ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

棚田の村の少女

2023-07-24 09:05:05 | 本のレビュー

同人誌仲間の川島さんより、本が届きました。この夏、出されたばかりのよう。

収録されているのは、三話でいずれも、山間の村が舞台。一話の「里山の仲間たち」では、お父さんの病気のため、急遽、おじいさんおばあさんの住む村でしばらく過ごすことになった男の子が主人公。

その男の子——祐樹が、村で出会ったのは、川に住むヌートリアやしっぽのない子ダヌキをはじめとして、元気のよい、素敵な子供たち。そして、きわめつけは、川辺で出会った不思議な男の子のごん太。

このごん太は、実はなんと、河童だったということが判明するのですが、描かれた自然描写の素晴らしく、生き生きしていること! 山や森、木、川泳ぎ、木の上に作る秘密基地等々など、読んでいるこちらの目にも、色彩と共に風景が浮かび上がってきそうなほどです。

そうか、山の田舎では、今でも蛇🐍があちこちにおり、夜、自動販売機に飲み物を買いに行こうものなら、その下から出てきて、足を噛まれたりすることもあるんだな。緋鯉を料理して、鯉こくという味噌汁を飲んだりもするんだ……なんか、とてつもなく新鮮な暮らしのように感じられる……。

二話目は、これも、お母さんが病気で亡くなったため、山間の村の「鬼山館」に一人住む、おばあちゃんのところに、しばらくやって来る女の子の物語。風景や、風や樹木、古い館の佇まい(鬼山館というネーミングがいい。どんな雰囲気のあるところだろうと、思わせます)が、鮮やかに立ち上がってくるようで、一気読みしてしまいました。 館に住んでいる黒猫が、亡くなったお母さんの分身なのか、と匂わせるところや、その猫が真夜中、おばあさんと密かに話しこんでいるところ。そして、ところどころに立ち現れる少女(これも、女の子の亡くなったお母さんでは?)という、ミステリアスな仕掛けもほどこされていて、快い読後感が残りました。

作者は、自然の中で、素晴らしい子供時代を過ごされたのだなあ、と実感させてくれる、良き物語!

 「棚田の村の少女」」  川島英子  吉備人出版 2023年7月発行

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明日の芥川賞発表予想

2023-07-18 20:15:16 | 本のレビュー

明日、19日は、芥川賞発表の日。私は、市川沙央さんの「ハンチバック」が受賞すると思う。

といっても、他の候補作は読んでいないのだが……好きなタイプの作品ではないとはいえ、圧倒的な迫力、読後感の凄さ、物語の特異さといい、他にちょっとないものだった。

ここ何年もの芥川賞作品が、今村夏子の「紫のスカートの女」以外、皆ことごとくつまんないものであったことを思えば、これ以外、受賞作は考えられない! と確信している。

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ある日の日記 プラス読書雑感

2022-10-29 17:52:50 | 本のレビュー

「ほうじ茶のクッキー」なるものを、教えてもらった。

クッキー生地を、ビニール袋に入れて、上の写真のように6×6のサイズに切れ目を入れる。

それを切り分けたのをオーブンの天板の上に、

のように並べる。焼きあがったクッキーを家に持ち帰り、珈琲と一緒に。☕

  

なかなか、美味しい! 紅茶の葉を入れたクッキーはよく見るけど、ほうじ茶というのは目先が変わってよいかも。

ここ数か月の読書で言うと、今期の芥川賞を受賞した高瀬準子の「おいしいご飯を食べようね」——退屈だった。いやに長ったらしいし。登場人物にも、まるで共感がわかない。 体が丈夫でない、としょっちゅう早退する女性がヒロインで、彼女は「すみませ~ん。代わりにお菓子を焼いてきました」とお菓子やケーキを職場に持ってくるのだが、彼女となぜか恋愛関係になってしまう、食事というものに関心の薄い若い男性社員と、彼にほのかな好意を寄せ、ヒロインに反発を抱く女性社員の三人が焦点的に描かれる。

登場人物もみな、潔癖さが爪の垢ほどもないし、ヒロインの人物像が読んでいて、不快。彼女と男性社員が最後、結婚するというエンディングはとってつけたようで、後味の悪い読後感。

芥川賞も地に落ちたなあ…… というべきな作品だと思うのだけど……売れているのだとか。

みな、面白くないと思わないのかな……?  宇佐美りんの「くるまの娘」も面白くなかった。

  

