虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

ゲーム脳の恐怖・ここまで!

2004年09月30日 | 日記・雑記
 本日は「零式戦闘機」を昼にずっと、それに高校生が学校図書館から借りてきた「クライマーズ・ハイ」を読んでしまわなくてはならなかったので、なんと映画ぜ~んぜん見てません。何にも見ない日なんて、何日振りでしょうか。最近モームとかサルトル、それに古本の海洋小説ばかり読んでいたので、実は日本の新刊久しぶりです。4時間くらいで読了しましたが、それなりにぐっと来る本でした。自分がこうありたいと願っても、うまくそうなれるものでもない。その中で、自分で道を選ぶしかないのよね。でも、穏やかに救われる小説でした。

 ところで、私、手芸用品会社のメールマガジンとってるんですよ~
 それが今回はなんとあの「ゲーム脳の恐怖」が紹介してあってね~!ゲーム脳になっちゃった脳の回復のためにはお手玉がいいんですと!

 ゲーム脳というのは、上掲の本によれば、「小学校低学年あるいは幼稚園児から大学生になるまで週4~6回、1日2~7時間テレビゲームを」を続けると、「ゲーム脳人間」になり、「前頭前野の脳活動が消失したといっても過言でないほど低下」してしまうそうです。
そして、「前頭前野の機能が低下すると、判断力などがなくなり、状況や周囲に配慮しない行動をとるように」なり、「自分勝手な態度や非常識な言葉づかい、暴力的行為などがその典型的な例」としてあげることができると指摘しています。

そして、著者の森教授の「ゲーム脳の直し方」を紹介しています。
(C)講談社 Web現代2002年11月20日号

ま、この日付がけっこう泣かせるんですけどね。
私は、お手玉できません。下手です。でもって編み物も刺繍もするし、浴衣も縫います(ジジババっ子のソコヂカラとでも言いますか…浴衣だけですが一応伝統方式で)。手仕事系もかなりやりますが、ゲームもします。みんなおんなじ様に脳みそ使ってると思います。実は私は粗暴な人間なんでしょうか?
 
いえ、トンデモ認定もされて、少しは冷静に見られてるのかなと思ったのに、「ゲーム脳の恐怖」まだまだ有力ですねえ。
私は、「ゲーム脳の恐怖」読んだ限りではデータの収集方法にも、論理展開にも問題あると思います。それにどうも先に結論ありき、って感じの本なのです。
↑の講談社のゲーム脳シリーズも、森教授だけでなくて、いろんな人が出てきていまどきの傾向というものを解析してくれてますが、短い紹介だけでは、どういう根拠で言っているのかがわからない恨みがあります。トンデモとそうでない論は、自分で区別するしかありません。

紫電改

2004年09月29日 | 日記・雑記
ブッキーさんのコメントの中の戦艦武蔵・大和・紫電改、まずぱっと思うい浮かぶものが違うんだなあ、と思いました。
戦艦大和に関してはやはり吉田満「戦艦大和の最期」になっちゃいます。でも友人は「宇宙戦艦ヤマト」しか知らん、といってます。高校生くらいになると、「そんなのあったねえ」
「紫電改のタカ」という漫画は知りませんが、零式戦闘機関連の本を読んでいるのでエンジンがパワーアップされた名機だったということは知っています。

ただ同時に、この機が出来たころ、アメリカは空中戦のやり方を変えていて、それまでの一騎討ち的な方法はやめ、空中戦も双発機のスピードがうんと速いのにして装甲を上げ、複数機で一揆を狙う戦法に切り替え、紫電改の性能が果たして実践で十分に発揮しえたものだったか?なんてのも読みました。
名古屋空港の博物館で模型を見てきました。

うちは工学系技術者が多いのですが、その連中に言わせると、柳田邦夫「零式戦闘機」は当時の技術後進国であった日本の中で傑出した名機を作り上げた技術者たちのドラマとして涙なしには読めない本だそうです。
 さっきから読んでいますが、確かに「プロジェクトX」なんかメじゃないかも…

俺たちは天使だ(1995/仏)

