ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

夕暮れの部屋

2013-06-30 20:23:08 | ある日の日記

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久しぶりに、夕方のひとときを離れの二階で過ごしました。夏至が終わったばかりの、夕暮れは長く、ノエルハーブガーデンに面した窓からは、柔らかな夕陽がさしこんでいます。その中で、私が考えたことは、今年の終わりの12月に開く予定のギャラリー。ここ二年ほどは、二階を使うことなく、一階のみをギャラリーの展示場としていたのですが、12月は、ここも使いたい!

クリスマスらしい、楽しく華やかなものを・・・。作家さんの作品は今まで通り一階に置き、ここは楽しく、肩のこらないものを・・・と今から考えています。

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本の洪水

2013-06-29 21:01:11 | 本のレビュー

今日、食料品の買い出しのついでに隣りの書店に立ち寄った。そして、毎度のことながら、フーッとため息をついてしまう。四方の棚を埋め尽くす本や雑誌、マンガ・・・・それがわーっと周囲から攻めよせて来るようで、圧迫感を感じるのである。そして、次から次へと生まれ、消えてゆく作家たち。平積みになって、「今、売れ線なのかな」と思っても、そのほとんどは聞いたこともない作家たちである。果たして、作家といわれる人たちがこんなにいたかしら?

一昔前より、作家の人口は何倍にも増えたのじゃないだろうか? そう思わざるをえないくらい小説の類は多く、あまりに多さに読む気も失せてくる。それに、最近(といっても、私の場合、三十歳を過ぎたくらいから、そうなのだが)小説が面白く感じられなくなっている。いや、夢中になってしまうものもあるのだが、その「当たり本」の出会える確率が非常に低くなっているのである。

そう思っているのは、私だけじゃないらしく、「本が売れない」「出版不況」という声をよく聞く。文学好きなはずの私でさえ、お金払ってまで読みたいと思える本が、そうないのである。それでも、週に一度くらいは、本屋をのぞいてしまうのは、やっぱり本が好きなんだろうなあ。

最近の本は、表紙もやたらつやつやと光っていて、帯のところの謳い文句が凄い。凄いわりにさほど面白くないというのが、本当のところ。まあ、私がもともとひねくれていて、ベストセラーにランキングされるような小説を面白いと思わないところにも、原因があるのだろうけれど・・・。

いかにも本を売らんかなーーといった販売戦略をしたり、菓子パンやスナックを売るくらいの感覚で本を投げ売りしないで欲しい。書店は、下品な売り出し文句で本を売ろうとするより、立ち寄った人間がほっと息をつける、文化的場所であってほしいのであsる。

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帰らない日へ

2013-06-29 09:34:40 | 本のレビュー

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伊藤マリ子著「帰らない日へ」。これは、私の青春時代のバイブル的本だ。写真で見てもわかるように、すっかりぼろぼろになるまで、読み古されている。高校一年生の時、偶然書店で見つけたのだが、その時深く心を揺り動かされたことは、今も記憶に残っている。

 伊藤マリ子さんは、作家伊藤整の娘。若くして世を去り、残された文章がご家族の手により本となって刊行されたという。前半部分が、小学5、6年生の時の日記、後半が高校生の時書かれたエッセイからなっている。どちらかというと、プライベートな記録を思わせるのだが、ここに見られる研ぎ澄まされた感受性、早熟な知性は、比べるもののない凄さ。

 

作家の娘としても、「素晴らしい」と感嘆せずにはいられない文章力、豊かな才能(彼女は、絵画もよくした)は、当時多感な十代だった私に憧憬を感じさせたものだ。伊藤マリ子さんが高校二年生の時、亡くなった父親を追想して書いたエッセイなど、その知的で、意志の強い雰囲気は、「同じ高校生なのに・・・」とショックを与えられた。昭和二十年代後半に生まれた彼女が青春時代を過ごしたのは、1960年代後半の東京。当時は、東京のような都会でさえ、郷愁を誘われるようなのんびりした雰囲気がある(庄司薫の「赤ずきんちゃん 気をつけて」だって、そうだし)ように思う。

