虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

十二夜 (1996/イギリス)

2005年06月19日 | 映画感想さ行
TWELFTH NIGHT
出演: ヘレナ・ボナム=カーター
    イモジェン・スタッブス
    トビー・スティーヴンス 
    リチャード・E・グラント
    ナイジェル・ホーソーン
    ベン・キングズレー 

 海で遭難して別れ別れになった双子の妹ヴァイオラは男装してオーシーノ公爵に仕える。公爵に恋をするヴァイオラだが、そうとは知らない公爵は、彼女につれない女性オリヴィアとの恋の取り持ちをさせようとする。ところがオリヴィアは男装のヴァイオラに恋してしまう。

 正統派に進行で、思い切った新解釈とかはありません。でもスピーディーにまとめてわかりやすくなってる。気持ちの良いコメディなので、シェークスピアを楽しむにはとてもよいのではないかと思う。もちろん「恋に落ちたシェイクスピア」ファンにもあの映画の関連で楽しむにはこの雰囲気は馴染むのでは。
 シェークスピア劇団の舞台そのままの映像化みたいなのではないので、シェークスピア劇の独特の台詞回し(タタッ、タタッの後半にアクセントがかかる感じ)でなく、普通にしゃべっています。コスチュームがヴィクトリア時代になっているので、男装の主人公の軍服が華奢な感じの顔に映えて、宝塚的・少女漫画風の美少年ムードに溢れ、とっても素敵。私としては、オリヴィアは少し感じが違う。きっちりした自分を作ってきた女性が、ヴァイオラのユニセックスで不思議な美しさと、恋するヴァイオラの公爵代理の口説き文句の裏の恋心に彼女自身の心の中の種火が煽られ、かきたてられ、鎧が落ちていくイメージなのです。
 ほかの映画で主役やってる方たちが脇にまわって愉しそう。ベン・キングズレー、歌上手いです。

鎌倉トレッキング

2005年06月18日 | 日記・雑記
金曜に、ちょっとお誘いがあって
鎌倉歴史散歩というのに参加いたしました。
それが!
散歩でなくてトレッキングという方がふさわしいわよ~
というものでして、
疲れたせいか、目がいかれちゃって情けない状況です。
強い光を避けて、生活してます。
家でも同情されるどころか
「わはは、ドラキュラ女~」
と笑われてます。(同感)
なかなか面白くてためになったし、アジサイの花盛りの鎌倉はとっても素敵でした。
それに、町中に人一人通れるかどうかのハイキングコースが存在してるのがさすが鎌倉でした。だんだんなくなってきちゃってるそうですが。

ハイランダー/悪魔の戦士 (1986/イギリス)

2005年06月17日 | 映画感想は行
HIGHLANDER
監督: ラッセル・マルケイ
出演: クリストファー・ランバート 
    ショーン・コネリー 
   クランシー・ブラウン
   ロクサーヌ・ハート 

 太古から生き続ける不死の一族。彼らが死ぬのは首を斬られた時。彼らはお互いに殺し合い、最後の一人だけが残った時、未知の秘宝が蘇る…。そしてその戦いは現代のニューヨークでも繰り広げられていた…
 
 もう20年も前の映画になるのですね。不死の種族の物語で、昔と現代と時間が行ったり来たりするので設定が呑みこめるまでは「?」だけど、わかってしまえばけっこう面白い。
 それにいろいろ謎なところは残るものの、主人公ランバートとショーン・コネリーがかっこいいので「ま、いいや」と許してしまうのです。悪役の思いっきり期待通りのルックスと言動も好きだし、クイーンの音楽が涙ものです。それになんといってもチャンバラ!チャンバラ以外に形容しようがない!
 ただ、私は現代のスーツを着たランバートがぜんぜんかっこよく見えないし、目つきが鋭いより目つき悪いと思う。昔編の長髪、三つ編みのときは可愛くていいのに…(私は鳩の飛ぶ屋内で一緒に暮らしたくない) もっと納得できないのはヒロインが可愛くないこと。
 ストーリーも昔のほうは型どおりの先輩に鍛えられる勇者もので、そこは良いけど、現代になると謎が多すぎ。なぜあそこでラブシーンになるか?なぜカーアクションがここではいるか?紀元前6世紀の日本刀についても種明かしはほうりっぱなし。別にいいけど。
 ショーン・コネリーとチャンバラで納得しちゃう映画でした。でもさ~、何でショーンコネリーはおじさんなんでしょう?超スローペースでも、歳はとるわけ?これも謎。

