発言が面白かったです。

立川さんいわく、「女優としては評価するけど、こういう繊細でわがままな人は、そばにいて欲しくないタイプ」という言葉には、思わず同感。

「思いこみだけで生きている部分が大きい人」という評にも、「う~ん、そうだなあ」とうなずいてしまいます。

ビビアン・リーという女優は、情熱的で繊細で、破滅型という言葉を地でいっているようで、人から見て非常にわかりやすいキャラクターなんですね。そこに、誰にもないビビアン独特の魅力があったのでしょうが……。

彼女は、1967年、53歳で突然の死を迎えますが、岡田さんが「尖って生きていった人だけど、それが尖り切った先に、ほぐれて円熟味を増すまで、もっと彼女の先の人生を見てみたかった」という意味のことを言っていたのには、深くうなずいてしまいました。いいことを言ってるなあ。

翻訳家の鴻巣有希子さんも、名前だけは良く知っていて、訳書を読んだ記憶はないのですが、雰囲気ある外見やコメントの切り口に、ぜひぜひ読んでしまいたくなりました。

しかし、コメンテーターの中で、女優の大地真央さんの言葉や表情が一番表面的で、深みがないように感じてしまったのは、私だけでしょうか? 

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ボンジュール! 辻仁成のパリごはん

2022-12-24 19:37:27 | テレビ番組

辻仁成のパリごはん、を見る。2021年の冬の再放送のもの。

いつ見ても、面白いなあ~! 辻仁成さんのファッションや家のインテリアが洒落ているのも、見ているだけで楽しいのだけれど、

彼のトークがとっても、いい!

   

作家にして、ミュージシャンというだけでも凄いのに、この料理の腕前を見よ。 シェフの作る料理ではなく、肩の力を抜いた家庭料理というか、ビストロ風の手作りご飯が次々登場するのだが、その出来栄えが繊細で、いかにもおいしそう。

ただ一人の家族である息子さんの向けての、愛情こめた料理というわけなのだが、ただいま彼は反抗期なのだそうで、すれ違いの日々なのだとか……う~ん。

それでも、自分を「父ちゃん」と言い、日々、忙しく健気に過ごす辻さんの姿が、見ていて哀感あふれて、なおかつ可笑しい。

  

この番組で、辻さんは18歳になった息子さんが、自分の元から巣立っていく、と認識しておられ、新たな家族として、何とミニチュアダックスフンドの子犬を飼うことに。

「今、僕は62歳だから、この子がダックスフンドの最高齢の20歳まで生きたら、82歳になっちゃう」と言いながら、ちゃっかり飼うことに。やって来た子犬の名は、「三四郎」と名付けることに。

ああ、これからも「パリご飯」を見るのが楽しみ!

私にも、こんなお兄さんがいたら、フランスまでご飯を食べに駆けつけるのになあ~。

という訳で、今宵はクリスマスイブ🎄。 この一週間ほど、身体の具合が良くないのですが、辻さんから、明日へのエネルギ―をもらいましたです。Merci!

 

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TV番組から

2022-10-11 20:24:08 | テレビ番組

一昨日だったか、NHKでローマを紹介していました。

もちろんというか、当然のごとく出てきたのはスペイン階段。

   

こんな感じね。あまりに有名な名所ですが、ここは映画「ローマの休日」の印象的なシーンに使われた場所としても、知られているのはご存じの通り。

アイスクリームをなめつつ、階段を下りてくるヘプバーンと新聞記者ジョーを演じるグレゴリー・ペック。映画はモノクロームだったけれど、そうか……実際はこんな感じだったのか……ヘプバーンのはいているスカートは品の良いグレーだったろうと想像していたのだけれど、実際はイタリアの空そのもののような、明るいブルー!

今では、アイスクリームを食べながら、階段を歩くのも禁止されてるのだとか……昔、ここでジェラートを食べた記憶もうっすらありますが、押すな押すなの、ものすごい人込みで、とても優雅にアイアスクリームをなめられるという、状況ではありませんでした。

さて、番組も、もちろん、「ローマの休日」のことにふれていましたが、そこに現れた、熟年らしき男性。もしかしたら……と思った通り、オードリーの息子のルカ・ドッティさん。

「うわ、すごい」と思ってみていると、ルカさんが広場を歩きながら、オードリーの思い出をぽつりぽつりと語ってくれるのであります。

紺色の薄いジャケットに白シャツ、細身のパンツーーとカジュアルでシンプルながら、洗練されたファッションのルカさん。やっぱり、オードリーの息子さんだなあ。

「母は散歩が好きでしたが、ここを友達としゃべりながら、よく散歩していたものです」とか、

「母はチョコレートケーキを、僕たち息子によく作ってくれたものです」などとに逸話がポロポロ(オードリーのチョコレートケーキの件は有名ですが、一体どんな味だったの?)

