ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

サイコ

2020-07-28 00:14:50 | 映画のレビュー

映画「サイコ」を観る。若い頃何度も観た映画――でも、やっぱり面白い!

ヒッチコックの最高傑作にして、伝説的な名画。だから、ストーリーも、ほとんどの人が知っているはず。それでも野暮を承知で、あらすじを述べると、恋人との結婚を夢見る中年のOLマリオンが、勤めている銀行のお金を盗んで逃避行してしまうのが、物語の発端。彼女は、さみしい田舎道を車で走らせた挙句、とあるモーテルに泊まることに。しかし、これが、新しい本道ができたため、旅行者も立ち寄ることがほとんどなくなってしまった、脇道のさびれたモーテルなのだ。

私はまだアメリカへも行ったことがないし、ましてその田舎も知らないのだけれど、今でもモーテル文化はあるはず。車でアメリカ大陸を横断しようなどという旅行者にとっては、必須の宿泊施設なのでありましょう。だから、モーテルという設定自体が、興味深くて仕方ない。

質素な、平屋のコテージ風の建物なのだが、このモーテルのオーナーのノーマンというのが、何とも薄気味悪い青年なのである。アンソニー・パーキンス演じるノーマンは、ナイ―ヴで、一種魅力的な青年と言ってもいいのだけれど、いい若い者が、こんなさびれたモーテルを経営して暮らしているということ自体が変。マリオンは彼と話しているうち、どうやら彼は強権的な母親と二人暮らしであることに気づく。

大金を奪ったものの、良心の呵責におそわれたマリオンは、お金を変えそうと決心する。そして、浴室に入り、シャワーを浴びるのだが、その時、寝巻き姿の老女が、彼女にナイフを突き立て、惨殺する――。

マリオンの恋人と、彼女の妹が、姿を消してしまったマリオンを追って、モーテルに姿をあらわすところから、物語のスリルはいやますのだが、何といってもノーマンの人物像が秀逸!

    

人里離れた、さみしい場所にぽつんと住んでいて、趣味は鳥の剥製作り。彼がマリオンを殺した後、その死体を、夜の沼に沈めるシーンなど、ぞくりとするような迫力である。タイトルの「サイコ」とは、今はやりの「サイコパス」という言葉からも分かるように、精神異常をあらわす言葉。ノーマンという青年の中には、彼と母親の二人の人格が同居していて、殺人を犯すのは母親の方という訳だが、これは病理的に、本当にありそうなケースである。

      

時々、メディアを騒がせる、海外の猟奇事件――これも、一種の「サイコ」の世界なのでは? 映画では、あくまで物語として楽しんでしまうけれど。


今晩は

2020-07-18 21:43:53 | ある日の日記

連日雨もよいの空だったのに、今日はギラギラの暑い日に。

外出する予定だったけれど、取りやめにして、一日家で過ごす。 頭も痛いし。

  

上の写真は数日前、めでたく誕生日を迎えたわたしに、姪がプレゼントしてくれた絵。画用紙に、クレヨンで描いたものだけど、小さい子の絵ってなんだかいいなあ🌷

左の二枚の小さな額は、知人のイラストレーターさんが以前描いて下さった、初代ノエルのイラスト。

パソコンの前の壁にかけているコルクボードに、これらを飾ってみました。やっぱり、絵って心が、ふうわりしてくるから好き♡

 

 


翼よ あれがパリの灯だ

2020-07-13 08:45:28 | 映画のレビュー

「翼よ あれがパリの灯だ」を観る。1957年のビリー・ワイルダー監督作。主演は、いうまでもなくジェームス・スチュアワート・

   

実は、この映画は観たいと思っていながら、今まで一度も観ていません。映画ファンの間で、世評高い名作なのに。

題名からしてわかると思いますが、実はこれはじめてニューヨーク―パリ間の大西洋飛行に成功したチャールズ・リンドバーグの伝記映画であります。

1926年に、この快挙を成し遂げた時、当時リンドバーグ25歳。若かったんだなあ……この大成功の後、リンドバーグが空の英雄として、今なお人々の記憶に刻まれているのは御存じの通り。

このリンドバーグを演ずるのは、ジェームス・スチュワート。若さの盛りにいたはずのリンドバーグと違って、どうみても40過ぎのややくたびれたおじさんにしか見えないのですが、そこはご愛敬。

そして、ハリウッド娯楽作であるにもかかわらず、史上初の命を顧みぬ冒険に旅立った主人公の心情や、臨場感が圧倒的なまでに伝わってくるのです。

          