それに比べると、直木賞受賞作の窪 美澄の「夜に星を放つ」☆彡の方がだいぶ、良かったです。星に結び付いた短編が5作並ぶ、短編集。みな、「面白い!」というほどではないのだけれど、しんみりとした余韻が残る。作者の窪さんという方は、きっと心の優しい人なのだろうなあ、と思わせられました。

 

 

 

 

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流されてゆくだけの日々

2022-10-25 09:31:47 | 本のレビュー

なんか、ものすごく疲れる。日々しなければいけないことをしただけで、もうグッタリしてしまい、後は横になって休息をとっている。

こんなことでいいのだろうか? (よくないに決まってる)

しかし、体が動かないので、考える力が回復した後は、TVを見たり、読書をするよう心掛けている。

最近、面白かったのは、「群像」。

   

文芸誌は、学生時代に借りて読んだものの、「何だか、面白くない」とずっと離れていた。しかし、この間、読みたいと思った石沢麻衣の「月の三相」が掲載されているというので、図書館から「群像 2022 5月号」を借りたのだが、とてもスリリングで楽しい読書体験だった。

えっ、文芸誌って、こんなに面白かった? 狙いの「月の三相」は、設定や作品世界が実に異質。架空の街らしき、ドイツの南マンケロートという街が舞台なのだが、ここでは住民は皆、肖像面という自分の顔を面にしたものを所有している。この面を打つための面作家という不思議な職業人もいるのだが、この面と人のアイデンティティーをめぐって、思考の螺旋階段のごとき、物語が延々と続く。会話もほとんどなく、面をめぐって、キャラクターというべきほどのものも持たない、登場人物が影のように立ち現われゆく。

実は、この街には「眠り病」という奇病があり、長い眠りについた人々の顔を面に作り上げた「眠り顔」という面もあるというから、ややこしい。石沢麻衣の言う、面とはベネチアのカーニバルで使われるような、あるいはかつての西洋画で描かれた寓意としての仮面に近いものらしいのだが、南マインケロートの人々が、なぜ仮面を必要とするかについては、はっきり書かれていない。

面をめぐってのエクリチュールが延々と繰り返される中で、ドイツという国が背負ってきた歴史の影も見え隠れする。

(一般受けしない文学作品だろうけれど)、私には実に、面白かった。しかし、この書き方は、作家というより……。と思い、調べると、やはり、東北大学大学院を出て、今ドイツに在住とある。学者の書く文体に、近いと思った通りだった。

 町田康の「日本武尊」も、とてもポップで面白い! 実は、名前だけはよく知っているものの、町田さんの小説を今まで読んだことはなく、エッセイの「スピンクシリーズ」(町田さんが、保護犬である愛犬のスタンダードプードル、スピンクたちとの日々を、楽しく、自虐的につづった、パンクロックなエッセイ!)のファンだっただけなのだが、このヤマトタケル、関西弁丸出しで、ほんま、おもしろいどすわ。

会話が、すでにロックンロールしてる! よし、町田さんの小説を、探しに旅立とう、と決心した秋の終わり

 

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台風の中

2022-09-19 12:25:56 | 本のレビュー

史上最大級の台風14号が来ると言うので、戦々恐々としていたのだけれど、今の所は、空がグレーで、風がざわざわと不吉に揺れているだけ。これから、ひどいことになるのかな? 上についてるランプは、「トワルドジュイ」という、かのマリー・アントワネットが愛したという生地が貼られているのですが、ほの明るい感じが好きです。

ヴェルサイユ近郊で作られ、当時のヨーロッパで人気だったというトワルドジュイ。いかにも、アントワネットが好みそうな、華やかで、そのくせ田園の空気感の漂う布地ですね。

さて、外出などできないので、久しぶりにゆったりした気分で、高校時代愛読していた川原泉の少女マンガ「笑う大天使(ミカエル)」の愛蔵版を読みました。高1か2の頃、夢中で読んだなあ~。作者の川原泉という人はやたら博識で、女高生を主人公にしても、数式とか世界史etcの知識がギャグと一緒に披露されていて、「勉強になるマンガ」としても面白かったもの。

   

内容の絵と展開は、こんな感じ。私は年寄りなので、今のマンガのことはてんで疎いのですが(「鬼滅の刃」も、ブームが去った後、やっと読んでいる有様)、21世紀の今も通用するのでは、と思うほど古びていない! あっ、一言つけくわえさせていただければ、右横に置いているのは、子汚いペーパーウェイトなどではありませぬ。 今を去る45年も昔、小学校に上がる前、家族旅行で訪れた秋吉台の鍾乳洞前の石屋で、6歳の私が買った、ナンタラという石であります。ちょっと、大理石っぽい模様が走っているのですが……今も、大切に手元に置いてます。

   

そして、これはこの間の「秘密の変身」と同じ、宮敏彦という方が書かれた少女ミステリー。この本も内容がうろ覚えながら、とても面白かった記憶があり、ネットで長い間探してました。それをとうとうゲットできた時は、本当にうれしかった!