2004年09月29日 | 映画感想あ行
監督:ジャン・マリー・ポワレ
出演:ジェラール・ドパルデュー クスリチャン・クラヴィエ

 BS夜の映画がジョン・フォードの「シャイアン」で、こんなひどいことがあっていいのか?という映画で、苦しかった。これも感想を性急に書くより、抱えておいたほうが良いような気がする。

 それで寝る前にバランスをとろうとして見たフランスのコメディ。ハイテンポでちょっと下品。ジェラール・ドパルデューが腹をゆすって楽しそうにやってます。
 オープニングがホンコンで、アジア系の人がでてくるとホンコン系アクション映画になります。ホンコンではドパルデューもホンコンぽいアクションに見えます。ガキンチョもなかなかやってくれます。

 悪でごうつくばりの元ギャング、今はクラブの経営者カルコ(ドパルデュー)が古いギャング仲間の遺児を頼まれ、金目当てに迎えにいったものの、善良な神父(クスリチャン・クラヴィエ)に押し付けてしまおうとしたが、なんと善い天使がカルコに、堕天使が神父に取り付きてんやわんや。ドパルデュー天使は天上の人というより、陸上グラウンドで審判でもやっていそう。神父役の人、ちょっと怖い顔でなかなか善悪二役がいけています。

 ただし、これを見て、かえって「シャイアン」の印象が深くなってしまったようだ。

戦死やあわれ(竹内浩三著・小林察編)

2004年09月28日 | 
ぼくもいくさに征くのだけれど
          
街はいくさがたりであふれ
どこへいっても征くはなし 勝ったはなし

三ヶ月もたてばぼくも征くのだけれど
だけど こうしてぼんやりしている

ぼくがいくさに征ったなら
一体ぼくはなにをするんだろう てがらたてるかな

だれもかれもおとこならみんな行く
ぼくも征くのだけれど 征くのだけれど

なんにもできず
蝶をとったり 子供とあそんだり
うっかりしていて戦死するかしら

そんなまぬけなぼくなので
どうか人なみにいくさができますよう
成田山に願かけた

  戦死やあわれ(岩波現代文庫)

 竹内浩三は、映画作家を目指していた青年だったが、1945年フィリピンで戦死した。
 彼の残した詩文は姉や友人の尽力で世に出、「戦死やあわれ」の詩は広く知られている。

 彼の残した文章を読んでいると、彼の感覚には60年の歳月の差をあまり感じない。詩文だから、ということはあるだろう。しかし今日今でも、ごくスムーズに会話できそうに感じる。
 こういう「普通の青年」たちが戸惑いながら戦争へ行き、死んでいった。一片の骨さえ家族の元へは戻らなかった。

 彼の残したものは決して反戦を訴えるものではない。
 しかし、戦死者の膨大な数にくくられた、その中の一人一人の存在を突きつけてくるようだ。

クストリッツァとマイケル・ムーア

2004年09月27日 | 日記・雑記
 26日はクストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」を見ました。
 今まで見てなくて損したな、という映画でありましたが、これも整理の時間を要する映画みたいなので、感想は後回しです。
 こういう映画を見ると私がマイケル・ムーアの作品を見て感じる「妙な感じ」の意味がわかるような気がする。ただ、ムーア監督が自分自身を賭けて、アメリカに、世界に問いかける姿勢は素晴らしい。彼もアメリカの希望だと思う。
 アメリカ社会については、本で読んでいるだけで、実際に行ったこともないのだが、「アメリカ市民はこうあらねばならぬ」圧力はかなり強力そうだし、反面、水面下で進行する市民モラルの崩壊は日本よりもずっと先を行っているようだ。その中で身体を張るのは並大抵の覚悟では出来ないだろうな。

 こんなこと考えてるときにあまりにもタイミングよく、日経新聞の日曜書評は、今の世界がどこへ行くのかを考える為に、みたいなラインナップだった。やっぱりある程度テーマがあるのだろうか?

