ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

宇宙の風に聴く

2014-12-29 20:20:55 | 本のレビュー
「宇宙の風に聴く」佐治晴夫著。カタツムリ社から発行されたもの。

これも、K先生からお借りしたのだけれど、実に実に素晴らしく面白い本です。こんな風に宇宙や地球、そして人間の存在を解説してくれる本があったなら、世の中から「理数離れ」なんて消えてなくなるのじゃないかしら? それほど「知」に対して、目を見開かれ、好奇心いっぱいの幼児の心で世界を見渡したくなる読み物です。

著者の佐治さんは、宇宙物理学者なのですが、語り口はいたって平易で、古典やクラシックの音楽家、藤原定家や紀貫之の和歌が出てきたり……と芸術的な感性も存分にあわせもった魅力あるお人柄がうかがわれるのです。

さて、ここに書かれたことは、まさしく「目からうろこ」的な科学的事実ばかり。まず、私たちの体が、「星のかけら」であること。これはどういうことかというと、地球上には90種類以上の元素がありますが、その元素は、みな惑星や星が一生を終え、大爆発した時、うまれたもの。 星は大爆発を起こす時、自分の中で作った元素のすべてを宇宙に返すのであり、それがふたたび雲状に集まり、太陽や地球や他の星が生まれることになったわけです。 これは、逆に言うなら、人間は死ななければ、次の人間が生まれてこないということでもあります。人は、最後は地球に帰っていくのですね。

星や惑星というと、人工衛星やボイジャーの映像で伝えられる、生命の兆候などまるでない冷たい無機質な表面が浮かんできたりしますが、私たちの体を構成する原子や元素がそこからやってきたというのは、とても荘厳な感すらすること。人類は、すべての人が「かぐや姫」なのであります。

はるか時をさかのぼり、私がまだ高校生だった頃、カール・セーガンやアーサー・C・クラークの作品を読んだ後、部屋の窓から夜空を見上げ、微動だにしない星星と漆黒の天蓋に気が遠くなるような思いを味わったことも思い出しました。「永遠」のとばりに頬を触れられたような、しんとした静けさとともに。

そして、宇宙に劣らず、人間存在も不思議。胎内で受精した卵細胞は、分割を始めますが、佐治さんのいうところによれば宇宙は人間を作るのに三十億年という永い時をかけたのに、人間はそれを十カ月で作ってしまうのです。卵細胞は三十二日目には、まだ魚の顔をしているのに、三十四日めには両生類に、三十六日目には、三億年くらい前に上陸した原始爬虫類の顔になっているという訳。そうして、四十日めには、もう人間の胎児の顔になっている--一週間くらいで、一億年の進化を駆け抜けていっているというのですが、これは本当に凄い。おまけにこの人間が、宇宙が自分を見るための「目」として、存在させたとするなら?

これはどういうことかというと、宇宙はすべてであるがゆえに、自分を見ることも認識することもできない。だからこそ、150億年の時をかけて、人間を生み出したというのですが、これはこじつけのようでいて、ある意味哲学的な結論でもあります。人間は、広大無辺な宇宙の観察者という存在理由があるのかもしれません。

宇宙や人間、生命という永遠の神秘に通じる扉が開かれる本! 

一年の終わりに・・・(2014年)

2014-12-28 20:35:08 | ある日の日記
このブログを始めて、一年半以上にもなることに気づき、びっくりしています。それで、パラパラと過去の記事をひっくりかえして見たけれど、つまらないことも大分書いてるなあ。 内容の薄さに、自分ながらうんざり。こんなものを読んでくれた人がいるとは思えないのですが――。

もともと病的なほど気まぐれで、「秋の空」のように気が変わりやすい私。子供の頃から、「続ける」という事が大の苦手でした。 習字も絵も日記もぜ~んぶ続かなかったのに、このブログはなかなかコンスタントに続けられそう。うれしいです。

「ノエルのブログ」を始めてみて気付いたことがあります。それは、ネット上に書かれる文章は、紙や書籍に書かれる文章より短めで、すーっと読めてゆく短距離型のものが良いということ。 私自身、活字中毒者と呼ばれたこともあるくらい、文章を読むのは苦にならない方ですが、それでもパソコン画面で、思考力を要する堅めの長文を読む忍耐力はありません。 「力を入れて、書いているなあ」という論説文や書評を書いていらっしゃる方のブログを見ることもあるのですが、たいていは挫折します。 こういうのは、本で読もう…と。

