ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

ひるね姫

2019-10-26 19:07:46 | 映画のレビュー

 

アニメ映画「ひるね姫」を観る。確か、二年ほど前、岡山は倉敷児島に住む女子高生ココネを主人公にしたと話題になっていたはず。

        

岡山が舞台になるとは! これは珍しい。その時、観たくてたまらなかったはずなのに、映画館に足を運ぶこともなく、忘れてしまっていました。

けれど、この度ようやく観ることができた「ひるね姫」――こういう映画だったのか……。

面白かったか?と聞かれると、前半はまずまずなのだけど、後半のバトルは訳がわかんなかった――と告白せざるを得ません。

瀬戸大橋やそのたもとの道路、家並みなど、地元をよく知る者としては、「あの風景が、アニメの画像ではこんな風になる!」と新鮮で食い入るように、観てしまいました。

だけど、ココネの現実の生活は、それなりに面白いのに、彼女の夢に出て来るファンタジー世界はあまりピンとこないな。(これは、私がハイファンタジーが苦手なせいかもしれないのだけど)

このココネとしての物語と、夢の中でのエンシェンとしての物語がリンクして、2020年の東京オリンピックとココネの祖父がオーナーである自動車会社が開発した自動運転技術を巡る陰謀へつながってゆくというものですが、ちょっと脚本が消化不良気味かも……。

                             

ラストのバトルシーンが意味がわからないし、そこで戦っていたはずのココネが、どうして突然、祖父の自動車会社の何十階もの高さの吹き抜け空間にぶら下がることになるのか、よ~わからん💦 これって、ココネが途中で夢から醒めたということ?

それでも、ココネの父親が営んでいる自動車修理工場の佇まいや、岡山弁(地元の人間からすると、リアルな岡山弁とはちょっと違うような気もするのですが)が次々飛び出すココネ達の会話は、とても新鮮!

我が故郷である岡山って、なかなか味のある土地なのかも――これって、ローカルファンタジーの一種かな?

 


日々のこと

2019-10-15 16:21:05 | ある日の日記

 

ヘアーサロンに行った後、フォションカフェで甘めのランチ。これ、名前はちょっと度忘れしたのだけれど、フレンチトーストであります。

Fの文字がシュガーの間に見えるのも、刻印のようですね。 バニラアイスとアプリコットジャムが添えてあり、アップルティーで一緒に楽しみました。

先月末は、カリグラファーズ・ギルドのワークショップのため、大阪へ。イギリス人カリグラファー、ジャン・ピケットさんが指導して下さったエンボスが難しかった!  

               

 他、パステルや水彩絵の具、色鉛筆など使って、デザインの仕上げをするというものですが、本当にデザインとして完成されたものを作るというのは大変なことなのですね。 1ミリずれたり、余計な要素が紛れ混んでしまうだけで、デザインに夾雑物が入ってしまう……そんなことをピケットさんの美しい展示作品に溜息をつきながら、考えさせられました。

今の私に、最優先事項なのは、「時間を上手に使うこと」。年と共に持久力がなくなり、一つのことを片づけても、次のことにさっさと移れず、ぽーっとしてしまいがち(この時間が、長すぎる!)。

片付かないことが色々ありすぎて、困っているのですが、少しでも整理していきませう

 

 


ミッションインポッシブル フォールアウト

2019-10-15 15:06:24 | 映画のレビュー

  

映画「ミッションインポッシブル フォールアウト」を鑑賞(2018年 アメリカ 147分)。

久しぶりのトム・クルーズ映画! 観たくてたまらないので、用事を手早くすませた後、DVDロードショーという運びに。

昨年撮られたという今作品で対面するクルーズ――さすがに、老けましたね。私の世代からすると、トム・クルーズというスターは永遠に「トップガン」や「レインマン」などに見る青春スターという記憶が強烈なので、50歳を過ぎた彼の佇まいには趣深いものがあるのです。

しかし、これはかの「ダイハード」と並ぶハードアクションシリーズの「ミッション インポッシブル」。全編、これでもかとばかりのスパイ戦とアクションが続きます。 冒頭からして、核兵器プルトニウムを巡る緊迫の場面から始まり、、トム演じるイーサン・ハントは、パリ、ロンドン、カシミールを広大なスケールで駆け巡る!

2万フィートの上空から、パリの街めがけて飛び降りたり、カシミールの雪山の上をヘリコプターで敵を追い詰めるなど、息もつかせぬアクションが次々飛び出し、正直ついていくのがしんどいですね。しかし、このアクションを五十才を過ぎた大スター、トム・クルーズがやってのけるというのが、何とも素晴らしい! スタントマンなしで、活劇の危険なシーンをこなすというところに、トムの並々ならぬプロ意識・映画への深い情熱が感じられます。

                        

敵の手に奪われたプルトニウムを奪回すること、元英国諜報部員の裏切り者をめぐって二転三転するスパイゲーム――以前から思っていたことですが、スパイ小説とか国際陰謀の物語というのは、ハイスピードで目まぐるしく情勢が変わり、入り組んだ内容となっているので、理解するのが大変ですね。 私などからすると、フォーサイスの「ジャッカルの日」ぐらいが程よく、最近のハリウッドアクションは、ハイテンション・ハイスピードすぎる! これは、ロバート・レッドフォード&ブラッド・ピットの「スパイゲーム」を観た際にも感じたことです。

 

それでも、なおパリの街を車やバイクで疾走するアクションシーン、カシミールの高地にあるキャンプ風景などに、スケール大きな物語にしかない興奮を味わったもの。そして、年齢を重ね、スターとしての厚みも感じさせられるトムに再会できたのも、とてもうれしいことでした。

これを機会に、今までシリーズの最初のものしか見ていなかった「ミッションインポッシブル」シリーズも観たくなりました。それにしても、このシリーズ、今まで何作作られたんだろう?