マイケル・ムーアのサイト(英語ですが)

 なんだかんだいっても、私たちを取り巻く環境は変化している。今までにあった物ではそれに対応できなくても、対応できていた記憶は持っている。
 どこかで読んだように
 「離れたばかりの岸は見えているが、対岸がはるかで見えない川を渡るようなもの」
(どこで読んだか忘れてしまった、すいません)
 私たちは、対岸よりもっと遥かにある理想の光を頼りに、力だけの肯定ではなく、調和を目指さなくてはいけないのだろう。…というのがまとまってなくて舌足らずだけど「アンダーグラウンド」の感想です。
 整理出来たらちゃんと書きます。

土器の補修と土瓶つぎ

2004年09月26日 | 日記・雑記
家族が青森の三内丸山遺跡へ行ってきました。
一昨年、修学旅行で行ってきたのも一人いるのですが、
行ってきただけで何にも見てませんでした。
私も三越美術館(もうなくなっちゃったですね)の縄文博以来、その片鱗に触れることが出来ましたです。

この土器の補修は、穴を開けて紐で縛って形を保つんですね。
水物は無理でしょうけど、乾きものの保管には十分だということでしょうか。

これで思い出したのが「初恋の来た道」のどんぶり修理のおじいさん。
私は見たことありませんが、東京・横浜でも
昔「中国人の土瓶つぎ」のおじいさんが回っていたそうです。
割れた陶器をかんかんと鎹みたいなもの打ち付けて
ちょうど「初恋の来た道」みたいに直して行ったそうです。

この土器の修理と同じ方法でしょうか?
でもドビンだったら水入れるんですよね?
漏らなかったのかな?

お抹茶茶碗のいいのは金で接いだりしますが、
こういう日常品の修理は日本では滅びましたでしょうか。
もう20年前に亡くなったお婆さまがたの話です。

そんなにうんと古い昔の話ではないけど、もうわかりません。

街角(1940/米)

2004年09月26日 | 映画感想ま行
THE SHOP AROUND THE CORNER
監督:エルンスト・ルビッチ
出演:ジェームス・スチュアート マーガレット・サラヴァン 

 ルビッチは上流階級を舞台にピリッとしたスパイスの効いたコメディ、というのが多いように思っていたが、この映画は働く庶民の物語。失業すれば今日から暮らしが立たないような、サラリーで生きている人々の、おかしくてあったかい恋物語。
 マチェック商会で働く若いクラリクは、文通で知り合ったまだ見ぬ相手に恋している。そこへやってきたのが失業中の若い女性クララ。彼女はクラリクの同僚になるが、なぜかクラリクに噛み付いて喧嘩ばかり。ところが彼女も文通相手に恋をしている。実は・・・というところに店主の妻の不倫騒動がからんで、さて、みんなはどんなクリスマスを迎えるか?というドラマ。演出とか細部がとことん楽しめる、さすがルビッチ、な映画。
 登場人物一人一人が、ちゃんと納まる所へ納まる、といううれしいラスト。
 何よりジミー・スチュアートのキュートさったら! この時代は男の人も靴下にガーターベルト必要だったんですね!

「ユー・ガット・メール」の元の作品だけど、お見舞いシーンなど結構忠実になぞってる。トム・ハンクスとジミー・スチュアートではもちろんスチュアートの勝ち。

クイーンコング (1976/伊・英・仏・独)

2004年09月25日 | 映画感想か行
QUEEN KONG
監督: フランク・アグラマ
出演: ロビン・アスクウィズ ルーラ・レンスカ

「キングコング」の男女ひっくり返し版パロディ。製作年のころの世相のウーマンリブに対する理解だか揶揄だかわかんない展開のハッピーエンドで締めくくられる。いささか頭痛のする映画。サービスですといわんばかりの若い女性のバストやヒップのアップはどっさり。

 映画監督が女性で男優を町へ拾いに行くところや、細かいところはほぼご本家をなぞってあるし、ほかの映画の見せ場のイタダキも呆れるほどわかりやすい形でいっぱいです。
 ただ主演のコングにさらわれるおにーちゃんが、情けないほど魅力がない。それが狙いだったのか?ビッグ・ベン上の大演説も突然でとってつけたようだし、なんかなあ、いくらおバカ映画でも、もうちょっとその辺の辻褄あわせて欲しいかな。クイーンコングに下着をつけさせることで、突如としてコングの純愛と男性の横暴に目覚めるなんざ、ご都合主義ですねえ。
 日本語吹き替えでは広川太一郎と小原乃梨子(どうしてもドロンジョ様とのび太君浮かんできます)で、思いっきり駄洒落映画になってましたが、エンディングの歌なんかも聞き取れる範囲では脚韻バシバシで原語版も駄洒落満載だったみたいですね。音楽がクラシックあり、イタダキっぽいのあり、ピアノ練習曲ありとチープ感にあふれ、コングと恐竜の戦うシーンなんて、恐竜に穴が開かないかと心配するくらいチャチ!
 確かに問題作だけど、とても人様にお薦めは出来ない。
原典への敬意はもう少しあってもいいかも~と。