ここで結論。ブログの文章は、軽めであまり長くならない方がいい。

閑話休題。一年の終わりに感じることを書くんでしたっけ…。 

昔の人は「朝の紅顔、夕の白骨」とかなり怖い事を言いましたが、素晴らしく含蓄のある言葉でもあります。人はあっという間に年を取るし、人生は短い。 私自身、自分の年齢を顧みて「えっ?」と愕然とし、一年前も十年前も同じようなことしてたなあと思ってしまうのでありますが、来年はちょっと「模索」してみようかな、とも。 「星の王子さま」の羊が行く手を見守ってくれるらしいです。 

歩行の謎

2014-12-26 19:14:49 | ノエル
ノエルの散歩していて、その足元を見る。いつも通りささっと男っぽく(?)歩くノエル--ここでふと疑問が。
一体、犬はどのように歩行しているのであろうか? 四本足で、どうやって足を動かしているのか、とっくり見ようと思ってもすごい勢いでリズムを取って動く前足と後ろ足…よく、わからんのう…。

考えてみれば、地面や土の上にいる虫さんだって、立派な六本足。彼らは、あの触手を思わせる脚をどのように動かして、移動しているのだろう? 八本脚の蜘蛛やそれ以上のムカデにいたっては、もう想像のらち外であります。

手も足もないいわゆる長物である蛇--かれらは、地面と触れ合う部分の鱗をさかだてて、くねくねと移動してゆくのであった…こうして見てみると、進化の頂上にいるホモ・サピエンスこと人類は、唯一二足歩行の快挙を成し遂げた生物であるといわれているけれど、その実一番単純な歩行をしている生物では?

二足歩行は、腰痛にもなるし痔にもなりやすいのであった――けれど、そのためあって、脳が発達したのは間違いない。そして、単純な歩行であるがゆえに、「美しく歩く」のを目指そうではありませんか? リズミカルに、かつしなやかに…でも、綺麗な歩き方ができる人って、生まれつきの美形以上に少ないようですね。

ある日の日記

2014-12-23 20:46:11 | ある日の日記
ノエルのご飯を買いに、「アミーゴ」へ行った後、図書館へ。以前から読みたいと思っていたディクスン・カーの「蝋人形館の殺人」を借りました。カーの怪奇ミステリは、この蝋人形とか爬虫類館とか、魔女裁判とか、私の好きなジャンルが並ぶのですが、あんまり面白くなかったものも多いんですね・・・。これが面白ければ、良いのだけど。

それから、夕食の支度(カレーライスとブロッコリーのスープ)をしていると、近所のBさんから一足早いクリスマスプレゼントを頂きました。中は、何と図書券! いいのかなあ…こんなにもらって…?

今夜は、一週間ぶりにカリグラフィーでも書こうかな?

P.S 今、思い出したけど、まだ年賀状作ってませんでした。ドベタでも、自分んちで年賀状作ってるから、Wordをまた起動させないとね……。挨拶をおくるのは、毎度おなじみノエルです。



思い出のマーニー(再読)

2014-12-23 20:11:03 | 本のレビュー
この間読んだばかりなのだけれど、余韻がずっと残っていて、また読むことに。

本というのは、不思議なもので繰り返し読むことで、最初の印象からどんどんずれていって「あれ、これはこういう読み物だったのか」と全く新しい顔を見せることさえある。「思い出のマーニー」も、最初は思春期の透明な心情や、マーニーという少女との時を越えた交流が描かれた美しい物語という感じだったのが、思いもかけぬ複雑な顔をのぞかせてくれたのだ。

海辺の避暑地、季節は夏--とくれば、少女期特有のきらめく心情が描かれるはず、と誰しもが思うはずでは? だが、主人公アンナの心情もまわりの風景もどこか寂寞たる面持ちがある。ちょうど、アンナがいつも訪れる入江の潮が引いた後の風景のように……。 アンナのよるべない、寂しさが見事に描写されているのに、「ひょっとしたら?」と思った通り、著者の子供時代の思い出がアンナの姿に投影されているのだそう。 

アンナが出会う少女マーニーも、深い孤独のうちにいる。両親からほうっておかれ、海辺の屋敷に一人ひきこもっている少女。その実態は、お手伝いさんや家庭教師たちから、今でいう「虐待」に近い扱いさえ受けいていたりする。この本についての読後感を人と話し合った際、その人が「マーニーがアンナを『家のない子』として、自分の家のパーティーに連れていったりする場面が嫌だなぁという感じ」と語った時、「それは、そうよね」と私も同感。 大体、マーニーは魅力的な少女には違いないのだが、嵐の夜風車小屋にアンナを一人置き去りにしたり…と結構ひどいことも平気(?)でやってのけるのだ。それでも、彼女の置かれた状況や、愛されることを知らなかった人生を知ったなら、アンナならずとも許してしまうに違いない。 

