ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

めぐり逢い

2021-04-28 18:06:04 | 映画のレビュー

映画「めぐり逢い」を観ました。1957年制作という、かなり時をへたラブロマンス。

しかし、これが何とも言えず良いのですね。主演が、ケーリー・グラントにデボラ・カーというのも、大人好みかも。

ストーリー自体は、ごくシンプルなもので、国際的プレイボーイにして、アメリカの億万長者令嬢との婚約が決まっている二コラは、アメリカ行きの客船に乗船します。彼がそこで出会ったのは、元歌手の美しい女性、テリー。彼女もまた、NYにフィアンセが待っていますが、この二人、船中で何かとかち合う。

この客船内がなかなか興味深く、私は「昔の大西洋を渡る船って、こんな感じだったんだなあ」としみじみ観ました。今では、お年寄りの動く老人ホームとまで揶揄されているクルーズ旅。 しかし、昔、時間をかけて旅行していた時代は、こんな風に抒情性豊かなものだったんだ……。

共に、自分には経済力がなく、贅沢に慣れてしまっている二コラとテリー。金持ちのフィアンセがいることもあり、互いに距離を置こうと努めますが、どうしようもなく惹かれてしまうわけです。  南フランスで数時間、下船できることがわかった時、二コラはテリーを自分の祖母が住む家に連れてゆきます。  この港を見下ろす高台にある家が、とても素晴らしい!

花々に囲まれた石段を上がってゆくと、祖母の住む家があらわれるのですが、「美しいものを集めるのが好きだった」という彼女は、趣のある家具をしつらえ、どこか浮世離れした空間をしつらえています。黒い服に、白いショールをまとった、小柄な優しい老婦人。おまけに、この家――放蕩孫の二コラが、わざわざやって来るのも当然と思わせられますね。

   

この上品な老婦人とテリーは意気投合し、二コラが「この人が僕の婚約者ではない」と否定したにもかかわらず、彼女が二コラの似合いの伴侶であることを見抜くのです。 

こうした経緯をへて、とうとう互いへの気持ちを胡麻化しきれなくなった二人は、半年後にNYのエンパイアステートビルの最上階で再会する約束をするのですがーー思わぬアクシデントが、というのが大まかな筋。

つまり、エンパイアステートビルを目指す途中、交通事故に会ったテリーは、歩けなくなり、彼女に約束を破られたと自暴自棄になった二コラは、富豪令嬢との婚約を破棄する一方、画家としての道を目指す。紆余曲折をへて、クリスマスの夜、テリーを訪ねた二コラは、彼女が足を悪くしているのを知り、誤解が解けるというハッピーエンドとして、物語は幕を閉じます。ですが、私としてはエンディングはエンパイアステートビルのクローズアップではなく、あの南仏の美しい高台の家で二人が語らいあっているシーンで終わってほしかったという気がしました。

祖母の死後、二コラはこの家を再び訪れているし、多分二コラとテリーの二人は、この地中海が見下ろせる、中庭に囲まれた静かな家で暮すのではないか、という気がするのです。

それにしても、昔の映画はしっとりして良いな……すべてが猛スピードで流れ去る現代の日々からは隔世の感があり、心が安らぐのを感じてしまうのです。

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日々徒然

2021-04-20 08:59:52 | ある日の日記

先日、ディズニーアニメの「眠れる森の美女」を観ていた時、冒頭シーンに出て来たもの。「眠れる森の美女」の物語を本になぞらえて紹介しているのだが、これが写本の体裁を借りているのだ!  わたしのように写本大好きの人間には、とてもうれしくて画像に撮ってしまった…。

     

こんな具合に。文字のゴシック体もとても達筆。当時、このアニメが制作された時、専門のカリグラファーさんが文字を提供したのだろうな、と想像してしまうわたし。

細密画部分とか紋章も散りばめられて、本当に綺麗!