犬猫 (2004/日本)

2005年06月16日 | 映画感想あ行
監督: 井口奈己
出演: 榎本加奈子    ヨーコ
   藤田陽子    スズ
   忍成修吾    三鷹
   小池栄子    アベチャン (友情出演)

 東京近郊の小さな家に住むアベチャンが中国へ留学することになり、留守をヨーコが預かることになる。出発の前日、同棲中の家を飛び出してきたスズがアベチャンを頼って転がり込んできて、仕方なく一緒に暮らすことになったヨーコとスズ。しかし二人は長い付き合いだがかつてスズが飛び出してきた彼を争った関係だった。

 こういう映画、好きです。特に「この映画が好き!」とカウントする中からは洩れてしまいそうだけど、見ていて思わずにたあ~とするような共感が感じられて。男の人はどうなんだろう?
 榎本加奈子、藤田陽子、ちょっとでてくる小池栄子もきちんと作った顔でなく、素の雰囲気で出てきます。風呂上りは風呂上りに見える。布団に入ってもまつげがきちんとカールしてあるドラマみたいなことはない。さすがに女優だし、きれいだけど「作った」感のなさが、この女の子の性格に本当にはまってます。
 榎本加奈子は不器用でちょっと好意を持ってる男の人にもどうも自然に和やかに接することが難しくて緊張してしまう。それで、その「自然で和やか」で、しかし友人の心への(男に関しては)遠慮がないというか、関係ないスズにどうしても男の目も心も奪われてしまう。それでも、その反目はあっても、お互いの共感の親密さは実に確実に存在していて、その心地良さは捨てられない…うう、わかる。
 この、不利でも不便でも自分の不器用さを変えられない、ほんとは変えたくない女の子像って「モテる小悪魔な女の子」と別に女の子のあらまほしい姿として女の心のどこかに映っているものじゃないかと思う。「虫愛ずる姫君」からの伝統です。
 榎本加奈子がそれをやるというのもまた面白い。藤田陽子のどこか抜けてような雰囲気も、自身のも、また彼女に向けられる悪意も抜けていく感じ良かった。

 こういう同性同士の信頼関係とか、じゃれあいみたいなのは、数十年ほど前までは男が男にしかわからん、と気持ちよさそうに書いたりしてましたが、最近は「下妻」の如く、少女で描かれること多いのですね。
 それに、出てくる男が実にまともに普通の男で、それでもその男を獲得してグレードアップするという対象でないのもフツーではあるが、ある意味フツーでない。それもまた気分のよさの一因。

周年記念プレゼント当選者発表

2005年06月16日 | 日記・雑記
先にお知らせした
ホームページ開設3周年記念プレゼントの
当選者発表です。

こちら

思ったよりたくさんの方が応募してくださって感激しました。

本当はもっと早く発表しなくてはいけなかったのですが
昨日は中学校中間試験中でちょこっと忙しかったので
抽選はしたのですが、お仕事終わったらバタンキューでした。
すいません。

皆様、本当にありがとうございました。

デンジャラス・マインド/卒業の日まで(1995/アメリカ)

2005年06月15日 | 映画感想た行
DANGEROUS MINDS
監督: ジョン・N・スミス
出演: ミシェル・ファイファー
    ジョージ・ズンザ 
   コートニー・B・ヴァンス
    ロビン・バートレット

 海兵隊出身のルアンは念願の英語教師となったが、受け持ったアカデミー・クラスは問題児ばかりがそろっていた…実話の映画化。

 この映画は「教師についての映画を見てレポートを書かなきゃいけないんだけど、なんかない?」と聞かれて「こんなんどうです?」とだしてきて見た映画。
 初めてこの映画を見た大学生は「『GTO』とか『ゴクセン』みたい。教師も生徒もキャラがかぶってる。」と驚いていた。実にその通りで、私は、『ゴクセン』を見たときにこの映画を思い出したのだった。