四十年ぶりに再読しても、やっぱり面白かった。三回も繰り返して、読んでしまったくらいです。このお話、島根県の隠岐の島が舞台に使われ、そこで東京からやって来た少女が殺されるのですが、彼女が死ぬ直前に買った、玉若酢神社の駅鈴(もちろん、売店で買ったレプリカですが)が、効果的に使われています。チリンチリンと悲しい音を立てて鳴る駅鈴と、死んでしまった美しい少女。

寡聞にして、知らなかったのですが、この隠岐の島の駅鈴は、ここだけにしか存在しないとされる、文化財としても貴重なもの。昔、朝廷からやって来た役人が、馬に乗って、自分が来たことを近隣の村に知らせるのに、馬の背に、駅鈴をつけ、その音を鳴らしていたのだそうな。

玉若酢神社の宮司は、大国主命の末裔とされ、当時からずっと宮司を務め、代々駅鈴を継承し続けているのだそう。神社の隣に、宮司さんの住居もあり、そこでこの駅鈴が展示されている――そして、境内には樹齢二千年とされる杉の大木があるのだとか。へ~、古代杉っていうのは、屋久島だけのものではないんですね……。

旅情あふれる少女ミステリ。この雰囲気に魅せられるあまり、今まで訪れたことのない隠岐の島へ、旅に出たくなってしまいました。しかし、同じ中国地方とはいえ、遠い離島。松江や米子からフェリーに乗って、一時間とか――遠すぎる!

作者の宮俊彦さんの本をもっと読んでみたい、と思ったのですが、これほど力量のある人なのに、上記の二冊以外、ほとんど出版されていず、それも五十年近くも前の話。今、生きていたら、百歳近いお年のはずだし―古書っていうのも、不思議な縁であります。

付記:

今、夜の六時半近く――やはり、外は大荒れで恐ろしい空模様に。電車はほぼ止まり、日本全国で、台風が猛威をふるっている事態です。

天災は、恐ろしいものですね……。

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手作りスコーン、念願の少女小説ゲット!

2022-06-26 04:30:21 | 本のレビュー

スコーン作りの一日教室へ行ってきた。カレンズ入りのものと、アールグレイティーの茶葉を入れたものの二種類を作る。ついでに、桃とキーウィのジャムも作ってきた。  

上の写真は、家に持ち帰ったそれらを写したもの。

   

もう一枚、写すとこんな風。スコーンは若い頃挑戦してみて、失敗したので、どうしてもちゃんとした作り方をマスターしたかったのだ。 自分で言うのもなんだけれど、お店に並んでいるのと遜色ないくらいうまくでき、美味しかった!

お茶の時間に、ハーブティーや珈琲と一緒にいただく。

 そして……これが、長い間探し続けて、どうしても欲しかった本。

    

私が小学生の頃、通っていた小学校の隣に、市立図書館の分館があり、そこにしょっちゅう寄り道していたのだが、偕成社の少女小説シリーズが、ことにお気に入りだった。 ピンク色の背表紙が目印で、恋愛もの、ミステリー、青春の心の痛みを描いたものなど、様ざまな題材を、いろんな作家の方が書いていられたもの。 この偕成社の少女小説シリーズは、若かりし頃の、津村節子が執筆した「いつわりの微笑」も古本屋で買って(これも、とても面白い!)いるのだが、私がさらに欲しかったのは、内容も作者の名もおぼろげながら、どうしても頭の中から消えてくれなかったミステリーもの。

その中では、美貌で裕福な女性たちが、顔を傷つけられる事件が連続して発生し、「東郷たまみ」という犯人が出てくる。その東郷たまみの顔が、人工の仮面で作られたもの……覚えているのはそれだけだのに、小説が都会的で洒落た味わいのあるものだったこと、物語がとんでもなく面白く、何度も図書館で借りたことが忘れられなかった。