 その前に見ていたのが「エス」で、すさまじくとり合わせが悪かったです。
 オンラインDVDレンタルのDISCASのトップページににあったのでつい予約しちゃいましたが、もうちょっと良く考えて予約しようと思いました。

マーガレット・ミード再読

2004年09月24日 | 
ノーマン・メイラーの本を読んだときに出してきたマーガレット・ミードの「地球時代の文化論  文化とコミットメント」をあまり急ぎ過ぎないように読んでいます。

 ミードの研究は、いわゆる「男らしさ・女らしさ・人種による行動の違い」が生まれつきのものではなく、後天的に文化によって形作られることを指摘するもので、女性を古い呪縛から開放する上で重要な役割を果たした。しかし、ミードの思想にある機能主義はウーマンリブ(*)と対立するところが多く、批判も鋭く浴びせられている。
 また、研究自体への否定や、自己の立場に都合のよい様にテキストの読み方をする人々も少なくはなかったようだ。はたしてミードは否定されているのだろうか?しかし、われわれは環境によって、文化によって人となる。
 様々な文化を実際に、見る目を持って観察してきたミードにとっても、性急なウーマンリブの主張は納得出来なかったかもしれない。やっぱり長い年月にわたって培われちゃったものはそれ自体に一種独特な美を備えちゃったりしてるし。たとえば山本周五郎が「日本婦道記」で描いている自己犠牲のあり方なんかも美しいと言えば美しいが、それを選ぶのは私はイヤだなあ、と思う。ベティ・フリーダンは「文化に閉じ込められた女性の役割を賛美している」ようなことを書いている…という記憶があります。
キャスリーン・ベイトソンの本も読んだけれど、母親としてのマーガレット・ミードは、子どもの悲しい時に黙って寄り添って、というタイプでなく、まず解決策を考えて子どもに提示してみる、といったタイプだったみたいだ。いかにもその人らしいと思った。ご本人は文化的な役割に忠実に、それに沿って生きようとする人ではなかったとしか思えないけど、文化というものの強固な力は誰よりも知っていただろう。

「地球時代の文化論」は一般向けにかかれたもので、ヒロシマ以後の世界は、それまでとはまったく違ったものだと位置付ける。第2次大戦後古いコミュニティが崩壊し、モデル・規範を失う若者はアイデンティティも得られず、の世代間断絶・現状破壊へと進む。人間が他者と未来を共有するためには、単一文化への一生にわたるコミットメント(参画)でなく、短期的でも強力なコミットメントが可能な文化が生れなければならない、という。人種・国籍・背景は違ってもあることに共に参与できるような。
 今の時代は、多かれ少なかれ、異文化との接触なく生きることはまずないし、断片的・不正確でも異国についての情報は入ってくる。政府レベルでない交流も少しは進んでいるだろう。
 1977年著という古い本ではあるが、教えられることも、出版後の状況を考えてのため息も多い本である。特に、「ヒロシマ」が勝利のない戦争を生み出し、それが「戦争のない世界」を求める芽となりうるかというところには。目に見えるものはあまりにもささやかなよう。でも、実行してる人もいる。

* ここではあえてフェミニズムではなく、当時のウーマン・リブという言葉を選びました。

アマゾン最近のお薦め

2004年09月24日 | 日記・雑記
AMAZONの私向け日替わりお薦め商品、最近ますます品揃えのわけわかんなさが増しています。

昨日のお薦めは

本のおすすめ
『暗黒童話』乙一
『攻略せよ、要衝モーリシャス(下) ジャック・オーブリーシリーズ』
『南太平洋、波瀾の追撃戦〈上〉―英国海軍の雄ジャック・オーブリー』