 私は原作を読んで、それから見たのでミシェル・ファイアーがどうしてもルアン先生には見えなかった。ちょっと細すぎではないですか?しかし仲間由紀江の下手な取っ組み合いを見た後だと気にならないかも。私は今回は、はじめてみた時より違和感が少なかった。
 映画化するには削らなきゃいけない部分は当然出てくるけど、教師間の関係、周囲の環境も生徒の家庭以外はばっさり削られ、学校組織や予算の問題とも闘わなければならなかったファイター、ルアン先生はずいぶん線が細くなっている。それに授業の描写が、原作よりだいぶ感動が落ちるものになっていると思う。
 だが、不満はあっても、ルアン先生のより良き世界へ、理想へ、自分の可能性へ生徒の目を向けようとする意思と、それに、自分の存在と尊厳を認めてほしい人間が本来もつ欲求は伝わると思う。

原作はお薦めです。

ぼくは怖くない (2003/イタリア)

2005年06月14日 | 映画感想は行
IO NON HO PAURA
監督: ガブリエレ・サルヴァトレス
出演: ジョゼッペ・クリスティアーノ    ミケーレ
   マッティーア・ディ・ピエッロ     フィリッポ
   アイタナ・サンチェス=ギヨン     アンナ
   ディーノ・アッブレーシャ     ピーノ
   ディエゴ・アバタントゥオーノ     セルジョ

 1978年。一面の麦畑に囲まれたたった5軒の南イタリアの小さな村に住む10歳のミケーレ。彼はある日、廃屋の裏で穴を発見し、中を覗いてみると、なんと人の足が。混乱するミケーレ。翌日も見に行くと、それは死体でなく生きている少年だった。

 子どもを見守るきれいなお母さんと、力強い父親、可愛いけれど生意気なまとわりつく妹。
 そんな子どもの長閑な世界と美しい風景のなかでの貧しさ。子どもたちが貧しさで押しつぶされているいるわけではなく、子どもの世界の充足は守られているし、決して貧乏を強調するわけではないけれど寝る姿とか、美人のお母さんの下着姿でなんとなく大人の世界のぎすぎすが伝わってくる。たった5軒の村の中でも、上下の力関係や、イヤなことでもその中で生きていくために受け入れようとする現実が子どもたちの間にさえ存在していることがしょっぱなから、広々とした麦畑をいかにも子ども時代を満喫しているようなシーンから描かれる。子どもにとっては外の世界は可能性かもしれないが、大人が感じているのは、広々とした地平のなかの閉塞感であり、それがじわじわと子どもの世界を侵していく。
 閉じ込められて衰弱しきって、混乱し光にさえ耐えられないような少年を見つけたミケーレは、素直に近づき、自分が出来ることをする。彼だけの秘密のときめきもあるだろうが、彼の行動には、おそらく親から愛され認められてきて育まれた優しさがある。その両親なのに、あのような事態になってしまうのだ。事態が急展開し、父親がミケーレに「忘れろ」というシーンで親子の間は決定的に変わる。ミケーレはそれまでの彼ではなくなる。それでも愛情はそのままだが…
 とんでもない事態の中でも、子どもが子どもとして存在し、麦畑の中で不思議な幸福感のある「散歩」、小さな欲求のために壊れてしまう秘密の共有と、修復の努力…子ども時代の弱さや、子供同士の交流や、子どもから見た大人の歪み方、そして子ども時代から脱皮する夏のその一瞬が目に焼きつくようなラスト。
 画面全体に広がる麦畑の実ったものの豊かさと独特な空気が感じられる。これもアルバトロスの映画でしたが。

ドラクエV

2005年06月13日 | エンタテインメント
 ドラクエVはじめてしまったので、とっても時間が足りなくなってます。
 主人公に名前をつけるときに、あせって4文字以内の勇者ではバイケアしか思い浮かばず、つけてしまいましたが、私のバイケアはただいまビアンカとレヌール城とアルパカの町を行ったりきたりしています。
 ダンジョン内に全然セーブポイントがないんですもんね~
 ホントは一晩でレヌール城のお化け退治しなきゃいけないんでしょうけど、もう3回も町に戻って回復してます。主人公の頼もしいお父さんのパパスは、ふがいない息子のおかげでいつまでも風邪で寝ていなくてはいけません。
 レベル上がるんで段々バトルが楽になっていきます。相変わらず見かけは可愛いモンスターさんたちですが、「つうこんのいちげき」なんか出す奴は嫌いです。
 さすがドラクエで、面白いものですからついやっちゃう。

 イタリア映画の「ぼくは怖くない」と古いところで「大空港」見ましたが、それはまた今度。
 メリングのファンタジー小説「ドルイドの歌」もお薦めしたいけど、とりあえず今はドラクエ!

