ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

世界で一番美しい少年

2023-05-28 09:12:19 | 映画のレビュー

アップするのをすっかり忘れてしまっていた……だいぶ前に、ミニシアターで観た「世界で一番美しい少年」の記事を載せます。

ヴィスコンティの名作「ベニスに死す」。故淀川長治さんが、”映画のダイアモンド”と讃えたという、この上なく美しい作品。今では、トーマス・マンの原作より、こちらの方が有名なくらいではないでしょうか?

さて、昨年だったか一昨年だったか、映画が作られてから50周年を記念して製作されたという本作。主人公の音楽家アッシェンバッハを惑わす、絶世の美少年タジオを演じたのが、上の写真の少年、ビョルン・アンドレセン(左側が、監督のルキノ・ヴィスコンティ)。

ベニスの白亜のホテルや、浜辺に立っているシーンを見るだけで、つい、ほーっとため息がもれそうな、亜麻色の髪と青い目の美しい少年です。事実、ビョルンは、映画に出た後、世界中でひっぱりだこに。 しかし、その伝説的な美少年は、ほんのひととき、世の中を騒がしたにすぎず、いつか人々の前から姿を消してしまっていました。

彼の身に何が起こったのか? その謎にみちた半生を追ったのが、このドキュメンタリー映画「世界で一番美しい少年」なのですが、あまりに悲劇的な人生に、心が、すっかりかき乱されてしまいました。

この世のものとは思えないほど、耽美的で滅びの美への予感に満ちた「ベニスに死す」。なのに、その美を体現した少年がたどった道とは……現実とは、何と、残酷で、夢のかけらもないんだろう。

映画での華々しい成功の後、ヴィスコテンティが、彼を連れていった先は、何と、パリの同性愛者の世界。そこで、天性の美を思いきり、利用されるのですが、若さが失われると、飽きた玩具を捨てるように、広い世の中へ放り出されます。そして、結婚した相手との間に生まれた子供を失い、離婚。

年取った今も、映画界の片隅で、細々と生きているというビョルン。その老いた顔を見ると、かつての美少年の廃墟という感じです。(私の好みを言うなら、ビョルンには老いを知らず、若く美しいまま死んでほしかった……)

しかし、アパートに一人暮らしをする様子を見ていると、ゴミ屋敷に住んでいるとしか思えません。あの美しい少年が、こんな汚れた食器がうずたかく積もり、廃屋のような部屋に住んでいるなどとは……同じく、ヴィスコンティが寵愛した俳優、ヘルムート・ベルガーが、すさまじい汚部屋に住み、お金にも不自由している晩年を送っている、と以前、どこかで読んだ記憶があるのですが、二人とも、どうしてこんなことになったのだろう?

きっと、若かりし日にヴィスコンティ―によってかけられた、美の魔法が、今もとけないままなのではないか? その魔法が、現実の世の中から二人を遊離させてしまい、生活破綻者のような末路を送らせることになってしまったのではないでしょうか?

映画の終盤、ビョルンが自分を栄光の階段に登らせ、そして破滅させた「ベニスに死す」の舞台となったリド島のホテルに、赴くところが印象的でした。あのタジオの美貌そのもののように華麗なホテルは、今では廃業し、ホテルの建物も、無残な廃墟となっている――これを見て、思わず、絶句してしまいました。

実は三十年も前の大学時代、イタリアを旅行した時、ベネチアへも行ったのですが、その時、「ベニスに死す」の舞台のホテルへも行ってみたくてたまらず、ウォポレットに乗って、リド島まで行ったことがあるのです。

ところが、実際に行ってみると、優雅なビーチの奥に、すぐホテルがあるなどというものではなく、かなり大きな島。砂浜を行くと、むき出しの砂の一本道があり、その両側に店や飲食店が並んでいるという、リゾート感なんてあまりないところ。

モデルとなったホテルへ行くのはあきらめ、旅行で知り合った他大学のAさんと、雑貨店で、赤いオレンジジュースを買い、飲んだことしか思い出がありません。白い砂道に、わたしの影が長く伸びていたなあ……。

その時、舞台のホテルに、またいつか行けたらいいなあ、と思って島を後にしたのですが、それももう、かなわぬ夢となったのか。

ただ、映画を見ていて、救いとなったのは、ビョルンのただ一人残った娘の存在。彼女も、今は中年の女性となっているのですが、彼女がこう言っています。

「私の胸が痛んで仕方ないのは、まだ映画界に入る前の父のオーデイションシーンを見る時です」

彼女が言っていた、そのオーディション風景が、映画の最後紹介されるのですが、そこで名前を呼ばれたビョルンが、ドアを開けて、ヴィスコンティ達の前に姿を現します。その瞬間を切り取った映像が流れるのですが、気恥ずかしそうに微笑みながら、部屋に入ってくるビョルン。彼は自分の未来に、どんなことが待ち受けているか、まだ何も知らない――そのイノセントな、今にも壊れそうな儚さを目にすると、胸の奥を突かれたような気持になるのは、誰しも同じではないでしょうか?

 

 

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