物語の最後、すべての謎が解け、マーニーが一体誰だったのかわかるのだけれど、マーニーのたどった人生やつかみ損ねた幸福に、一抹の哀しさを覚えるのは、私だけではないはず。単純なハッピーエンドで終わらないところに、この児童文学の奥の深さがあるのだし、「少女健忘症?」の気味さえ感じられたアンナが、最後、マーニーを思い出したところも一つの救いと感じられた。
半世紀という時を越えて、夢のように美しくはかない交流をかわしたアンナとマーニー--けれど、マーニーは、アンナの中に生き続けているのだ。

ぐっすり眠りたいです

2014-12-20 19:39:32 | 健康・病気
ここ一カ月あまり、睡眠障害です。普通に寝ていても、夜中に2時や3時に目が覚め、そのまま明け方まで眠れない。それから、また1時間ほどうとうとするという感じ。

若い(19歳の時が最初)頃から、時々不眠になる時期があったのだけれど、40歳を過ぎてからは、年に3~4回くらい不眠症の時期が来るようになってしまいました。それで、今回も「またか…」という気分だったのですが、ちょっと長すぎる。眠れなくて、疲れるなあ…。頭痛いし、ボーッとするし…。

お医者さんに言ったところ、原因は「加齢」ではなく、ストレスだそうです。それで、薬ももらったのですが、やっぱり夜中に目が覚めてしまいます。 やれやれ・・・。

気持ちの良い睡眠こそ、毎日のエネルギーの素。 それを目指して、大好きなコーヒーを一日何杯も飲んでいたのをやめようか思案中です。(夕食後は、白湯だけにしたけど、効果なし)

水声

2014-12-19 17:42:11 | 本のレビュー
「水声」--川上弘美著。文藝春秋刊。
川上弘美は、特に好きな作家というのではないのでが、作品は大体読んでいる。この「水声」は最新刊だが、新聞に書評が掲載された時から、興味をひかれ、ぜひ読んでみたいと思っていた。

登場人物は、50代の姉弟である都と陵(りょう)。この二人は、年子なのだが、いったんそれぞれ独立した生活を送っていながら、三十代半ば以後再び同居をはじめ(それも、彼らが生まれ育った家に)、そのまま年を取ってきた。 中年過ぎの姉弟が過ごす生活って、不思議な感じがすると思ったら、彼らの両親もそれぞれ個性的で、一家に漂う雰囲気も不可思議。

読み進むにつれ、50歳ちょっと過ぎで亡くなった母親が素晴らしく個性的で、魅力ある女性だった様が繰り返し描かれるのだが、彼女と都たちの父親はなんと兄妹であった。そして、都と陵の間に漂う雰囲気も近親相姦じみていて、かつてその事実もあったことが明らかになるのだが、ここには淫靡な空気などまるでない。  世の中の人々とちょっと変わった感覚の、それなりに静かな生を生きる一家の姿があるばかりだ。 これは、陵が姉と同居しようと思い立ったのも、1990年代の地下鉄サリン事件をきっかけという契機があるということにも現れている。「一人で死ぬことが怖くなったんだ」--陵のこの告白は、人が人と暮らしていく、本当の理由を語っていないだろうか?  生の背後に大きく存在する「死」の姿--それを深く感じ取るからこそ、人は人と温め合い、寄り添ってゆこうとするのだろう。 長い年月という地層のように積もった時間にも、死が揺さぶりをかけるのだ。

都と陵--この姉弟は、適度に知的でもの静か。そして、どこか植物を思わせる香りがあるようですらある。私の目には、かなり魅力的な人たちに映ったのだが、どこかにも、こんな人々が実在しているのかもしれない。 若くはなく、一目を惹く派手さもないけれど、それこそ水のような柔らかな雰囲気に包まれた、姉弟……今年のベスト1に推したい小説。

イオンモール初見参!

2014-12-15 20:33:26 | ある日の日記
今月初め、ついに開店したイオンモール。地方ではなかなかないテナントショップ群と、そのスケールの大きさでできるずーっと前から話題だった。

地元で燃え上がる(?)フィーバーには、とんと関心がなくて、開店から10日もたった今日、ようやく行ってみたのだけど、想像以上に良い! 文具好きには、東急ハンズが入っているのがうれしいし、「ローラ・アシュレイ」のショップを見て、はるか青春時代を思い出した私。  受験の下見に東京へ行った時、母の友人のおばさまがデパートへ案内してくれて、そこにあったのが「ローラ…」の店。 灰色(?)の受験生には、いかにもイギリス人好みの花模様のファブリックやインテリア用品がとてつもなく華やかに見えたもの--それが、20年以上もたった今、地元で手軽に楽しめるなんて、時の流れも良いもの。