サハラ 死の砂漠を脱出せよ(2005/アメリカ)

2005年06月12日 | 映画感想さ行
SAHARA
監督: ブレック・アイズナー
出演: マシュー・マコノヒー    ダーク・ピット
    スティーヴ・ザーン    アル・ジョルディーノ
   ペネロペ・クルス     エヴァ・ロハス
    ランベール・ウィルソン    イヴ・マサード

 NUMA(国立海中海洋機関)のエージェント、ダーク・ピットはサハラ砂漠で発見された金貨が南北戦争時に莫大な財宝と共に姿を消した甲鉄艦テキサスを見つける手掛かりになると確信し、発見現場へ向かうことにする。一方、WHO(世界保健機関)の女性研究医エヴァは、ナイジェリアで発生した謎の病原体の感染源がマリにあると判断し、調査に向かおうとするが、独裁状態で国境が閉鎖され、通常ルートでの入国は不可能だった。そこでエヴァは、ピットたちがボートでマリを目指していると知り、ピットに頼み込み、一緒にマリ国境へと向かうのだった。

 原作の人気は知っていましたが、読んだことはありません。NUMA(国立海中海洋機関)の国立って、どこの国立だろうな~?と思ってます。前半の導入部はちょっとかったるかったのですが、追われてからは一直線で窮地に陥っては何とか脱出の繰り返しです。慎重なんて言葉は彼らの辞書にはありません。
 不死身の主人公が、やっぱり不死身の仲間と一緒にドカドカと悪者やっつけてきれいな女の人とハッピーなラストを迎えるという型どおりのヒーロー活劇でした。今時の時代なので、ヒロインも一緒に活劇しないといけないですが。伏線かな、と思ったところろは全部はずされ、突っ込みどころは死ぬほどありますが、全て目をつぶって、アクションだけ楽しんでれば良いような映画ということで、けっこう笑ってみてられます。でもやはり気になるところが一つ。
 この映画の宣伝用のニュースペーパーを見ると「ピットガール」とか、シリーズ化されるのが明らかですが、主人公、いかにも体は動きそうですが、内に秘めた「すごいデキるヤツ」感があんなものでよいのでしょうか?そういう点では相棒さんのほうが水面下の実力がありそうに見えてしまうので、もっと魅力を発散する極めつけのヒーローが良いんではないでしょうか。
 マコノヒーは「10日間で上手に男をフる方法」で見たときは落ち着きもあって、好感持てたので期待したんだけど。

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 で、クライマックスで連想したのが「おお大砲」という、司馬遼太郎の幕末ものの短編。
 江戸泰平の時代に大砲を扱う武士も実践で使ったこともなくなり、大砲の技術がお茶お花のように、秘伝口伝と化していた。幕末の混乱に際し、大砲を出したはよいけれど、その実力が…なんと弾があたったら…という楽しい作品。

試写会ダメでした・勇者の名前

2005年06月11日 | 日記・雑記
実は今日は朝からジュード・ロウの「アルフィー」試写会申し込みに行ってきました。
朝用があって着いたのが受付開始20分前。
満員でダメでした。
「ネバーランド」の時は1時間前から並んだので、やはりそれくらいしないとだめですね。
近所の映画館で公開してくれると良いんだけど…

それから、午後「サハラ」見てきました。
不死身のヒーローものとしては、これでもか、のアクションで及第ではないでしょうか。
見ていて司馬遼太郎の「おお大砲」なんて短編思い出しました。くす。
明日でも感想アップします。

「ドラクエ5」プレステ2版はじめました。
主人公の名前はデフォルトでないのであせって思わず「バイケア」にしてしまいました。4文字以内で勇者といったらそれしか出て来なかったのです。あの映画に涙した皆様、大事に育てますので怒らないでね。

魔人ドラキュラ (1931/アメリカ)

2005年06月10日 | 映画感想ま行
DRACULA
監督: トッド・ブラウニング
出演: ベラ・ルゴシ 
    ヘレン・チャンドラー 
   デヴィッド・マナーズ

