ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

朝のガーデンにて

2021-03-27 19:27:43 | ガーデニング

今の時期のノエルハーブガーデンは、白い花でいっぱいです。葡萄小屋の前にも、白い花がたわわに垂れ下がり、ごらんの通り!

    クリスマスローズの姿も、庭のあちこちにいっぱい。この清楚で上品な姿は大好きですね。

ガーデンの黒フェンス越しにのぞむ離れ(その横に日本庭がありますが、木々に隠れて良く見えませぬ(´;ω;`)ウゥゥ。

        

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青いパパイヤの香り

2021-03-24 11:49:52 | 映画のレビュー

若い頃、何度も繰り返し観た「青いパパイヤの香り」(1993年制作)とようやく再会することができました。二十年以上も前に観た映画は記憶に残っているままで、懐かしさのあまり、翌日繰り返して観てしまったくらいであります。

ベトナムの湿潤な風土。主人公の少女ムイの愛らしさ、エキゾチックな風景描写……ああ、なんて心を揺さぶる映画なんだろう。はじめてこれを観た時の若かった自分の感情や心象風景まで思い出してしまい、しばしぼんやりとしてしまった私。

それほど、心に残る映画だった「青いパパイヤの香り」。今、観ても人の情感に訴えてくる傑作であります。

舞台は、1951年のベトナム。主人公の幼い少女ムイは、田舎から都会の家に住み込みの使用人としてやって来ます。戦後間もなくのベトナムって、こんな感じだったのか……そこでは、なぜか中庭の炊事場が、ムイの生活圏。蛙も住み、南国の植物があちこち茂っている中庭――この家にはもう一人、老女の使用人がいるのですが、彼女も女主人もとても優しい。

 

 

そこで、ムイは幼いながら、家の床拭きをしたり、料理を作ったりするのですが、この料理を作る場面が秀逸なのだ! 

大きなホウロウのタライには、黒い鯉みたいな魚が生きたまま泳いでいたりするし、小松菜を思わせる野菜に豚肉らしき肉を鍋で炒めるシーンは、とても生き生きとして目が離せません。はっきり言って不衛生なはずの庭の炊事場なのに、その料理が何だかとっても美味しそうなのです。生きた魚を、どう料理するんだろう?

 ベトナム料理って、いつか食べてみたいな。

   

ムイが中庭の炊事場で、ご飯を食べる上の写真のシーンーーえもいわれぬ愛らしさですね。

彼女は一日中働きづめなので、文字も知らないし、あまり喋ることもないのですが、地面を這う蟻を見たり、コオロギを竹の籠に入れて飼ったりする感性豊かな、いい子。家の奥に引きこもっているお婆さんにずっと恋し続けているおじいさんと仲良くなり、彼をお婆さんの元へ案内してあげたりまでします。

終始静かなトーンで、台詞も極力排されているため、返って場面に描かれている情景の美しさ、ベトナムの家庭のあり方などが、こちらの感性に響いてくる音楽のごとき映画です。

食事に使う器や、家具、緑濃いむせるようなベトナムの風景――これらのものは、ベトナム人にとっても、遠い郷愁を感じさせるものではないでしょうか?

こんな風にして十年という時が過ぎ、すっかり大人になったムイ。女主人は未亡人となり、家は結婚した長男夫婦が引きついでいます。不景気で使用人を雇う余裕がなくなったため、ムイは長男の友人であり、大金持ちの独身作曲家の家に働きに出されることとなります。

実はこの作曲家というのが、ムイが子供の頃憧れていた人。時々家に遊びに来る長男の親友のために、胸をときめかせ、精一杯身ぎれいにして、料理を彼の前に運んだりしていたのですが、このシーンがとてもかわゆいのだ。

――とまあ、この前奏曲があって、大人になったユイが、彼の家に使用人としてやって来たことで、シンデレラストーリーが展開します。

彼は良家のお嬢さんであるフィアンセを振って、文字も知らぬ使用人のユイを選ぶのですが、正直、こういうロマンチックな話より、ベトナムのエキゾチックさに目が吸い寄せられていた私でした…… 大人のムイは仏像を思わせる美人かもしれないけど、子供時代の方がずっと魅力的に思われたし。

     

作曲家から、作文を教わるムイ。彼女が美しいベトナム語の詩を、こちらに向かって語り掛けるところで、映画は幕を閉じます。こうした観客の心の襞にそって寄り添ってくるような映画は、ありそうでなかなかないもの、というのが観終わっての感想。

でも、熟していない青いパパイヤって、どんな香りがするんでしょうね?

