昭和53年に載っていた亡き先生の作品
学生の頃の嵯峨誌が実家にありその中から見つけました。
いつか私もこんなお花が挿けられるようになりたいとそのページを大事にとっておりました。
やっとその機会が巡ってきました。
山茶花の内用・・・
研究会に通い始めてまだまもない頃
お生花がどうにもうまくはいらなくて四苦八苦していた私の側にそっときてくださり
留の枝の見本を作ってくださいました。
あの日ことがついこの間のことのように思い出されます。
先生の優雅なお花には程遠い出来ですが
だからこそこれからももっともっと精進したいと思います。