ネットで、探しているうち、これは? と思うものに巡り合った。それが、上の写真の「ひみつの変身」。オークションに出されていて、四十年以上も前の本としてかなり高かったのだが、勘を頼りに、とつとうゲットしてしまった。

恐る恐る、頁を開いてみたなら――どんぴしゃり! 当時小学生だった私の心を虜にした、あの小説に他ならないのだ。しかし、そんな風に心に残っていたわりに、内容をほとんど忘れていて、まったく知らない物語を読むように読み直したのは、ちょっとショック。

   

最後のページの裏には、こんな薔薇のイラストが白いペンで描かれている。なんか――表紙の感じといい、この薔薇の絵といい、昔の宝塚っぽくていいね。

正直言って、時代遅れの人間である私には、今の若者向けの騒がしい児童文学より、こういうレトロなものの方がずっと好き。自分が子供だった頃を思い出させてくれるし、どこか今の時代にはない優雅さや、情感を感じさせてくれるからです。

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赤頭巾ちゃん 気をつけて

2022-01-30 17:36:13 | 本のレビュー

庄司薫の「赤頭巾ちゃん 気をつけて」を読む。高校生の時読んで以来、実に34年ぶりの再会。1969年に発表された、50年以上も前の文学作品なのだけれど、今も瑞々しさを失わず、とても初々しい青春小説!

高校時代、部活の先輩が「この『赤頭巾ちゃん 気を付けて』を読んで、とても感動したなあ」と言っていたことも、懐かしく思い出す。

さて、この永遠の青春小説がどういうものかというと――主人公の名前はやっぱり、「薫」君。1969年当時、東大進学率ナンバーワンを誇っていた日比谷高校三年生。ということは、受験生なのだが、御多分にもれず、学生紛争吹き荒れる時代にあって、東大も安田講堂襲撃などのため、入試が中止。 薫君は、12年飼っていた愛犬ドンが死んだり、幼なじみでガールフレンドの由美とケンカしたりという日常の中で、大学へ行かない決心をする。

小説の内容は、こんな薫君の日常や内面を、饒舌にして軽やかな口語体で綴ったものなのだけれど、それが新鮮で、かつ面白いのだ! 半世紀以上も経っているのに、古びたものなど感じさせず、一気に読了してしまったほど。 もともと、そんなに青春小説というものが好みというわけではなく、以前話題になった朝井リョウの「桐島 部活やめるってよ」も少しも面白くなく、(こんなの、どこがいいのかな?)と思いながら、斜め読みしてしまった私。でも、この「赤頭巾ちゃん、気をつけて」はぴたりと、好みのつぼにはまってしまいました。柴田翔の「されど我らが日々」もそうなのだけれど、まだ日本という国が、青春時代のまっただなかだった時代の息吹が感じられて、とても、とても良いのです。

主人公の薫君は、名門高校の学生で「東大法学部」とか、日比谷高校がどんなにエリート意識まるだしの「いやったらしい」学校であるかの描写が何度も繰り返されるのですが、その書き方が全然「いやったらしく」ないのが不思議。この日比谷高校では、皆がり勉などしておらず、生徒会活動や部活動、文化論がものすごく盛んで、「一体、いつ勉強してるんだ?」という状況らしいのですが、薫君はそこに、日比谷高校生の密かな選民意識を感じて、「いやったらしい」と書く。でも、この高校では、試験が年に二度しかなく、後は生徒のご自由にという方針なのだそう。担任の先生も、生徒が自由に選べ、学校の自治も生徒まかせなんて、私から見れば、すごく自由な学校でいいな~としか思えないです。

それにして、1969年という高度成長期の時代は、まだ東京の街ものんびりしていたのですね。私は今のTOKYOより、当時のゆったりした雰囲気に憧れます。この時代に、生きてみたかった……。

  

作中、薫君が、自分の母親や由美と待ち合わせするティールームとして、「銀座ウエスト」が登場しますが、いかにもレトロという感じでいいな~。上の写真も、「銀座ウエスト」のドライケーキであります(これから、食べよう)。ここのお菓子の上品で軽やかな味が、とても好きなのです。

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怪奇小説集 

2022-01-11 15:34:17 | 本のレビュー

遠藤周作「怪奇小説集」を読む(角川文庫刊)

中学時代、熱烈なファンだったのに、まったく読まなくなっていた遠藤周作と何十年ぶりかで再会を果たした本書――とても、とても面白かった!!