当時は、飛行機の創世期だっただけあって、空への情熱に憑かれたパイロットは後をたたなかったはず。その余興が過ぎて、飛行ショーで、サーカスも真っ青という危険な曲芸乗りをする職業も存在していたと聞きます。

若き日のリンドバーグもそんなことをしたり、郵便飛行士として働いていたんですね。

その頃、ニューヨークからパリまでノンストップで飛び続けて、二日間はかかる――そんな過酷な飛行に、たった一人、飛び立っていったわけですが、この愛機「セントルイススピリット号」は、本当に、狭いのです。経費を削減するために、前方に窓さえなく、潜望鏡でのぞくのと、横の窓を開くことで、ようやく空の様子がつかめるという程度。しかし、こんな狭い空間に、長時間いて、リンドバーグは、エコノミー症候群になどならなかったのかな? トイレは? 食事は?

これだけで、リンドバーグという人の強靭な精神力、死を恐れぬ冒険心がわかろうというもの。

      

そして、これが何も見えぬ海上を飛び続けて、ようやくたどり着いたパリの夜景――ああ、綺麗だなあ。

こんな世紀の冒険とは、全然違うお気楽な旅行客の気分でしたが、私も飛行機に乗って、着陸が間近になった時、街の夜景が見えてきた時、とても感動してしまいます。この世に、こんな美しいものがあったのか――と。

「翼よ、あれがパリの灯だ」とこの瞬間、リンドバーグは叫んだと言うのですが、この名セリフ。本当に、彼が言ったかどうかはともかくとして、何ともしれん詩的な、人の心にいつまでも残る言葉ですね。

この映画には、素晴らしく感動はしたのですが、リンドバーグという人物は「英雄」という言葉ではひとくくりに出来ない影の部分を持っていただろうな、と私は今まで思っていました。

まず、まだ乳児だった愛児の誘拐殺人事件。この悲劇に、人々はリンドバーグ夫妻に深く同情しましたが、あれも謎の多い事件でした。犯人はつかまりましたが……。

そして、第二次大戦中の、ナチス・ドイツへの友好的な発言。アメリカを参戦させまいとしたのはわかるとしても、ドイツに親近感を抱いたというのが理解できません。 

それでも、実は私は、リンドバーグ夫人のアン・モロウ・リンドバーグの「海からの贈り物」という本が大好きでした。深い教養を感じさせる筆致。そして、北の島のイメージ。 リンドバーグ夫人が、どこかの島にしばらく閉じこもり、自分の家庭生活や、アメリカの文明社会について考察を重ねる、という内容だったと思うのですが、文章が詩的で澄んでいて、多くの人を魅了したのもなるほどと思わせられるものでした。

また、「海からの贈り物」を再読してみようかな。


雨でごんす

2020-07-10 20:36:09 | ノエル

 

こんばんは。今日も雨が降り続いております。九州の方では、大変なことになっている方々も、たくさんおられるのですね。湯布院もどうなっていることか……どうぞ、一刻も早く、この水難が去ってくれますように。

それでも、今日ヨガ教室に行ったところ、会場となっているセンターのロビーいっぱいに、七夕の飾りが! それが広い空間いっぱいを埋めつくす勢いで、天井にまで届かんばかりなのです。さぞ、職員の方たちが、腕をふるって、飾りを作って下さったんだろうなあ――。しかし、七夕の飾りって、イカ烏賊みたいな形に折り紙を切ったり、面白い飾りがあるのですが、なんだか意味不明。

雛の節句とか、こいのぼりはスゴクわかりやすいのにねえ……。

上の写真は、いつぞや撮ったガーデンでのノエルと、ゴールデンレトリバーの置物。これには、面白い後日談がありまして、ガーデンの門を開けたままにしておいたところ、ちょうど家を訪ねてきていた母の友達が、あわてて車庫のところから電話をかけてきたりしたのです。

「ちょっと! 門が開いているのに、おたくのノエルが放れているわよ!」

あのう……ノエルは大分前から、ガーデンを引っ越して、家の前庭や中庭で自由に暮らしているんですが……。

と、母が答えたらしい。その人が、「あらま。どうりで、何だかノエルちゃんが小さくなったと思ったわ」と言ったと、後で聞いた時は、思わず吹きました。

雨の午後は部屋で、映画のロードショー。といっても、14インチの大きさのDVDポータブルプレイヤーで、観るんですが。今日の映画は、マルレーネ・ディートリッヒの怪演が見物の、「情婦」。

名匠ビリー・ワイルダー監督の1950年代制作のモノクロ映画です。原作は確か、アガサ・クリスティーの「検察側の証人」じゃなかったかな?