 ドラキュラものでも、ロンドンに移ってからの伯爵とヴァン・ヘルシング教授の戦いがメイン。

 吸血鬼映画で、私が一番初めに見たのは忘れちゃったけど、もしかしたら吸血鬼パロディコメディだったかも。それからクリストファー・リーを見て、あの声がいいなあ、ほんとに別世界から響かせるようだなと思った。それにリーは背が高いのでほとんどの共演者を見下ろしていたので、すっごくスノッブな感じがして良かったのだ。
 それから「エド・ウッド」の中のマーチン・ランドー演じるルゴシを見て、それからやっとこの伝説の「魔人ドラキュラ」に到達したもので、どうしても「わあ、これがルゴシか!」の視点で見てしまうという申し訳ない見方をしました。
 とはいえ、やはりベラ・ルゴシという人の一つのスタイルを作り上げてしまった実力は実によくわかりました。同じく吸血鬼ものの古典「ノスフェラトゥ」では、吸血鬼がいかにもバケモノじみたルックスで、それを踏まえたヘルツォーク版「ノスフェラトゥ」のキンスキーは化け物がまさに死の町を跳梁する、という感じで町を行くシーンが撮られていました。そういういかにも妖怪然としたヴァンパイアに比して、この悠々と街中を行くドラキュラは顔立ち整い、犠牲者を襲うシーンまでいかにも貴族然とした気品があり、そこがまた恐ろしい。このタイプのドラキュラ決定版はやはりまず先鞭をつけたという意味でもリーより、ルゴシになるのでしょう。
 それにセリフ。リーも声が素晴らしいが、舞台役者(事実そうだった)のように口跡があざやかでしかも邪悪さも感じさせ、その上観客に嘘をリアルに信じさせる力が必要…たいしたものです。これをやり遂げてしまったことが彼にホラー俳優のイメージを決定することになり、その後のルゴシにとっては不幸だったようです。
 映画としては古いこともあって、ちょっとテンポゆったり目だし、ラストがいささかあっけないけど、雰囲気は満点な映画でした。きれいな廃墟という感じの城のセットが特に素敵。

わが身世にふる

2005年06月09日 | 日記・雑記
本日は、その、「我が身世にふる」をしみじみ感じてしまった。

・鏡を見ていて化粧品のカラーを変えようと思った。
 ピンク系のリップをうちの貧乏な大学生に全部やった。
 新しいアイライナーを買った。アイラインを濃く引いてきつく見えようが、狸に見えようがかまわんと思った。
 要するに、今までの化粧が合わなくなりかかってる自分に気がついたのだ。
・突然足の関節がグキッときた。

ああ、確実に年月は経過してゆく…

 まあ、化粧なんて自分に活入れるためのものだから、パンダになろうが、狸だろうが、別にかまわんのですけどね。どう考えても男の人に見せるのを意識してやっているのではないし。でも、上野千鶴子さんの言うように、「男に受けようと思わないのがフェミニズム」だとは思いません。

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後記
 ちょっと説明的つけたし。
 それなりにフェミニズム関係の本も読んでますが、最近「さらば学校化社会」以降から少し変わったようですが、どうも上野千鶴子先生の本はぬぐっても隅に残るような違和感があり、ついこのようなことを書いてしまった次第。
 私はもちろん上野先生ほど優秀でないのでその僻みもあるのかもしれないけれど、露悪趣味と妙に「断じる」論調にはついていけない。
「男に受けようと思わなくなったら女はオバサンになり楽になる。フェミニズムはオバサンの思想」というのにはなんだろね~と思う。
 私は仕事ちゃんとしたい女が今の世の中割り喰ってると思うし、私もフェミニストに数えてもらってもかまわんと思ってるが、こういうフェミニストではない。男と女は違うものは違うし、無視して生きられるほどノーテンキでもない。コビ売るつもりはないが、折り合っていかなきゃどうしようもない。
 女性の部下をこう叱るうちの大黒柱様(建築技術者)も時々はフェミニストに入れてあげても良いと思っている。
「女の感性なんて言うな!誰だって生活してるんだから、感性より先に頭使え」

ノスフェラトゥ (1978/西ドイツ・フランス)

2005年06月09日 | 映画感想な行
NOSFERATU: PHANTOM DER NACHT
監督: ヴェルナー・ヘルツォーク
出演: イザベル・アジャーニ   ルーシー・ハーカー
    クラウス・キンスキー  ドラキュラ伯爵
    ブルーノ・ガンツ  ジョナサン・ハーカー
 