そして、次に紹介されたのは、今でもイタリア貴族が住まうコロンナ宮殿。 天井の絵やルビー色の壁が、宝石のように美しく(4Kの映像だから、美しさもバッチリ!)、調度品の素晴らしさともども度肝を抜かれてしまったのでありますが、なんとこここそ、「ローマの休日」で、オードリー演じるアン王女の滞在先であり、最後に記者会見が行われる場所として、使われたのだとか――モノクロームとはいえ、あの壮麗な宮殿は、くっきり印象に残っているのですが、実在のコロンナ宮殿は、こんな風であったのか……。

画面に見る鮮やかな色彩のコロンナ宮殿は、もちろん美しいの一言につきるのだけれど、白黒だからこそ、「ローマの休日」の品の良いおとぎ話の趣を高まったのかも? でも、カラーの「ローマの休日」も見てみたい……とあれこれ想像してしまう私でありました。

 

 

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ボニーとクライド

2022-05-06 19:43:37 | テレビ番組

昨夜、TV番組「ダークサイドミステリー」で、1930年代の有名な犯罪者、ボニーとクライドの特集を観る。とても、興味深かった。

今から、もう90年も前に生きていた彼らだけれど、私がその存在を知っていたのは、一重に映画「俺たちに明日はない」のおかげ。ウォーレン・ビューティーとフェイ・ダナウェイが主演したこの映画は、二十歳の頃、一度観たきりで、その後まったく観ていない(機会があれば、またもう一度見てみたいと思っているのだけれど)。しかし、その時の印象は、今も鮮烈。

何といっても、逃避行を繰り返し、追い詰められてゆくボニーとクライドの二人の姿と、彼らをとうとう見つけた警察が、彼らの車を物陰から待ち構え、無数の銃弾を浴びせるところが、恐ろしく衝撃的だった。 

蜂の巣のようになった車を、そこから転げ落ちる二人の姿――こうして最期を迎えた時、クライドは二十四歳、ボニーは二十三歳と若さの盛りにいた。

しかし、彼らがなぜ強盗・殺人などの犯罪に手を染めるようになったか、その成育歴など、詳しいことはまったく知らなかった。だから、このTVで、二人がテキサス州のスラム育ちであることや、ボニー(彼女は、上の写真で見てもわかるよう、フォトジェニックな容姿をしていた)が当時、一世を風靡したフラッパーや女優になることを夢見ていたこと、その実しがないカフェのウェイトレスでくすんだ日々を過ごしていた時、りゅうとした好青年クライドに出会ったことなどを、初めて知った――なるほど、そうだったのか。

やがて、二人は仲間を加えて、世間の耳目をそばだてることとなるのだが、彼らが夢見たのは、貧しさからの脱出・ひいては自由だったのか?

時は1920年代。アメリカは繁栄の一途をたどりながら、反面下層の人々の不満が高まったいた時代でもあった。そうした庶民の目には、警察という権力をあざわらうかのように、方々に出没して、鮮やかな強盗を繰り返すクライドたちの姿は痛快に写ったに違いない(たとえ、その一方で残酷な殺人を繰り返していたとしても、庶民はそれを直視しようとはしなかった)。

やがて、その残虐さから庶民からも敵視されるようになったボニーとクライドは、車ごとハチの巣のように射抜かれるという最期を迎えるのだが、その後に起こった出来事に、思わず目を疑ってしまった。

彼ら二人の遺体を乗せたままの車が、NYに入った時、人々がわっと車に群がり、クライドたちの洋服の切れ端を切り取ったり、その指を切断しようとしたというのである。

そんな凄惨な現場――見るのも、恐ろしいはずなのでは? しかし、番組中で、犯罪心理学者の女性が、「これはファン心理に近いものだ」と分析していた。良くも悪くも、ボニーたちは、1930年代前半を駆け抜けた、時代のイコン・象徴となっていたのである。

90年もたった今も、伝説として残るボニーとクライド。なぜか? それは、人々の心の内奥には、無法者へのシンパシーが揺らめくせいかもしれない。

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シャーロックホームズの冒険

2021-12-16 21:04:14 | テレビ番組

昨夜、衛星放送で「シャーロック・ホームズの冒険 修道院屋敷」を観ました。

毎週の楽しみにしているこの番組。大学生の時も放映されていて、時々楽しんだなあ、とうろ覚えの記憶にあるのだけど、実はこの番組が製作されたのは1985年。実に、40年近くも前に作られたもの!