ミュージックのおすすめ
『スニーカーCDコレクション きみにしか聞こえない CALLING YOU』
『ドラマCD 最遊記〈金閣・銀閣編〉』
『Chara CDコレクション 愛情鎖縛 二重螺旋2』
『ドラマCD 学園ヘヴン2~Welcome to HEAVEN!~』

ゲームのおすすめ
『鋼の錬金術師 翔べない天使』

ソフトウェアのおすすめ
『英会話センス 瞬間応答』

DVDのおすすめ
『スキージャンプ・ペア オフィシャルDVD』
デレク・ジャーマン
『ラスト・オブ・イングランド』
『エンジェリック・カンヴァセーション』
『ジュビリー』

脈絡ない~。
こういうのの関連商品をずっと買ってるのはどういう人物だろうか?と我ながら?
でも最遊記はいらないなあ。

モンキー・ビジネス (1952/米)

2004年09月23日 | 映画感想ま行
MONKEY BUSINESS

監督:ハワード・ホークス 
出演:ケイリー・グラント ジンジャー・ロジャース チャールズ・コバーン マリリン・モンロー

 若返り薬を研究中の科学者が、研究中の薬を人体実験。効果テキメン、気持ちも行動も20代の若者に戻ってしまう。ところが実は若返りの原因は、実験用のチンパンジーが調合して冷水器に入れてしまった薬のせいだった!

 DVDの絵も、メニュー画面もマリリン・モンローがど~んと出ていますが、この映画の中ではそれほど重要な役回りではないです。ちょっと頭が弱めでナイスバディの金髪娘という、「キューティー・ブロンド」で嘆かれているブロンドイメージそのものみたいです。かわいいけど、主役はやっぱりケイリー・グラントとジンジャー・ロジャースの中年から子どもまで、心が行ったり来たりする演技。もうすごいったらありゃしない!!!
 牛乳瓶の底みたいな眼鏡で、いかにも浮世離れした科学者として登場するグラントが、(このオープニングシーンも遊び心にあふれていて素敵!)マリリン・モンローとのデートシーンでタイヤ軋ませてカーチェイスするし(これははめ込み映像でしょうね)ダイビングやったり、スケートやったりします。それがしぐさも動きも言葉も本当に若くなる。ダイビングでは見事な腹着水(スタントかな?ともかくむちゃくちゃ痛い、あれは)、スケートでも無防備にひっくり返ってくれます。それが本当に無防備に見えます。転ぶとわかってる転び方ではない!
 ジンジャー・ロジャーズも落ち着いた中年婦人がいたずらっ子になってしまうのだけれど 、グラスをおでこに乗せてひょこひょこ歩くシーン、ステップ軽やか、いやそれ以上に派手派手に踊りまくるシーン、さすが天才ダンサー!
 二人で子どもにかえってけんかしてペンキ塗りあうシーン…感心しながらともかくおかしいっ!

 さすがホークス監督の粋なスクリューボールコメディなのです。これも出来る役者がいてこそ、なんて思っちゃった。
 ケイリー・グラントって、すごい俳優ですね~~~!
 いやジンジャー・ロジャースもですけど。
 ほんとに、こういう「軽み」って、今のアメリカ映画じゃお目にかかれない気がします。

 おお忘れるところでしたが、チンパンジー君の芸達者にも拍手!

休日ですが・・・

2004年09月23日 | 日記・雑記
今日も職人さんの都合により
私もお付き合いです。
いえ、お付き合いで現場にいるだけ。
…しくしく。
昨日は暇な日だったから、あまり文句言えないんですが。でも世間が休みで、自分がそうでないと悲しくなるのはなぜでしょう?わがままでしょうね。実際に働いてるのは職人さんたちなんですから。

目立たないように、こっそりDVDでも見ようかな。

ヴァン・ヘルシング(2004/米)

2004年09月22日 | 映画感想は行
VAN HELSING
監督: スティーヴン・ソマーズ
出演: ヒュー・ジャックマン ケイト・ベッキンセイル リチャード・ロクスバーグ デヴィッド・ウェンハム シュラー・ヘンズリー ウィル・ケンプ