 1922年のムルナウの「吸血鬼ノスフェラトゥ」のヘルツォーク監督によるリメイク。
かなり忠実で、同じ絵を使っているところもたくさん。

 やっぱり元作品のほうが怖かった。
 吸血鬼の造形は同じだし、雰囲気もゴシックで、特にイザベル・アジャーニの白塗りの美貌はサイレント映画の恐怖のムードをかもし出すのにぴったり。
 でも闇の奥深さ、影の濃さという点では、カラーはモノクロにかなわないかもなあ。

 それに、ヘルツォークの映画独自の映像もけっこうあり、ヒロインの性格も、ラストも変わっちゃってた。ノスフェラトゥもモノクロのほうの生命感のない棒をつないだような感じではない。棺桶持つのも重そう。
 ペストに襲われた町の描写では、不気味さの質が変わってる。元作品では、町の人々が恐怖に捉われて、ほとんど麻痺したようにになっているが、この映画では張り詰めたところを過ぎて、神経の糸が切れているような異常な状態がまがまがしく描かれる。私、ネズミ苦手なのですごくいやでした。
 サイレントではないので、実際にノスフェラトゥの声が聞こえてくるのがすごく違う感じ。「死ねない不幸」という言葉を重ねて使っている。それで、ラストもあのように変えてしまったのだろうか。

 それにしても、ウィレム・デフォーといい、キンスキーといい、ノスフェラトゥやってる役者さんてとっても楽しそうに見えます。
 今週は、ベラ・ルゴシのドラキュラも借りてきたので、明日はそちらを。

キャラバン(2000/フランス・ネパール・スイス・イギリス)

2005年06月08日 | 映画感想か行
CARAVAN
監督: エリック・ヴァリ
出演: ツェリン・ロンドゥップ  ティンレ
    カルマ・ワンギャル   ツェリン
    グルゴン・キャップ   
    カルマ・デンジン・ニマ・ラマ 
    ラクパ・ツァムチョエ 

「キャラバン」とはヤクを運搬手段にして通商するネパール高原民族の商隊のこと。厳しい山中の村では、食料を確保するために絶対に必要なことだが、危険で厳しい道のりである。キャラバンで長老ティンレの息子が事故で命を落としてしまった。ティンレは、その時同行していた息子の親友カルマを許せず、次のキャラバンの隊長をカルマでなく、まだ幼い孫のツェリンと共に自分が率いると主張する。カルマとティンレは別々のキャラバンを率いて出発するが…

 夜のBS放送をほけっと見始めて、そのうち食い入るように見ていました。ストーリーは平凡て言えば平凡で、自然の厳しい村の老いた知恵と経験と若い合理性と傲慢という石頭同士の頑固な対立。それが命のギリギリの点でお互いを認め合って指導者が世代交代していく、それに絡んでいく女性の優しさ賢さと全てを見つめる少年…図式どおりだけど、むちゃくちゃ迫力に圧倒されていました。ある伝説的な長老の子ども時代のお話、ということなので昔のことなのでしょうけれど、時間の流れと人と自然の関係が、身近にあるものとあまりにも違い、粛然としてしまいます。葬儀シーン(鳥葬)は言葉もでません。
 出演者の中で本物の女優は精悍な顔の少年の母親役だけだったそうですが、私は僧になった優しい叔父さんの顔に見とれていました。素人さんとは思えない。本物のお坊さんなのでしょうか。
 音楽も、耳について残ってしまうのが読経に見事に合わさった音楽。それほどエキゾチックなばかりではなくモダンでこの映画らしい雰囲気があって見事。
 それになんと言ってもカメラがすごい。キャラバンの厳しさと自然の大きさをひしひし感じさせる山中の映像もさることながら、製作にジャック・ぺラン(WATARIDORI)の名前も見えますが、コンドル(?)の飛ぶシーンのびしっとしたフレーミングなんか唸っちゃいます。

 ところで、ネット上で発見。
長老が!
 映画のラストで亡くなった長老ティンレさんがなんと笑顔でカメラに

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10日間で男を上手にフル方法(2003/アメリカ)
HOW TO LOSE A GUY IN 10 DAYS
監督: ドナルド・ペトリ
出演: ケイト・ハドソン  アンディ・アンダーソン
   マシュー・マコノヒー   ベン

 つい「キャラバン」に続けてみたものですから、こういうロマコメはまったく気が抜けました。
 ケイト・ハドソンの笑顔はチャーミングだし、マシュー・マコノヒーも思ったよりカッコ良くて「サハラ」は期待します。見る時期が悪かったのでいつか気楽な映画見たいときにでも見直そうかな、と。