しかし、今見ても、実に見ごたえがあります。映像や作品世界が、少しも年を取っていない。並の映画より、よくできてるなあと思わせられてしまうのです。

ストーリーを忠実に追って、TVを観るよりも、背景やイギリスの自然、インテリアをしみじみ見てしまうのですが、主演のジェレミー・ブレットは、シャーロック・ホームズの魂が憑依したかのようなリアルさ。彼こそ、本の挿絵やらなにやらで、人々が描いていたホームズのイメージそのものですね。

  

ほら、こんな具合に。

   

ただし、このグラナダTVが作るホームズ世界は、かなり瀟洒な趣があります。ベーカー街のホームズの下宿など原作ではかなり質素そうなのに、ひとたび映像化されるや、「ここはどこの若様の書斎なのだろう?」と思わせられる、貴族趣味なものに仕上がっているような……。

それも、目を楽しませてくれるのですが。

さあ、今宵もいざゆかん。ホームズと共に、華麗な冒険へ!

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カンブリア宮殿

2020-12-19 02:32:03 | テレビ番組

 

時々、木曜夜の「カンブリア宮殿」を観ている。作家村上龍が、新しいビジネスの在り方を追求している企業家と対談し、かつ、その斬新な市場へのプロモート法を紹介するというものだが、面白い!

高校生の頃、やはり村上龍が様々な文化人と対談していたTV番組「きままにいい夜」も熱心に観ていた記憶があるのだけど、これはまったく別のアプローチ。

先週は、洋菓子メーカー「ユーハイム」が取り上げられていたが、見ていて「へえ~」と思う事ばかり。実言うと、デパ地下に「ユーハイム」のショップがあるのはよく見かけていたのだが、神戸発の大量生産型メーカーとしては、「モロゾフ」や「ゴンチャロフ」に比べると、地味で印象に乏しいかな? という感じだった。

神戸というより芦屋よりだけど、「アンリ・シャルパンティエ」でばかり買っていて、「ユーハイム」のお菓子を買ったのは……なかったような気がする。

ところが、この「カンブリア宮殿」を見て、目からウロコが落ちてしまった! 何と、ユーハイムは、ヨーロッパの一流パティシエが日本に出店する際、そのお菓子の製造を任せるというくらいの技術集団だというのだ。

確かに、ユーハイムの職人たちの作るケーキの素晴らしく洗練されていること――高い技術とハート♡があってこそ、なせる技。

工場を持つ大量生産メーカーにもかかわらず、職人がたくさんいて、手作業の工程が多い事が、ユーハイムの人気の秘密なのだそう。

知らなかった……はっきり言って、デパ地下のお菓子は、「工場でつくられたもの」で一部を除いては、そう美味しくはないと思いこんでいた私。 創業者のドイツ人夫婦のスピリットが100年以上も受け継がれているからこその、非効率のクラフトマンシップという訳なのか。

TVで紹介されていたドイツ風ケーキも素朴な外見で美味しそう……これは、絶対食べてみねばと思って、早速もよりのデパ地下へ行った私。

ところが――素朴そうに見えたユーハイムのケーキの値段が、一個500円近くもするじゃないか。高い!