タイトルの「帰らない日へ」は、彼女の死後発見された、紙片の中の言葉だという。「帰らない日へ向けて、私は手紙を出す。如何にそれが長くとも、私はそれを果たさねばなrない。私の中のほの白かった輝きは、それは何ゆえであったのだろうか。さまざまな人が通り過ぎ終えた

今、私は再び怯え、再び望みそして再び力がない。・・・・いつかこの様な日、暑い夜に私は決意を置いた。色濃い本当の人生を歩きたいというのが、本当のところだった。その人生の拙く置いた覚悟の上を私はこれから歩いていく。  考え抜き煮詰めぬき、そして私は覚悟までの人生を終了するところだ。これが本当の私の傑作だった。不在証明の淡い激しさではなく、この人生が、私の凝縮した最良のものだ。それゆえ、怒ってはならない」--なんという透徹した魂の感じられる文章であろうか。

こんな風に生き、こんな風に魂の浮き彫りされたような文章を書く人は、若死にしても仕方がないかも・・・と思いながら、会えるものなら実際に、伊藤マリ子さんにお会いしてみたかったと思う。こんな深い余韻を残してくれた書物に、若い頃会えたことは幸運だったといっていいだろう。

ずうっと時がたって、私が三十代半ばにカリグラフィーを始めた時、カリグラフィーの魅力について書かれた推薦文を読んで、あっと思った。その推薦文を書いていたのは、伊藤礼氏。伊藤マリ子さんの兄である。世の中、どこかでつながっているのかもしれない。

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偏愛の書 その1

2013-06-27 21:16:59 | 本のレビュー

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「移し世は夢、夜の夢こそまこと」・・・私は、江戸川乱歩のファンである。そして、この科白は、乱歩お得意のもの。金田一耕介と並ぶ名探偵、明智小五郎と言っても、国民的人気の金田一に比べて、今いち人気ぶりはさえないような・・・。

だが、世に江戸川乱歩ファンは星の数ほど、といわなくても相当数いるはず。でも、横溝正史ファンほど、堂々と言わないのは、はっきり言って、乱歩って変態の気があるもんね。「孤島の鬼」など、乱歩の中でもベスト3に上げたい名作だけど、ここには同性愛がはっきり書かれている。それも、主人公の青年に年上の医学生の青年が激しい恋情を燃やしたりなどしているのだ。物語の結末近く、地底の洞窟で迷子になった主人公が、恋に狂った医学生、諸戸に追われながら逃げ惑うさまは、何ともいえぬ凄さ。この本が書かれたのが、昭和2年だということを考えると、いかに乱歩が変わった感覚の持ち主かわかろうというもの。

さて、今夜取り上げるのは、「蜘蛛男」。名前がもうすごいでしょ? えぐいというか・・・。せっせと網を張って、獲物を待ち構える蜘蛛のように、これはと思った美女を狙い、殺す男。その殺人鬼と明智小五郎との対決を描いたものだけど、最初から犯人が分かっているので、謎解きの面白さはない。でも、猟奇趣味や舞台設定があまりにも、想像力豊かなので、またたくまに乱歩ワールドにはまってしまうのだ。

大体、デパートの着物を着たマネキンが女性の死体に変わっていたり、お化け屋敷の中のあばら家の中に横になっている作り物の死体が、いつの間にか本物に変わっているなんて、お話臭さもここに極まれりという感じで、一般のミステリにあるような現実感はないのだ。

犠牲者の女優が、連れ込まれた空き家で、壁にかかったポスターの美人の目に部分がいやに生き生きしていると思ったら、それは向こうの部屋から監視している目だった・・・とかある。まったく、次から次によくこんな独創的な発想が浮かぶものである。

もちろん、書かれていることはとてつもなく残酷なのだが、乱歩ワールドは極彩色の絵の具で塗りたくった紙芝居を思わせ、「次は、次はどうなるの?」と手に汗にぎる快感を与えてくれるらしい。ただ、私の最も好きなのは、こういった乱歩趣味のごく薄い、硬質なミステリを読んでいるような気持ちにさせてくれる「死の十字路」である。