当時、ディートリッヒは、五十六才くらいにはなっていたかと思うのに、シワ一つない、年齢不詳の顔。すらりとしたスタイル――やはり、とんでもない傑物女優であります。


アルバム作り

2020-07-07 17:10:54 | ノエル

昔飼っていたシベリアンハスキーのナターシャ。しかし、彼女を写しておいたアルバムもすっかり劣化していて、ページの余白は黄色くなっています。第一ふた昔も前のものだから、すご~く重いのじゃ!

なっちゃんが我が家にいたのは、もう遠い昔のことなのだなあ、と歳月の無常さをしみじみ感ずる私。第一、こんな黄ばんだアルバムでは、開く気持ちにもなれませぬ。そこで、新たにアルバムを作ることにしました。

今のアルバムはコンパクトで、軽く扱いやすい!ただし、写真の数はそんなにおさめられないんだけど。

    

これが、うちに来て少したった頃、庭で椅子に手をかけているなっちゃん。 かわいいなあ。こんな小さなワンコに椅子をまるごと与えて、遊ばせていたんですね。 

         

これは、その椅子に寝そべって、手をかけているなっちゃん。光が当たって、はっきりとは見えないかもしれないけど、瞳の色が青いのがわかるはず。

        

そして、これはもう大人になっていた、なっちゃん。今思い出しても、本当に幻想的なまでの、凄い美人の犬だったわあ……。

もう一度、夢でもいいから会いたいものであります。


男と女

2020-07-03 08:42:12 | 映画のレビュー

♯ダーバダバタバタ……この懐かしいメロディ。フランシス・レイの作曲ですが、この曲をはじめ、あらゆるものがスタイリッシュでお洒落。そして、後々にいつまでも余韻の残る名画――それが、「男と女」

私はクロード・ルルーシュ監督の「愛と哀しみのボレロ」とこの「男と女」は、フランス映画の金字塔だと考えています。観る人の心をわしづかみにし、まるで映像という詩を味わったかのように格調高い。

主演のアヌーク・エーメもジャン・ルイ・トランティニヤンもはまり役ですが、ことにエーメの着こなすファッションが素敵!

高級保養地ドーヴイルの寄宿学校に子供を預けるだけあって、シャネルのバッグを粋に肩にかけたり、ムートンのコートをはおる姿も、何とも言えずエレガントなのであります。そして、くっきりした美貌。

スタントマンの夫に死に別れた彼女は、子供を同じドーヴィルの学校に預けている、カーレーサーの男(これが、トランティニャン)と出会い、恋が始まるという展開なのですが、何とも粋なのですねえ。モノクロとセピア色の映像が、交互に出てきて、それは二人の心の色を映し出すかのような繊細さを持って、観客の胸に迫ってきます。  

トランティニャンは、自動車レーサーという華やかな職業ですが、彼も妻を自殺で失うという悲劇に遭っています。その彼が同じく、心に傷を抱えるエーメと出会った時、そこに何も障壁はないはずなのですが、そうはいかないところが、大人のムツカシサというか、心模様の複雑さ。これなど、スパーッと現状打開の方向に向かってゆくアメリカ映画にはない、深みや面白さかもしれません。

「あなたを愛しています」――エーメから届けられた電報に、千キロ以上もの距離を車で飛ばしてやって来るトランティニヤン。普通なら、ここでハッピーエンドのはずなのですが、心がすれ違い、最後に再び、二人は互いを見出す。

列車のプラットフォームで互いに微笑み交わす二人のロングショットで、この映画は終わるのですが、彼らはこの先どうなるのかしら?

