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震災から2年、被災各地で祈り

2013年03月11日 14時13分30秒 | Weblog
gooのニュースだけではなく、何処を見ても「東日本大震災」の報道がされている。

とりあえず、その中から、gooのニュース「特別な日」「忘れたくない」=犠牲者思い、被災各地で祈り【震災2年】2013年3月11日(月)12:21(時事通信)を添付する。

内容は以下の通り
1万8500人余りの死者・行方不明者を出した東日本大震災は11日、発生から2年を迎えた。
「特別な日」「震災の日を忘れたくない」。遺族らはそれぞれの思いを胸に被災現場を訪れた。

震災で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町。津波に襲われ、約40人が命を落とすなどした同町の防災対策庁舎では同日午前、犠牲者を追悼する人々の姿があった。

同県石巻市の元職員で、今年1月から県の任期付き職員として同町に派遣されている男性(65)は同庁舎の祭壇に花束を手向けた後、目に涙を浮かべ、「きょうは特別な日。少しでも南三陸町の皆さんのために頑張る」と語った。

大学時代の友人の女性=当時(21)=を失った仙台市の女性(23)はほぼ毎月、同庁舎前で祈りをささげている。
友人の実家がある同町に遊びに来て震災に遭遇。友人は逃げ切れず、車ごと津波にのまれ、亡くなった。
「助けてあげられなくてごめんなさい」。きょうもそっと花束を供えた。

津波で壊滅し、住民186人が犠牲となった仙台市若林区荒浜。
自宅を流され、震災の約1カ月後に避難先で祖母=同(93)=を亡くした会社員の末永仁美さん(31)は、仕事を休み友人と共に荒浜を訪れた。
「祖母を生まれ育った街に連れて帰りたかった」と悔しさをにじませた。
友人夫婦を失った同区の狩野聖子さん(65)は持参した線香をともし、「あの震災の日を忘れたくない」と話した。

津波で避難者約200人のうち90人以上が亡くなった釜石市鵜住居地区防災センターでは同日午前、追悼式が開かれた。 
というもの。

各報道番組で、現在の各地の様子が放送されているが、どこの地域を見ても、瓦礫が片づけられただけ。
その先へは、一歩も進んでいないという事が判る。

復興の予算が付いたって、地域が動いでいないのであれば、何の意味もない。
議員などのコメントを聞いていても、「します」「なります」「計画中です」「予定です」などばかりで、実行しているという言葉は、1つも聞く事が出来ない。
地域の復興復活にあたっては、色々な問題があることは、元土木屋の自分にも判ってはいる。
だから、地域にすべて任せていないで、ある程度の大ナタを振るってあげる必要があると思う。
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