「ゴディバ」のブースも入っていて、ショコラドリンクも楽しめるようになっているので、暖かいココアを楽しみましたです。広いし、休憩フロアもゆったりしているし、この規模なら大阪なんかいかなくても、イオンモールで十分楽しめるでござるよ。

昔行ったお台場のショッピングゾーンなんかより、こっちの方が洗練されているようだし…5階のシネコンで映画も楽しめる。そして、トイレが素晴らしい! 空色の壁には、綺麗な花模様が描かれ、個室は白い木造のドアがフェミニンな感じ。 奥には、広いパウダールームもあって、まるで「少女の部屋」という趣。トイレは、お洒落な部屋でなくちゃダメな時代になったのかしら?

でも、お買いものしてる人はあまりいなかったような…皆、ひとときの「夢」を楽しみに来てるのね。

ノエル通信

2014-12-14 20:48:48 | ノエル
毎日、お寒うござんすね。英国からやってきた僕だから、冬なんて大したことはないんだけど。何せ、あちらで先祖たちが鳥猟犬として活躍していた頃は、厳寒の冬のさなかでさえ、冷たい水に飛び込んで鳥を追っていたゴールデン・レトリバーなんだもの。

でもね、ちょっとつらいこともある。それは、目下のところ夜小屋で眠る時、薄っぺらなブランケットしかないこと。何回毛布を買い与えられても、すぐぼろぼろに引き裂くからってらしい。 --だって、毛布と遊ぶのって面白いからね。

そんな訳で、小屋に入って、冬空のお星さまを見ながら眠りにつく僕。 冬の星はきらきら光って綺麗--な気がする。……でも、やっぱり毛布が欲しいな。犬は風邪をひかないけど、やっぱり暖かいものにくるまれたいもんだ。(ノエル談)

リスボンに誘われて

2014-12-12 21:02:13 | 映画のレビュー
昔から好きなジェレミー・アイアンズ主演だというので、ぜひとも見たかった映画。作品の舞台が訪れたことのあるリスボンだというのも魅力。

教養はあるものの真面目で堅物な高校教師をアイアンズが演じ、彼がひょんなことで巡りあった本の謎に引かれるように、リスボン行きの夜行列車に乗るというのが物語の発端。

ジェレミー・アイアンズには、幾多の映画で、その素晴らしき演技力、雰囲気あるたたずまい(彼は、英国のシェークスピア劇団の俳優でもあるのだ)に魅せられて以来、久しぶりのご対面となるのだが、とても年を取ってしまっているのに愕然。私が彼の映画を立て続けに見ていたのは、まだこのスターが四十代だった頃だから、当然といえば当然なのだが――。

本をポケットにだけ入れて、リスボンの地に降り立った主人公が向かった先は、本の著者の自宅。そこは医院跡で、著者の妹が家を守っている。この妹をシャーロット・ランプリングが演じているのだが、これもすっかり年を取っているのに、ショック。ランプリングも私の大好きな女優の一人で、「愛の嵐」、「さらば愛しき人よ」(これは、フィリップ・マーロウ物)でいかにもヨーロッパの凄みを感じさせる美貌が印象的なスターだった。 肉など感じさせない、細い肉体に、繊細な骨格。その上に、「爬虫類の目」と誰かに言わしめた冷たく輝く瞳とチェシャ・キャットのような謎めいた微笑を浮かべていたシャーロット…彼女にも老いが訪れることがあったのか……。 私だって、年を取ってしまったのだから当たり前なのだけど。


スイスの作家が著したベストセラー小説を映画化したものだというのだが、本を巡るミステリーはさほど面白いとはいえず。本の著者にして、レジスタンスの英雄でもあった青年医師の人物像がそれほど魅力的に感じられないのだ。 アイアンズが、すべてを振り捨てて、誘われるようにリスボンまでやってくるほどの動機づけがないのでは?  ただ1970年代頃の、揺れ動くポルトガルの政情がこまかに描かれ、歴史に対する目が開かれることは確か。

この映画は、アイアンズやランプリングとの久しぶりの再会であるだけでなく、リスボンをも懐かしく思い出させてくれた。おだやかな潮風の吹くリスボア(ポルトガルの人たちは、この街をそう呼んでいた)の街並み--こっくりとした黄色の路面電車が通り、シエナ色の屋根を抱く家々がどこまでも続くところ。 夜になると、灯が闇の中にともり、哀切なファドの歌声が夜風の中を流れてゆく――私は、リスボアの目抜き通りで買った専門店(とても小さなお店だった!)の革手袋を10年たった今も、大切に使っている。