昨日は、ピラティス教室に行った帰りに、センター内の図書室で本当に久しぶりに本を借りた。

    

これもお久しぶりの東野圭吾の「希望の糸」と宮下奈都の「静かな雨」。宮下奈都さんは、以前話題作の「鋼の森」を読んだことがあるのだが、読後感は「少し大人しめの作風かな」というもの。

午後の空いた時間にでも、ゆっくり読みませう。このブログを訪問して下さった皆さまも、どうぞご自愛ください

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引き裂かれたカーテン

2021-04-18 17:31:35 | 映画のレビュー

ヒッチココックの「引き裂かれたカーテン」を観る。

二週間前にはじめて観たのだけど、あんまり面白くてもう一度観てしまった。ヒッチコック映画には、そんなに詳しくない私。こんな題名の映画があることも、今までつゆとも知らなかった……惜しいことをしたもの…。

この映画は、スパイスリラーともいうべきもので、制作されたのは1966年。東西冷戦たけなわなりし頃で、このタイトルの「カーテン」というのも東西陣営をわける「鉄のカーテン」のこと。 時代を経て観ても、とても面白い。主演が油の乗り切った頃のポール・ニューマンに、ジュリー・アンドリュースという組み合わせも、とても刺激的。この二人が、スパイ物で、婚約者同士を演じるだなんて! 意外だけれど、とてもしっくりくる配役ではなかろうか。

ストーリーをかいつまんで言うと、アメリカの物理学者アームストロングは、学会のため、恋人のサラ・シャーマンと共に、スウェーデンに来ているのだが、そこでπという人物に接触しろという指令を受けて、東ドイツに渡る。ところが、婚約者のサラがアームストロングの不審な行動に気づいて、彼の後を追って東ドイツ(つまり、鉄のカーテンの向こう側)にやって来たから大変。

アームストロングは、東側に寝返った物理学者として東ドイツで歓迎されるのだが、彼が国を裏切ったと確信したサラは深いショックを受けてしまう。だが、彼を愛するがゆえに東ドイツにとどまる決意をする。本当を言えば、アームストロングはライプチヒ大学のリント教授が発見した重要な公式を盗むため、東側に亡命したと見せかけていたスパイだったのだ。

 

       

このポール・ニューマン演じるアームストロングが西側の諜報部員であるπの農場へ出かけてゆくシーンはとってもスリリング! 彼の見張り役であるクロフツを巻くために、ベルリン美術館の裏口から脱出して、農場へ向かうも強者のクロフツにかぎつけられてしまう。

この郊外なる農場はいかにも、当時の社会主義国という感じのするもので、なぜか観ているうちに中学時代社会の教科書で読んだソ連の「ソフホーズ」「コルホーズ」という言葉を思い出してしまった。

その農家にいたπの妻と言葉の通じない身振り手振りの会話を交わしているところに、クロフツが入りこんでくる。「お前は、やはりスパイだったんだな」と息巻くクロフツは、電話をかけてアームストロングを当局に引き渡そうとする。その電話機をπの妻が叩き壊し、ついでアームストロングに襲いかかるクロフツを、農作業用の鎌か何かで、バシンバシンと頭を叩き割るところで、思わず唖然としてしまった。この農婦って……すさまじい底力がある……。

だが、それでもクロフツはなかなかお陀仏とはならず、アームストロングと彼女は彼をガスオーブンの方へ引きずって行き、その頭をオーブンの中に入れる。コックを捻ると、ガスが飛び出してきて、クロフツは死んでしまうのだが、この時、その指が断末魔のダンスを踊るところが怖い。 このシーンだけで、いうまでも網膜に焼き付いてしまいそうな迫力である。

物語は二転三転し、アームストロングとサラの二人は西側へ脱出するために、運行バスをよそおった偽物のバス(こんな風に、亡命者を逃がす方法があったなんて、目からウロコ)に乗ったり、奇妙なポーランドの伯爵夫人の手引きで、秘密のメッセージが受け取れる郵便局へ行ったりと大冒険をするのだが、冷戦当時は本当に、こんなことがあったに違いない。

そして、最も面白かったのは、東西冷戦当時の空気感が画面から、ひしひしと感じられること。西側と東側を往来するバレエ団の存在や、東ベルリンのいかにも、「社会主義」を感じさせる整然たる街並み。 少し見当はずれな連想かもしれないけど、ソフィア・ローレン&マルチェロ・マストロヤンニの「ひまわり」を思い出してしまった。あの映画も、当時初めてソ連でのロケが許されたとかで、マストロヤンニを追って、モスクワまでやって来たソフィア・ローレンが巨大な駅の長い長いエスカレーターを上がってゆくシーンがとても印象的だったもの。 広告看板など一切ない無機質で整然とした街や、そこに漂う寂寥感など、「これがモスクワの空気なのか」と当時中学生だった私は感じ入ったことを懐かしく思い出す。