ラーニア王妃

2019-10-10 08:24:23 | アート・文化

最近、ヨルダンのラーニア王妃のファンです。インスタグラムや写真を見ては、うっとり……。

今では、ハリウッドの最近人気の若手俳優や、女優にも心が動かなくなってしまっていたのに。こんな憧れのスターを

仰ぎ見るような気分になったのは、本当に久しぶりです。

ヨルダンと言えば、旧約聖書の舞台ともなった中東の小国。イスラエルにも近く、古代の隠されたロマンがいくつも

ありそうな国ですね。この間、イギリスへ行った時、どこかのロビーに置かれていた新聞にヨルダンのペトラ渓谷への観光案内が写真入りで

載っていたのを覚えているのですが、日本ではあまりヨルダン観光は一般的ではないよう。

     

そのヨルダンを代表する美女であるラーニア王妃――その容姿の魅力は言うまでもなく、ファッションセンスがとても素晴らしい!

          

かっちりしたロイヤルファッションというものではなく、普通の人がステキだと思うエッセンスが散りばめられた華麗なファッションなのです。

上品だけど、退屈というのでもなく、ゴージャスでこれ見よがしというのでもない。華やかでありながら、適度にシックで、いわゆる「大人かわいい」のオーラが漂っているのが、こよなくいい!

インスタグラムで見る限り、ラーニア王妃は、世界の社交界でのファッションのお手本であるようですね。

アラブの美女が、世界で最も美しい、とどこかの本で書いてあるましたが、日本にいると、かの国はどこか遠い――ヨーロッパやアメリカに比べて、神秘のカーテンがかかっている感じ。 もっと、ラーニア王妃のことが知りたい、と思うのは私だけではないはずと思うのですが……。

 

      これが、ヨルダンの素晴らしき遺跡――ペトラ!


星々たち

2019-10-05 10:03:38 | 本のレビュー

  

桜木紫乃「星々たち」(実業之日本社)を読む。とっても、面白い!

何年か前、直木賞を受賞し、一躍知られることとなった桜木さんなのだけれど、私がその著作を読んだのは比較的最近。

しかし、その文章の素晴らしさ・鮮やかさにすっかり瞠目してしまったのだ――これは、凡百の作家とは違う……。

作品のほとんどは、桜木さんの生まれ育った北海道を舞台にしており、その北の大地に生きる人間たちの生態を描いている。それは、平凡というにも程遠く、通常の幸福から切り離された過酷な人生といっていい。だが、そのざらつくような質感が、鮮烈な言葉で描きだされた時、そこには小説を越えた、一個の人間ともいうべきものが立ち上がってくる。

そんな風に、桜木さんの作品を捉えていた私だけれど、この「星々たち」は、塚本千春という女性をメインに、彼女の周囲の人々の物語を通して、その姿をプリズムのように浮かび上がらせるという構成になっている。

シングルマザーの母親は、千春を置いて逃げるし、千春自身、二度離婚し、文章を書いてみたりするものの、交通事故に遭い、ひどい怪我を追う、といった惨憺たる人生を生きる女性の記録だ。

物語の終盤、ボロボロの姿で、山あいのバス停留所に立つ千春を、元編集者だった男性が見つけ、しばらく家で休ませてやるエピソードがあるのだが、ここで千春は「すみません。怪我した顔から、今でもガラス片が出て来るんです」と言う。

そして、彼女は鏡を見ながら、顔に刺さったガラスを取るのだが、それが、手の中でキラリと光る。こんなことが本当にあるのか……この描写一つ取っても、奇妙なリアリティが立ちこめていて、頁を繰る手がやめられなかったほどである。

千春は、元編集者に、「別れてしまった母が、東部の町にいると聞いたもので、そこを訪ねてみるつもりです」といい、バス停で別れる。

そこで、千春は作品からも消えるが、不思議に悲壮感はない。荒々しい風の向かう大地を、すっくと胸を張って歩いてゆくような潔さである。

元編集者は、千春から聞いた、彼女の人生の物語を、一篇の作品として描く。本となったそれを、今は司書となった千春の娘、やや子が図書館に入った新刊として手に取る。

やや子は、その表紙のカバーに描かれた星空に心惹かれるものを感じる。「『星々たち』、青いカバーに記された銀色のタイトルをつぶやきながら、満天の星空を思い浮かべた。やや子の胸の内側で、星はどれも等しく、それぞれの場所で光る。いくつかは流れ、そしていくつかは消える。消えた星にも、輝き続けた日々がある。 昨日より、呼吸が楽になっていた。自分もまたちいさな星のひとつ――。

やや子には表紙カバーの青色が明るい夜空に見えた。頼りない気泡のような星たちを繋げてゆくと、女の像が浮かび上がる。誰も彼も、命ある星だった。夜空に瞬く、名もない星たちだった――。」

この最後の文章――実に素晴らしい!  余韻とは、こういうものを言うのではなかろうか。