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久しぶりの喫茶店

2021-03-18 16:09:25 | ある日の日記

コロナ禍の中、ほとんど外食というものをしなくなっていました。テイクアウトのものを買ってきて、外食気分を味わってすませていた……しかし、今日は本当に久しぶりに「喫茶店」へ行ってきました。

   

愛知県を中心にチェーン店展開をしている「らんぷ」。外観は、ご覧のように蔵造り。このレンガ仕立てのものと、普通の黒いやつと二棟建てになっています。

コーヒーも、癖がなくて美味しかった! 内部も、黒い土蔵仕立てで、竹久夢二のリトグラフが壁にいくつも飾ってあるのであります。

   

写真ではよくわかりませんが、窓ガラスも少しびいどろ調。現在主流の明るいガラス張りのカフェより、くつろげます。

また、来よう。

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アントニーとクレオパトラ

2021-03-17 15:01:54 | 映画のレビュー

映画「アントニーとクレオパトラ」を観る。かの名優チャールトン・ヘストンが自身で主演・監督も兼ねたという力作。

「ベン・ハー」や「十戒」、「エル・シド」で忘れがたい名演を残してくれたチャールトン・ヘストンがどんなアントニーを見せてくれるのか、とわくわくしながら、自室のDVDプレーヤーでミニ・ロードショー。

――やっぱり、見ごたえ十分で、一度も退屈することがなかった。やっぱり、スケールの大きな歴史映画って、素晴らしい!

と思うのも、古代ローマが好きで、「クレオパトラ」に至っては、リズのものはもちろん、ヴイヴイアン・リーの「シーザーとクレオパトラ」を何度も観ている私だからかもしれないのだけど。

この映画は、シェークスピアの戯曲を忠実になぞったものだそう。だから、ストーリーや展開はよく知っている通り。実は、父がシェークスピアの戯曲集をシリーズごと持っていたこともあって、そのエンジと白の二色がアクセントになっている本を、私は小学生の頃から何度も読んでいた。もちろん、子供向けなどではなく、登場人物のセリフは格調高く、扉ページには、本国英国で上演されたとおぼしきモノクロの舞台写真が幾枚もあったもの。

その頃の記憶を懐かしく思い出してしまった私。あの扉の写真には、玉座に座って最後を迎えるクレオパトラの姿もあったなあ……と。「アントニーとクレオパトラ」は言うなら、滅びの美を描いた物語。アントニーは「あの若造」であるオクタヴィアヌスに敗れて死に、ローマでさらし者になることを悟ったクレオパトラは自ら死を選ぶ。

しかし、ここでのアントニーはもはや英雄などではなく、すごく見っともないのだ。決死の戦いである「アクティウムの海戦」でも、臆病風に吹かれたクレオパトラの後を追って、味方を捨て敗走。クレオパトラ自殺の誤報に惑わされ、部下に自分を刺すことを命じるものの、アントニーにどうしても手を下せない部下は、自分自身に剣を向け死んでしまう。その時、クレオパトラがまだ生きていると知ったアントニーは、瀕死の状態で、彼女の元へゆく。最後は、彼女に看取られて死ぬ――冷徹で、情に動かされないオクタヴィアヌスとは何という違いだろうか?

  

クレオパトラやアントニー、オクタヴィアヌスがかくも、ドラマチックで波乱に満ちた物語を繰り広げていたのは、紀元前のことで、はるか昔のこと。だから、とっくに生身の彼女たちの面影を知っている者などいる訳でもないのだけど、興味深いのは歴史や物語が伝える彼らの人物像が、ぶれることなく、はっきりしていることだ。

つまり、クレオパトラは才気に満ち、妖艶で情熱的、アントニーは開放的で、明るい性格の将軍。対して、オクタヴィアヌスは冷静で、情に流されない。

この映画を観て思ったのだけれど、もしクレオパトラという稀代の美女がいなくても、結局アントニーはオクタヴィアヌスに負け、ローマの利権は、このシーザーの甥の手に渡ったのではないだろうか。

アントニーは人間的魅力はあるかもしれないけれど、そう賢いとは言えない――冷静に情勢を判断することができなかったから「アクティウムの海戦」という、不利なはずの海の戦いに挑んだのだから。どちらにしても、この時のアントニーは、すでにシーザーが暗殺された時、元老院議員の前で名演説を繰り広げ、ブルータスを死に追いやった時の彼とは違っていたはずだ。

対して、オクタヴィアヌスは堅実で、冷たいほど理知的。もう四十前とはいえ、有名な美女クレオパトラを前にしても、自分の勝利を飾るためにローマへ連れてゆくことしか考えていない。たしかに、このオクタヴィアヌスなら、大叔父シーザーの失敗を、胸に刻んで、「自分が皇帝だ!」と声高に叫ぶことはなかったろうし、大ローマ帝国を築くこともできただろう。

