ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

深い生き方

2013-06-22 09:39:25 | テレビ番組

TVで「世界 なぜそこに日本人」を見る。三時間半もあるスペシャル版だとかで、全部は見られなかったのだが、その内の一つ「南米ペルーのスラムで援助をしている女性」が素晴らしい!

地元の人でさえ近寄るのを避ける無法地帯であるスラム--TVのクルーはやっとこさここにたどり着くのだが、荒れ果てた砂地だらけの土地に、バラックやほったて小屋が建ち、ゴミをあさる人や挙句は家がないとして、ゴミの中に寝ている人までいる。凄い光景に、画面のこちら側も日常感覚が麻痺してしまいそうなのだが、くだんの女性がいるというのは、スラムの中でも最も貧しい人たちが住むという山の上の方。そこへ行くには、小型タクシーに乗っていくしかない。

土砂が固まったとしか思えない道なき道、野犬としか思えない番犬たちがそこかしこを歩き回っている。そして、強盗よけのため、雑貨店の店先には、鉄製の檻がはまっていたりする(うーん、店ってのは、お客さんに開かれているはずなのに、こんなところもあるとは・・・。お客さんの言う商品を檻の隙間から手渡すのだそうだ)。

そんな場所に、ちょっと小奇麗な赤煉瓦の建物があり、そこで女性がスラムの女性に編み物を教えていた。もう決して若くない。68歳だとのこと。一流大学を出て、ご主人はWHOという国際機関で活躍する医師・・・そんな特権的な生活を送っていた彼女がなぜ、南米のスラムに身を投じたのだろう?

若い時に亡くされたお母様、そして良き理解者だったご主人の死の責任は自分にあると自責の念を持たれているというのがわかるのだが、それとても普通の人だったら「あの時、こうしていれば・・・」と自分を責めながらも、表面上はごまかして生きようとすらかもしれない。けれど、レイコさん(女性の名前)は違った。

この潔癖性、そして恵まれない人たちに真摯に向き合い「できることを」と行動する力・・・これを見ると「世の中には、なんて素晴らしい人がいるのだろう」とため息をついてしまう。こういった人から比べると、私など何とちっぽけな生き方をしているのだろう。

スラムの女性たちが穏やかで、身綺麗にしているのも印象的だった。家計の足しにするため、せっせと編み物をし(アルパカの高級毛糸からできている)、表情も素朴な美しさに輝いている。レイコさんの生き方を見て思うのは、こうした感動的な生き方ができるのは、やはり裕福に育ち、高学歴の人だということ(もっとも、該当する人たちでも、恵まれた生活を求め、そこに安住してしまう人がほとんどだけど)。

人は、精神的なものにこそ、深く感動するーーそのことを実感した。スラムの山の上から見る街の夜景が夢幻のように美しいのにも。