買うのを諦め、そばにあったゴンチャロフの三袋千円のチョコレートをゲットした私でありました。トホホ……。

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TVの日々

2019-02-13 10:12:03 | テレビ番組
毎日、寒い。出かけるのが億劫だし、ここのところ頭がうまく働かず、活字を読むのが疲れるので、TVを観てリフレッシュしてしいる。
何と言っても面白いのは、「ポツンと一軒家」と「こんなところに日本人」の二つ。

  
数日前、見た「ポツンと一軒家」はスゴーク面白かった! 岡山県のある山深いところに、集落から離れて立つ民家――そこを番組のスタッフが探し当てて行くのだが、他に誰一人通りそうにない(でも、ちゃんとしたアスファルト道)淋しい山道を進んでゆくと、その奥まったところに古い日本家屋がポツン。

その家には、73歳になる女性が一人暮らしをしているのだが、何と女性は生まれてからずーっと、この家に住み続けてきたのだそう。おまけに、その暮らしぶりがスゴイ。 真夜中の3時に、家を出たかと思うと、車を運転して、あの淋しい山道を走らせる(若い番組スタッフだって、おっかなびっくり運転してきたような所なのに)。
こんな草木も眠る頃合いに、どこへ? と思いながら見ていると、やがて車は真っ暗なふもとの集落へ。そして、女性が車を止めたのは、そこだけ灯りのともった平屋の建物で、ここで鯖ずしを作っているというわけ。

女性は、この小さな作業場で、40年も鯖寿司作りのスタッフとして働き続けてきたという。確かに寿司作りだと真夜中から働かないといけないかも。
「車で来られていますが、雪の日などはどうなさるんですか?」と番組のスタッフが訊ねたところ、女性の答えが驚くべきもの。
「その時は、歩きますよ」
「えっ、あの真っ暗な山道を?」
「二時間くらいかかるから、夜中の1時に家を出ますよ」
 さらりと、答える姿に、言葉を失ってしまったのは、私だけじゃないはず。こんな凄い人が、本当にいるんだ……。
そして、「他の兄弟たちは、皆家を出てしまったけど、私は親を見なければならんかったから、ずーっとここにいた」と言い、「外の世界は怖い。ここが一番いい」とも女性は言っていたのだけれど、こんな人生もあるのか……。

そして、昨夜見た「こんなところに日本人」では、イスラエルの危険な国境地域に一人住む日本人女性を特集していた。TV画面に映る土地の映像は美しく、内戦の傷跡などはほとんど見られなかったのだけれど、かの女性が住んでいるのは、旧約聖書に出て来る名前を思わせる村で、その役場で働いている。
いかにも一人で頑張って働いてきたという雰囲気の、中年女性が画面に映し出されていたが、年齢を見ると私と同じ年。
いっそう興味が湧いてきて、熱心に見る。
彼女は、数か月の滞在のつもりで、やって来たのに、すっかりここでの暮らしが気に入り、すでに20年いるのだそう。キブツのメンバーにも迎え入れられ、そこで支給された居心地のいい一軒家にも住んでいる。
独身のまま、村のキブツで働いているというのだが、「ここで骨をうめるつもりです」という女性の表情は、きっぱりしていて、こちらが何か意見を挟むのを拒否するような強さがあった。

「小説なんか読むより、ずっと面白いわ」――これらの番組を観ての感想だけれど、人々の人生模様って、万華鏡のように複雑精巧で、一つとして同じものがない。そのことが、素晴らしい!
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アランドロン インタビュー

2018-09-29 22:04:57 | テレビ番組



 先日、TVでアラン・ドロンのインタビューを見た。 生身のアラン・ドロンの姿を拝見できるなんて、本当に久しぶり!
 今年の初め、パリの高級ホテルで行われたインタビューらしいのだが、この時のドロン、御年82歳――かつての世紀の美男はいかに? と思うや、さすがに廃墟と化していたかも……。 でも、フォロロマーノとかパルテノン級の壮麗な廃墟であることは間違いなし!

そして、あの独特の冷たく輝く青い瞳は、昔のまま。「太陽がいっぱい」のトム役を演じた頃の、不吉な宝石を思わせる輝きなのである。
ナレーションで流れていた「アラン・ドロンは、俳優としても、一人の男としても非常に複雑な人物です」というコメントには、さもありなんという気持ちになった私。

このインタビューでは、ドロンが今までの長い俳優人生を振り返って、その時々の心情を語っていたが、意外だったのは、彼の「演技」というものに対しての深い情熱。
「私は役を演じたのではない、『生きた』のです」とドロンは言っていたが、俳優を天職とする情熱があったからこそ、映画史に残るいくつもの傑作に主演し続けてこれたのだろうと思う。


