虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

わが身世にふる

2005年06月09日 | 日記・雑記
本日は、その、「我が身世にふる」をしみじみ感じてしまった。

・鏡を見ていて化粧品のカラーを変えようと思った。
 ピンク系のリップをうちの貧乏な大学生に全部やった。
 新しいアイライナーを買った。アイラインを濃く引いてきつく見えようが、狸に見えようがかまわんと思った。
 要するに、今までの化粧が合わなくなりかかってる自分に気がついたのだ。
・突然足の関節がグキッときた。

ああ、確実に年月は経過してゆく…

 まあ、化粧なんて自分に活入れるためのものだから、パンダになろうが、狸だろうが、別にかまわんのですけどね。どう考えても男の人に見せるのを意識してやっているのではないし。でも、上野千鶴子さんの言うように、「男に受けようと思わないのがフェミニズム」だとは思いません。

===============

後記
 ちょっと説明的つけたし。
 それなりにフェミニズム関係の本も読んでますが、最近「さらば学校化社会」以降から少し変わったようですが、どうも上野千鶴子先生の本はぬぐっても隅に残るような違和感があり、ついこのようなことを書いてしまった次第。
 私はもちろん上野先生ほど優秀でないのでその僻みもあるのかもしれないけれど、露悪趣味と妙に「断じる」論調にはついていけない。
「男に受けようと思わなくなったら女はオバサンになり楽になる。フェミニズムはオバサンの思想」というのにはなんだろね~と思う。
 私は仕事ちゃんとしたい女が今の世の中割り喰ってると思うし、私もフェミニストに数えてもらってもかまわんと思ってるが、こういうフェミニストではない。男と女は違うものは違うし、無視して生きられるほどノーテンキでもない。コビ売るつもりはないが、折り合っていかなきゃどうしようもない。
 女性の部下をこう叱るうちの大黒柱様(建築技術者)も時々はフェミニストに入れてあげても良いと思っている。
「女の感性なんて言うな!誰だって生活してるんだから、感性より先に頭使え」

ノスフェラトゥ (1978/西ドイツ・フランス)

2005年06月09日 | 映画感想な行
NOSFERATU: PHANTOM DER NACHT
監督: ヴェルナー・ヘルツォーク
出演: イザベル・アジャーニ   ルーシー・ハーカー
    クラウス・キンスキー  ドラキュラ伯爵
    ブルーノ・ガンツ  ジョナサン・ハーカー
 
 1922年のムルナウの「吸血鬼ノスフェラトゥ」のヘルツォーク監督によるリメイク。
かなり忠実で、同じ絵を使っているところもたくさん。

 やっぱり元作品のほうが怖かった。
 吸血鬼の造形は同じだし、雰囲気もゴシックで、特にイザベル・アジャーニの白塗りの美貌はサイレント映画の恐怖のムードをかもし出すのにぴったり。
 でも闇の奥深さ、影の濃さという点では、カラーはモノクロにかなわないかもなあ。

 それに、ヘルツォークの映画独自の映像もけっこうあり、ヒロインの性格も、ラストも変わっちゃってた。ノスフェラトゥもモノクロのほうの生命感のない棒をつないだような感じではない。棺桶持つのも重そう。
 ペストに襲われた町の描写では、不気味さの質が変わってる。元作品では、町の人々が恐怖に捉われて、ほとんど麻痺したようにになっているが、この映画では張り詰めたところを過ぎて、神経の糸が切れているような異常な状態がまがまがしく描かれる。私、ネズミ苦手なのですごくいやでした。
 サイレントではないので、実際にノスフェラトゥの声が聞こえてくるのがすごく違う感じ。「死ねない不幸」という言葉を重ねて使っている。それで、ラストもあのように変えてしまったのだろうか。

 それにしても、ウィレム・デフォーといい、キンスキーといい、ノスフェラトゥやってる役者さんてとっても楽しそうに見えます。
 今週は、ベラ・ルゴシのドラキュラも借りてきたので、明日はそちらを。