そう思っていたら、何と二十年先、五十何年か先の続編までできあがっているのだそう。私としては、この思わせぶりなラストシーンで、十分じゃないかと思うのですが。

     

これが、ラストで微笑みあう二人。

P.S ふと気づいたのですが、アヌーク・エーメは「愛と哀しみのボレロ」で印象的だった女優さんによく似ていますね。役柄の名前はエヴリーヌと言ったと思うのですが、ナチに協力した後自殺した女性の娘として、印象的な登場をした女の子です。バレエスクールの掃除婦として、ダンサーたちの踊る姿をうっとり見つめていたり、ジョルジュ・ドンの「ボレロ」を見物する美しい横顔は、ハッとするほどエーメに似ています。

う~ん、こういったタイプが、ルルーシュ監督の理想のミューズだったのかなあ。


陽のあたる場所

2020-07-01 07:17:54 | 映画のレビュー

映画「陽のあたる場所」を観ました。これは、もう何回目になるかわからないほど、何度も観た映画。1949年に制作が始まったというのですから、もう70年以上も昔の作品ですね。

上の写真は、主演のモンゴメリー・クリフトと彼と恋に陥る社交界の令嬢役を演じるエリザベス・テイラー。二人とも、本当に美しいです!

内容は――というと、それこそ、貧しい青年が「陽のあたる場所」を目指す物語。モンティー(モンゴメリリー・クリフトの愛称)演じるジョージ・イートマンは母と二人でく暮らしてきた貧しい青年。それが、東部で水着工場を営む伯父のところで働き始めるというのが、発端です。

革ジャンを着て、貧し気であるながら、極めてハンサムな青年ジョージ。彼は、伯父の工場でも真面目に働き始めるのですが、伯父はまるで甥の存在を忘れたかのよう。ジョージは、同じ工場に勤める女工アリスと急速に仲を深めていきます。

ところが、気まぐれから彼を呼び出した伯父の家であった、社交界の花のアンジェラ。これをリズが演じているのですが、登場したとたん、モノクロームの映像が光り輝きはじめたかのような、輝くばかりの美しさ。私見ですが、この「陽のあたる場所」こそが、モンティーのみならず、リズにとって、最大の代表作なのでは?

アンジェラにすっかり、心を奪われるジョージですが、あちらは天上に咲く花のような手の届かない存在。そう思い、心を秘めるジョージですが、肝心のアンジェラの方が、彼にすっかり興味を持ってしまったから大変。

アンジェラは彼を自分の湖畔の別荘に誘い、娘のあまりの熱中ぶりに、彼女の両親も二人の間を黙認するまでになります。こうなれば黙っていられないのが、工場での恋人アリス。妊娠しても堕胎することはできず、ジョージに執拗に結婚を迫るまでになるのですね。

そして、彼が富豪の令嬢に見初められたことを知ると「あなたと私のことをぶちまけてやる」と逆上するのですが、ジョージが彼女をなだめるために提案したのが、湖でのボート乗り。

           

実は、この映画の胆はここにあるのでは? と思わせられるほど、湖上でのシーンは凄みがあります。黙ってオールを漕ぐジョージは無言のままで、その表情に、どこか張りつめたものが漂っている。対するアリスとは言えば、彼との愛の復活を願い、これからの家庭生活をひたむきに語ってみせる――何とも、残酷なシーンですよね。私なら、「こんな所で、切々と言われたら、困るなあ」とジョージに同情してしまうのですけど。

頭の中では彼女の死を願っているジョージと、彼に必死でしがみついているアリスの姿。

モノクロームの陰影が、湖の水が光り、上の木々が暗い木立を作っている様子をまざまざと写し出し、本当に危険で、肌寒くなるような秋の湖の雰囲気を醸し出しています。

話し合いの途中、突然、アリスが逆上してボートの上に立ち会あがったため、ボートは転覆し、ジョージ達は水の中に投げ出される。アリスは死に、ジョージは生き残り、最愛の女性アンジェラを手に入れられるかと思うのですが――。

   

貧しい青年が、出世し、金持ちの女性を手に入れるために、殺人を犯す――これは、ずっと昔の松本清張の本などにも見られたテーマで、社会派的様相を帯びるはずのものなのですが、この「陽のあたる場所」はやはりロマンチック。

リズとモンティーという輝くばかりに美しいカップルが、主役を演じるせいもあるだろうけど、これはやっぱり恋愛映画ですね。この甘さがあるからこそ、かくも長い歳月の間、「名画」として生き残ってきたはず!

モンゴメリー・クリフトは、美貌・演技力に恵まれながら、どこか線が細く破滅的な人生を終わった人。エリザベス・テイラーとは仲が良く、リズは、最後まで彼の面倒を見たそうです。

モンティーは、自分が演じる役を選ぶのに気難しく、「エデンの東」や「波止場」の主役のオファーが回って来た時も蹴ったという逸話がありますが、何だかジェームス・ディーンではなく、モンティーの「エデンの東」のキャルも見て見たかったような気がしてなりません。