ドロンの映画は、正直、暗いものが多い。代表作の一つ「サムライ」はもちろんのこと、「暗黒街の二人」、「あの胸にもう一度」(マリアンヌ・フェイスフルがスイスからドイツに向かって、ドロン演ずる愛しの大学教授に会いにいくため、皮のスーツを着て、ハーレーを走らせるシーンが、魅惑的)、「パリの灯は遠く」などもそう。
これは、彼自身の家庭的に恵まれなかった生い立ちのせいもあろうけれど、あの非情な輝きを放つ瞳を作ったのは、17歳で従軍したインドシナ戦線の日々も原因しているのでは、などと私は勘ぐっているのである。

暗黒街とのつながりや、実業家としての成功も有名なドロン――彼の波乱万丈な人生には、数々の女優達との浮名の他にも、「あれ?」と思わせるエピソードを読んだ記憶がある。
それは、もう十年以上も前に読んだ、「砂漠の囚われ人 マリカ」という本。
60年代頃のモロッコでクーデターを起こした将軍の娘だったマリカ・ウフキルという若い女性が、自分や家族が砂漠の中の牢獄でずっと囚われていた日々を回想したドキュメンタリーなのだが、彼女達がついに牢獄から脱走した時、助けてくれたのはアラン・ドロンだったというのである。
彼女は、かつて社交界で知り合ったドロンにモロッコからの電話で救いを求めたのだった――この本で私は、モロッコという国の神秘的にも恐ろしい側面を知ったのだが、かつて知り合った美しい女性を助けたドロンも凄い。

そして、このインタビューを見ていたら、彼の知られざる面がまた一つ明らかに。何と、ドロンは大の愛犬家なのだそう。現在は、大型犬と一緒の一人暮らしだというのだが、彼の別荘の庭には、これまで飼った犬たち35頭のお墓がズラリと並んでいるという――「私の墓も彼らの隣りに作っています」というドロン。
「私は、偽善を憎みます。だから、犬たちを愛しています。なぜなら、犬は裏切りませんから」の言葉には、この華麗な人生を送ってきた大スターの隠された孤独が感じられて、何とも言えない気持ちになった。

犬が好きと知り、ちょっぴりドロンに親近感がわいたのだけれど、できるなら、彼が今一緒に暮らしているという犬の種類や名前も知りたいな。
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世界ふれあい街歩き 冬のパリ―ーマレ地区

2018-02-06 21:16:43 | テレビ番組
 TVで「世界ふれあい街歩き」を見る。NHKの名物番組だが、再放送とかで、今日放映された「冬のパリ―ーマレ地区」も以前見たものだった。
でも映像が綺麗だし、大のフランスファンなので、そのまま1時間見る。

ギャラリーをしている中年女性のスタイルがとっても面白い! 見た目は、いかにもパリの街角にありそうなお洒落で、こじんまりしたギャラリーなのだが、そこに飾られている絵が何とも珍妙! 彼女が大切に飼っている犬(茶色い小型犬なのだが、はっきりした種類はわからずじまい)の肖像画がいくつも壁に飾られているのだ。

その内の一つは、黒いベレー帽に赤い星のついたカストロ(かな?)の肖像画に顔だけ、くだんのワンコになっていたりするのだ。昔のフランスの軍人の軍服を着たワンコもいたりして・・・。
ギャラリーの女性オーナーいわく、「友人の画家に描いてもらった」のだそう。そして、この犬を連れて、さっそうと散歩へ。

次は、シャルトルのステンドグラスが! シャルトル大聖堂の魔法のように美しいステンドグラスは、昔から私も一度実地に見てみたい!と願い続けているものなのだが、なんとこの再現不可能と言われる、シヤルトル・ブルーを作り出した職人さんが登場。

彼が案内してくれた工房の暗闇の中にある青いガラス窓はとても綺麗……しかし、やっぱり、これはシャルトル・ブルーではない。なぜかと言うと、あの神秘的にも荘厳な青は、実のところ、何百年もかけてガラスにしみついた埃や黴やら、ガラス自体の劣化がもたらすものなんだって。

言うなれば、「滅びの美」なのでありました。だから、彼らの作った美しい青も、シャルトル・ブルーとしての輝きを持つためには、800年待たないといけないのだそう――う~ん、世の中には、役に立たないようで面白い雑学ってあるね。

パリの街角を自分も歩いているように、楽しめた1時間。でも、実際に2月に訪れた時は、寒くて仕方なかったなぁ。
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