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まだまだ

2013-06-26 19:06:12 | カリグラフィー+写本装飾

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ふと、紙ばさみを開けてみる。以前つくった、ギャラリーのメニューやらカード、飾り文字を練習したものなどが出てきた。何年も前のものなのだけど、今でも技術は(悲しいことに)進歩しているとはいいがたい。

カードは折々に世話になった人に贈ったり、ギャラリーで売ったりしたので、手元にはほとんどない。まあ、作ればいいんだけれど、ガッシュ(不透明水彩絵の具)を梅皿に出したり、デザインを考えるのが面倒くさいので、思い立った時にしかできない。ううん、もっと努力しなきゃあ。この夏で、カリグラフィーを始めて8年にもなろうというのだから。

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ファンファンは永遠に

2013-06-25 17:04:09 | 映画のレビュー

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出た・・・フランスの伝説的貴公子、ジェラール・フィリップ。36歳で、1959年、亡くなる。思えば、彼が死んでから半世紀はとっくに過ぎているのだが、映画ファンの間では、「花咲ける貴公子」(ジェラール・フィリップが主演した「花咲ける騎士道」をもじって、こう呼ばれている)として絶大な人気があるらしい。もはや、グレタ・ガルボやマルレーネ・ディートリッヒと並んで、永遠のスタアとしての位置づけみたい。大好きだったジェームス・ディーンが忘れ去られているのを思うと、複雑な気分だけど。

二十代の頃、主演したスタンダールの「赤と黒」、「パルムの僧院」などで彼の魅力は十分発揮されたけれど、私としては「夜の騎士道」やファンファンという騎士に粉した、一連のコメディタッチのものが忘れがたい。美貌といっても、アラン・ドロンみたいな油絵を思わせる強烈さと違って、ジェラールは水彩画のような透明な美しさで、まるで水辺に咲く花のような清らかさも感じられるから不思議。

映画「トロイ」で、ブラッド・ピットと共演したオーランド・ブルームなんか。ちょっと近いかもしれない。だが、ジェラールのような気品の感じられるスターはもういない。南フランスの小さな村の岬にあるという、彼の墓をいつか訪れてみたいと思う。

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2013-06-23 17:29:05

2013-06-23 17:29:05 | カリグラフィー+写本装飾

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月一回、関西のカリグラフィー教室へ通っている。上の写真は、昨日そこで彩色した飾り文字と呼ばれるもの。(左の方は、本当は縦にして表示するべきなのだが、その表示の仕方がわからない。

左の方が、スイスのサンクトガレンと呼ばれる修道院の写本にあったもので、右のものが、フランスのモン・サン・ミッシェル修道院のもの。ヨーロッパ中世の写本は、ため息の出るほど美しいもの。特に飾り文字と呼ばれるものや、装飾された細密画は、高度な技術と忍耐強い作業によって生み出されたものだ。

飾り文字に惹きつけられて、もう何年にもなるけれど自分でも飾り文字をデザインしてみたいと思う。

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ローマン饅頭

2013-06-23 15:21:25 | ある日の日記

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ウーン、このレトロな感じが何ともいえません。パソコンを教えていただいているYさんが持ってきてくださったのですが、これは労研饅頭、もしくはローマン饅頭といわれるもの。労研とは、労働研究所の略(あれ、違ったでしょうか?)で、その昔紡績工場で働いていた女工さんが、短い休憩時間にぱっと食べられて、きちんと栄養補給もできるようにと作りだされたものだそうです。大正時代くらいからあるみたいです。

もともとは、満州にあったマントーを改良して作ったものだそう(Yさん談)。私の書いた短編小説(『ノエルの本棚』所収の「青蛙亭滞在記」より)に、この労研饅頭が出てくるのですが、実は私自身は小耳にはさんでいただけで、その正体については知らぬまま。一度は製造が中止されていたのですが、今でもこの蒸しパンを愛する人のおかげで、また作られるようになったという逸話も。

労研饅頭という、食べ物とは思えないプロレタリア風の名前。ほんのり懐かしい甘み・・・これはそのユニークさとともに郷土食として、誇っていいですね。

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深い生き方

2013-06-22 09:39:25 | テレビ番組

TVで「世界 なぜそこに日本人」を見る。三時間半もあるスペシャル版だとかで、全部は見られなかったのだが、その内の一つ「南米ペルーのスラムで援助をしている女性」が素晴らしい!