二十世紀は遠くなり、東西冷戦という時代が存在した記憶も薄れゆく今、この「引き裂かれたカーテン」はとてもスリリングで、一種の郷愁さえ呼び覚ますものだった。ぜひ、当時を知らない若い人たちにも観てほしい。

こんな面白い映画、きっと脚本もしっかりしているのだろうなあと思っていたところ、原作があることを発見! 早川ポケットミステリから、過去に翻訳されていたのだとか。できたら、この原作も読みたいな。

 

おまけ:観ていて、なぜか私が中学生の頃愛読していた青池保子の少女マンガ「エロイカより愛をこめて」をも、思い出してしまった。そのマンガは、当時東側からの亡命者が多かったウィーンやヨーロッパ各地を舞台にして、怪盗エロイカとNATOの少尉(だったかな?)が渡り合うスパイ物だったのだが、深刻な時代背景など感じさせぬ洒落た味わいの漫画でありました。あなたは、知ってる?

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山つつじ満開

2021-04-11 12:15:04 | ある日の日記

毎年恒例の「山ツツジを見る会」。 伺ったお家の裏側の山に、野生の躑躅の林が広がっているのです。上の写真はいただいたツツジを玄関の壺に生けてみたもの。

   

アップで見ると、こういう感じでしょうか?

山で野生の林となっているツツジは、こんな風。

  

まるで、薄桃色の霞がどこまでもたなびいているかのよう。しばし、このツツジの間を散策し、お互い写真を撮りあって楽しみました……私個人は、桜よりこちらの方が好きです。桜は確かに綺麗ですが、地面に敷き積もると、どこかうら寂しい風情になる感じがするのです。

     

訪れたお宅の玄関前の鉢に植わっていた白い花も、ふんわりして、とても素敵。しかし、恥ずかしいことに植物に疎い私は、この花の名前を聞き損ねてしまいました。う~ん、いったい何だろう?

    

おまけ:山ツツジの咲く山の前の庭でで、窓ごしにこちらをじーっと見ていた青い目の猫さん。毛の色が白いから、名前も「しろちゃん」というそうな。保護猫ですが、この近隣の家で、とても可愛がられています。 とても可愛い顔をしているしろちゃん。また、会いたいでせう。     

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推し 燃ゆ

2021-04-07 21:08:44 | 本のレビュー

家族が買ったまま、放りだされていた「文藝春秋」三月号。そこに掲載されていた芥川賞受賞作「推し 燃ゆ」をやっと読む。

現役の女子大生の宇佐見りんさんが受賞して、大変話題になっていたのだが、いつも世間から一歩も二歩も遅れて進む私――あんまり関心はなかった。けれど、先週つれづれなるままに、ページを開いてみたらば、導かれるように一気読みしてしまったの。

女子高生のアイドル追っかけの顛末という、私とは一万キロも離れた世界に住んでいるとしか思えないヒロインだったにもかかわらず、である。(はっきり言って、嫌いな題材だわ)

何しろ、宇佐見さんの文章が素晴らしく上手い! 綺麗な文章とか文学的という範疇にあるものではないのだが、アイドルと自分という狭い世界に住んでいるヒロインの息遣いさえ感じさせるし、ヒロインの身体的な感覚(痛みとか、目がくらんだといった描写)も、こちらにひしひしと伝わってくる。

ただ読んでいて気が付いたのだが、この「あかり」という名前のヒロインは、現代を象徴する存在なのではなかろうか?  以前の芥川賞受賞作の「コンビニ人間」も「紫のスカートの女」の主人公も、あかりの系列に連なると思えてしまうのだ。「コンビニ人間」の主人公は発達障害気味で、コンビニにしか居場所がない女性だし、「紫のスカートの女」もホテルの掃除係として働きながら、まるで透明人間であるかのごとく、存在感の薄い女性が語り手となっている。

あかりもまた、家族やバイト先の人たちとは交流があるものの、彼女の関心は、子供時代から追いかけて来たアイドルのグッズを集め、彼に関するデータを収集することに向けられている。自分のことなど知りもしないアイドルの存在だけが、あかりのレーゾンデートルってわけ――そんな人生はむなしいのか、それとも幸せなのか?

こんな風に「閉じた世界」にいる人間は、案外たくさんいて、それが、これからはもっと増えるとしたら……不思議な未来社会が出現するような気がします。

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