今更ながらに、遠藤周作がどんなに素晴らしい作家かということに気づかされてしまった。ああ、どうして読まなくなってしまっていたんだろう?(深く、後悔する私)

  

表紙もシュールだが、実を言うと、この本が始めて書かれたのは、1960年代。ずっと昔のものなのに、少しも古びていない! 今なお生き生きと躍動している。 そして、文章が実に、実に素晴らしいのだ。情緒が感じられ、人間というものの深みをとらえ尽くし、しかも息をつかせぬ面白さである。私は、もともと怪奇小説の類が好きで、それなりに読んできたつもりだが、今流行りのホラー作家など足元にも及ばぬほど、濃くて深い(小池真理子とか、小野不由美とか)。

収められている短編は、全部で15編なのだが、そのどれもが傑作で、希代のストーリーテラーぶりに唸らされながら読了。作者が若い頃、留学していたフランスの地方都市ルーアンで出会った怪異譚(これは、本当のこと? それとも、狐狸庵先生独自のホラ話?)など、雰囲気たっぷりで読んでいるこちらにも、1950年代のルーアンのもの寂しいような街並みと、そこに佇む古ぼけたパン屋の姿が浮かび上がってきた。いまだに謎として取り上げられている元国鉄総裁の下山事件を取り上げたり、戦争当時いじめた下士官と戦後、諏訪に向かう電車の中で再会し、彼から昆虫にまつわる、手ひどいしかえしを受けたり……一篇、一篇がバラエティに富んでいる。

個人的に、思いっきり笑ってしまったのは、正統な怪異譚とは言えない「甦ったドラキュラ」。狐狸庵先生を彷彿とさせる主人公のところに、劇団員の青年が、怪奇バーに、モンスターの扮装をして客をこわがらせるバイトについたという話をする。

ところが、そこにドラキュラの扮装をしていたバイト仲間の青年が、薄気味悪く、妖しい。端正な顔をしているのだが、やたら色が白く、唇も赤いのも不気味だ。この話をしてくれた青年も嫌々ながら、彼と組んで働くのだが、どうもこのドラキュラの挙動がおかしい。バーにやって来た若い女性の首元に近づき、長いことそのままの姿勢でいる。そして、その後、彼女たちは気分が悪くなってしまうという事件があいつぐ。

劇団員は、「この男は、本当にドラキュラなのではないか?」と疑うのだが、真相はあっけないところに落ち着く。

ここは、こんな風に結末づけられている。

『岡谷の仕業だって……どうしてわかるんです」

私は茫然としている竹田にかわって主任にたずねた。

『どうしてですって、その男はここで働いている時、ドラキュラの扮装を「しては、客席におられる女性にきたならしいことを言って、気分を悪くさせていたからです」

『きたならしいこと? どんなことです?』

『それはたとえば……』主任は当惑したように言葉を切ったが『それはたとえば……あなたはウンチのついたパンツをはいている、とかあなたは今、スカベをしただろうと言うようなことです」』

『はァ……』

『女性のお客様は……それだけで気分がお悪くなって……友だちにも言えず……あまり下品な言葉ですから……それが奴のつけめだったのです』」

このくだりに、笑ってしまった。さすが、狐狸庵先生のジョーク。こんなユーモアものやエッセイだけでなく、純文学面でもすごかった。「沈黙」が、なぜ、ノーベル文学賞にならなかったのかがわからないくらいである。大江健三郎よりも、遠藤周作の方がノーベル賞に値すると思うのだけど。

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ノーベル賞……(´;ω;`)そして……

2021-10-08 17:45:47 | 本のレビュー

昨夜、発表された2021年ノーベル文学賞。今年も、落選してしまった村上春樹。 残念です。

受賞したのは、タンザニアの作家とのことですが、ちょっと名前が浮かびません。邦訳もこれから始まるということだし……でも、こんな世界的な賞だというのに、一般に知名度もない作家がほとんどなのは、どうしてなんだろう? アーネスト・ヘミングェイとかサルトルの時代とは、まったく違いますね。

毎年毎年、候補に挙げられている村上春樹氏ですが、彼がノーベル文学賞を受賞することはほとんどないんじゃないかと、私などは当初から思っていました。 ハルキ・ムラカミのエンターティメント性とノーベル賞という性質が、一致しない気がするのです。

 

  

こちらは、今月初め開館したという、早稲田大学の村上春樹ライブラリー。 実は、私もここに募金してしまいました。今まで募金したのは、「盲導犬育成基金」だけ。「アミーゴ」とか別のところで募金箱を見かけるたびに、数百円ほど募金していました。

映画「クイール」を見て、クイールの健気さ、賢さに泣いてしまって以来、盲導犬というものを応援したくてたまらないのです。

しかし、今回募金までしてしまったのは、何故かというと、村上春樹が、私の青春の作家という思い出のため。高二の時、彼の作品を初めて読んで、世界が生まれ変わるような気持ちになったとこは、今も鮮明に記憶しています。「ノルウェイの森」、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」etc.