地元の人でさえ近寄るのを避ける無法地帯であるスラム--TVのクルーはやっとこさここにたどり着くのだが、荒れ果てた砂地だらけの土地に、バラックやほったて小屋が建ち、ゴミをあさる人や挙句は家がないとして、ゴミの中に寝ている人までいる。凄い光景に、画面のこちら側も日常感覚が麻痺してしまいそうなのだが、くだんの女性がいるというのは、スラムの中でも最も貧しい人たちが住むという山の上の方。そこへ行くには、小型タクシーに乗っていくしかない。

土砂が固まったとしか思えない道なき道、野犬としか思えない番犬たちがそこかしこを歩き回っている。そして、強盗よけのため、雑貨店の店先には、鉄製の檻がはまっていたりする(うーん、店ってのは、お客さんに開かれているはずなのに、こんなところもあるとは・・・。お客さんの言う商品を檻の隙間から手渡すのだそうだ)。

そんな場所に、ちょっと小奇麗な赤煉瓦の建物があり、そこで女性がスラムの女性に編み物を教えていた。もう決して若くない。68歳だとのこと。一流大学を出て、ご主人はWHOという国際機関で活躍する医師・・・そんな特権的な生活を送っていた彼女がなぜ、南米のスラムに身を投じたのだろう?

若い時に亡くされたお母様、そして良き理解者だったご主人の死の責任は自分にあると自責の念を持たれているというのがわかるのだが、それとても普通の人だったら「あの時、こうしていれば・・・」と自分を責めながらも、表面上はごまかして生きようとすらかもしれない。けれど、レイコさん(女性の名前)は違った。

この潔癖性、そして恵まれない人たちに真摯に向き合い「できることを」と行動する力・・・これを見ると「世の中には、なんて素晴らしい人がいるのだろう」とため息をついてしまう。こういった人から比べると、私など何とちっぽけな生き方をしているのだろう。

スラムの女性たちが穏やかで、身綺麗にしているのも印象的だった。家計の足しにするため、せっせと編み物をし(アルパカの高級毛糸からできている)、表情も素朴な美しさに輝いている。レイコさんの生き方を見て思うのは、こうした感動的な生き方ができるのは、やはり裕福に育ち、高学歴の人だということ(もっとも、該当する人たちでも、恵まれた生活を求め、そこに安住してしまう人がほとんどだけど)。

人は、精神的なものにこそ、深く感動するーーそのことを実感した。スラムの山の上から見る街の夜景が夢幻のように美しいのにも。

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夜咲く薔薇は・・・

2013-06-21 20:05:11 | ある日の日記

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夜の離れのテーブルの上に置かれた黄色い薔薇。それだけでは淋しいので、横にカリグラフィーのカードをちょこっと並べてみる。向こうのカウンターの上には、ゴールデンレトリバーの子犬(もちろん、うちの犬ではない)が真っ赤な薔薇を口にくわえているポストカードが飾ったあるのが、小さく見えるんじゃないかな?

この黄色の薔薇。昨日、雨の降る中、車で立ち寄った園芸センターで見つけたもの。その時は小さな薔薇が二輪ほど咲いているだけだったはずなのに、もう一輪の薔薇がゆっくり咲き始める気配。つぼみのは、まだ固く閉じたままだけど、本当に瑞々しい小さな薔薇なのであります。薔薇の夢も夜開くのでせう。(有名な歌謡曲のもじりではない)。

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