どこかで読んだのだけど、オクタヴィアヌス(もしくは、アウグトゥス)が七十歳も過ぎ、死ぬ何年か前のこと――彼はローマ帝国内の視察におもむいた。そこで、湧きあがる「アウグトゥス万歳!」の歓声。

ここで普通の皇帝なら、さもうれし気に手を上げて答えるところ、彼は「民衆に」の金貨の入った袋を渡すのだが、それが「たっぷりの褒美」というのではなく、きっちりとしたつつましい金額だったというところ。

う~ん、この嫌になるほどの堅実さが、大ローマを作ったのですね。

 

 

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眠れる森の美女

2021-03-17 11:37:16 | 映画のレビュー

ディズニーアニメ「眠れる森の美女」を観ました♫

上の画像で紹介している有名なシーンの絵も、馴染み深いものなのに、今まで一度も観たことがありませんでした。という訳で、生まれて半世紀もたってから、ようやく「眠れる森の美女」初体験となったのですが、綺麗ですね~豪華絢爛というか……ため息をついてしまったわたくしであります。

「眠れる森の美女」とは言うまでもなく、シャルル・ペローの寓話集に出て来る有名な童話。別名、いばら姫。ヨーロッパの中世を思わせる時代、とある国に生まれた、暁のように美しい姫。しかし、彼女は両親が誕生パーティーに招かなかった魔女の呪いにより、十六歳の誕生日の日、糸車のつむじに指を触れることによって、死んでしまうという呪いをかけられてしまいます。

それを救ったのが、善き妖精の言葉。妖精は、あまりに強力な魔女の呪いは解くことはできなかったものの、「死」ではなく代わりに「眠り」を与えます。姫が眠りについた時、城の者たち皆も眠りにつき、それは百年の長きにわたるのですね。その長い月日の間には、城も高い茨に覆われてしまい、そこに城があったということさえ、昔語りにすぎないことになってしまいます。

そうして、ある日、この深い茨の茂みの奥深く眠る姫を求めて、ある国の王子がやって来た時、彼女は目覚める――まったく、人間の心の奥深くに眠る詩心を揺り動かさずに入られないような、素敵な物語です。「グリム童話」や「シャルル・ペロー童話集」を読んでみて思うのですが、昔の人は何と素晴らしい想像力を持っていたことか。 石造りのお城、魔女、ロバの皮をかぶった王女様、太陽の色に輝くドレスや夜そのもののようなドレス、いくら食べてもへらないおかゆ――。

     

さて、この映画ですが、有名な童話を扱っているとはいえ、そこはディズニー。基本のストーリーは一緒ながら、大胆なアレンジを加えております。だって、主人公のオーロラ姫は糸車のつむじに触れて、眠りについてしまうものの、百年もいばらの森にいるわけではありません。案外、あっさりと王子様に救い出されてしまうのであります。ここが少し物足りないかな? でもそんな気持ちも、ファンタジックな画面の美しさを見ると淡雪のごとく、消えてしまう。やっぱり、ディズニー美術って素晴らしいなあ!!

そして、これが面白かったのですが、魔女マレフィセント

が、往年のアニメ「ヤッターマン」のドモンジョに似ているような気がする……。

何となくですけど。

  

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夕方、ガーデンにて

2021-03-16 08:43:03 | ガーデニング

ノエルの散歩に行く前、ガーデンでひと休み。いつの間にか、クリスマスローズが至るところに咲いていました。この白い花びらの中に、薄っすらと緑の入った上品さが、いいなあ……。

  

これはありふれたパンジーですが、この紫色が何とも言えず好きです。

            

もう一つの方は、ハンギングバスケットにしているのですが、もう夕刻という時間で、下のクリスマスローズやキンセンカの花がごちゃごちゃして、綺麗に撮れませんでした。でも、ハンギングバスケットのように、上から吊るすと、庭に立体感が出て、平面的な印象ではなくなるのです。イギリスへ行った時も、ロンドンの街の元ガス灯だったと思われる黒い鉄柱に色鮮やかな花のハンギングバスケットが吊り下げられていて、そのカラフルさ、美しさに目を奪われたもの♪

これはガーデンの黒いフェンス越しに見る離れの二階の窓です。知らぬうちにインテリアを変えることが趣味の母が、ムーミンのマグカップを窓辺にずらりと並べていました。一番はしっこにいるのは、なぜかトナカイの置物。もう春だと思うのですが……。

  

温室の棚の上では、元カレンダーの写真だったオオカミがキリリとした目で、こちらを見ています。たぶん、カナダとかの森林で撮られたものなのだろうな。とても美しい狼であります。 隣にあるのは、鳥の飾りがついたブックエンドなのですが、重すぎ使いにくいので、温室の棚が住み家となっております。

 

 

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