今は別に、それほどファンという訳でもないのですが……しかし、上記の図書館へは、コロナがおさまったら、ぜひ一度行ってみたいと思っています。 どんな図書館なのだろう?

 

p.s 今後、日本人作家がノーベル文学賞を取るとしたら、私は小川洋子だろうと確信しています。

    

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地球星人

2021-06-30 10:56:16 | 本のレビュー

村田紗耶香の「地球星人」を図書館で借りて、読む。

村田さんの作品は、「コンビニ人間」しか読んだことはないのだが、今度の「地球星人」もシュールな味わいで、とても面白かった。

主人公は、自分を「ポハピピンポボピア星」からやって来て、地球人の間にまぎれて暮らしているのだと感じている少女、奈月。彼女は家族からも周囲の人からも「なんとな~く」疎外感を感じているのだが、自分によく似ていて、どこか植物質な感じのする従弟由宇と、幼い恋をする。だが、二人は会えるのは年に一回の夏、過疎地すれすれの山奥の祖父母の家で親戚一同が集まる時だか。

由宇も自分を宇宙人だと信じていて、自分の母星へ帰るための宇宙船を待っている。

彼らは自分たちの結びつきをより確かなものとするため、結婚式まであげるのだが、それが大人達にばれて、引き裂かれてしまう。ここまで読んで、次はどうなることかと思っていたら、あっという間に年月が飛んで、草深い「秋級(あきしな」の田舎から、千葉のニュータウンに場所も飛び、奈月はすでに結婚までしている。

しかし、大人になった今も、人間社会には溶け込めないものを感じている奈月。彼女にとって、人のいる社会は、「人を生産することを、無言のうちに強制する」人間工場であるのだ。自分が部外者であることを知られることを恐れつつ、その反面、人間工場の部品として生きるよう洗脳してほしいと願っている奈月。

彼女が伴侶に選んだのも、ネットのサイトで出会った、「肉体的接触をいっさい、おことわり」の青年。二人の奇妙な生活は、外には普通と見せかけながら、平和(?)に営まれているのだが、そこへ無人となった秋級の家に、従弟の由宇が一人住んでいると聞いた時から、はっきり不穏な旋律を奏で始める。

職を失った都会育ちの夫が、「今まで話に聞かされていた秋級の土地に行ってみたい。田舎は僕の憧れなんだ」と言いだしたことから、奈月は夫と共に、数十年ぶりに、山奥の家に足を運ぶのだが、そこで待っていたのは、由宇だった――。

どうですか? なかなか面白そうな話でしょう? この僻地の一軒家に勢ぞろいした三人は、互いに反発したり、好意を持ちあったりしながら、ついには「自分は、人間工場の部品ではない。ポハピピンポボピア星人なのだ」という認識を新たにし、裸で暮し、近隣の土地から野菜などを盗んで暮すようになる。実言えば、奈月は小学生の時、自分の通っていた学習塾の先生から、こっそり性的虐待を受けていたという過去を持っていた――その復讐のため、ある夜、先生の家に忍びこみ、先生を惨殺した。

その真相を数十年ぶりにかぎつけた、先生の両親が復讐のため、秋級の地までやって来たのだが、奈月たちは逆に彼らを殺してしまう。ちょうど腹が減ってたまらなかった奈月や由宇たちは、先生の両親の死体を「豚を解体するように」ノコギリで処理し、料理して食べてしまうのだ。

「……地球星人の肉はおいしかった」と結ばれている文……この素晴らしきショッキングな展開。ここまで来たら、異星人になるというより、人間やめなくちゃいけないよ///

これまで似た小説を読んだことがないためもあるのだけれど、とても面白かった。文章も密度が濃いとかアクが強いというのではなく、けっこうさらさらと読める。村田紗耶香――この作家って、本当にユニークな感性をしている。「コンビニ人間」といい、本人は一体、どんな人なのだろう?

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