 19世紀のヨーロッパ、ヴァン・ヘルシングはローマ教会から秘密裏にモンスター・ハンターとしての命を受けている。その彼に与えられた次のターゲットはドラキュラ。彼はトランシルヴァニアに赴き、400年間ドラキュラを追い続けるヴァレリアス一族の末裔であるアナ王女と共にドラキュラを倒そうとする。

 この映画をぜひ見に行きたい!と思った動機が「ヒュー・ジャックマンと麗しのウィル・ケンプを見たい!」というミーハーなものでした。ヒュー・ジャックマンは堪能しました。でも、でも、ウィル・ケンプが~~!!よく見られたのは顔だけ。狼男になっちゃうんだけど、CGか特殊メイクでは狼男それなりに登場しますが、彼らしい美しいしなやかな動きを鑑賞するには程遠い出番ばっかり!あれだけの美貌を持ってすれば、どのように美しい王子様になるのだろうと期待して行ったのに!
 ヒュー・ジャックマンは、やはり一度ミュージカルをまともに見てみたい。

 これ、あくまでアクション映画です。
 これでもかのアクション、音楽は迫力満点。
 いくら古典的モンスターの総ざらえしても、ドラキュラが歯をむいてもまったく怖くない。ドラキュラ一族がうじゃうじゃ飛ぶシーンもマトリックス・レボリューションでのザイオン攻防みたいな感じ。禍々しさがちょっと足りない。
 それはドラキュラ役のロクスバーグももうちょっと…という感じで、以前見たクリストファー・リーの「ドラキュラ伯爵」は、こうもりを吊ってる糸が見えるような映画だったけど、彼の地獄から響くような声だけでも禍々しさ充満するみたいだったし…得がたい人材だったんだなあ…なんちゃって。

 まあ言い分はいろいろあれど、70点くらいはつけられます。ケイト・ベッキンセールもきれいだし、「ロード」のファラミア役で、ここではコメディ担当のデヴィッド・ウェンハム楽しかったです。フランケンシュタインの扱い方もなかなか親切で、もっと背景やら描きこめれば、良かったのにね~と思いました。
 それなりに「うふ。」と楽しんで見られる映画でした。ラストはねえ、あれだけ強いヒロインなんですから、一人でその後の道を切り開いて行くのが常道じゃないかな?音楽ちょっと急いでる感じでした。

運命の人

2004年09月22日 | エンタテインメント
昨日の夜は「JFK」見ていましたが、私はどうもケビン・コスナー苦手みたいです。ルックスも悪くないのにな~「ポストマン」「ウォーターワールド」などなど…どうも私の感覚にしっくり来ないです。なぜだろう?

さて、掲示板のほうにもこれについての記事がありますが、PAPPOPさんのところで見て

顔相モンタージュ運命の人の顔はこれだ!

やってみました。
「人生最良のパートナー」というのを見て凍りつきました。
絶対出会いたくないと思いました。

質問に入力し終わって顔が出てくるまでかなり時間があります。
お時間の余裕のある方、どうですか?

ヨーロッパ文化と日本文化(ルイス・フロイス著)

2004年09月21日 | 
16世紀、イエズス会宣教師ルイス・フロイスは35年間日本で布教し、長崎で生涯を終えた。その間日本の社会を観察し、ヨーロッパと比較・対照して記録。

日本とヨーロッパの人々の間の相互の混乱を避ける為に、著されたとあります。
今の日本の風俗とはまったく違ったものもあり、変わってないのもありですが、変わってないのは困ったものだ…と感じるのが男の人の行動に関することが多いのは、私の女としてのバイアスがかかった読み方なんでしょうか。

箇条書きになっていて、「日本はこうで、ヨーロッパはこう」という書き方に、解説がすぐそのあとに付されているのでわかりやすいことこの上なしです。長年いてもまだ残る誤解もわかって大変に面白いものです。薄い本なのですぐ読めます。

男の人の月代に関する記述は、はじめのほうに出てきますが、えらい痛そうで、何でこのちょんまげ風習が長い間残ったのか不思議です。
毛がない部分は、毛抜きで抜いてたんですね。剃るものではなかったようです。解説にある『慶長見聞集』の記事では「頭の毛をぬきつれば、かうべより黒血流れて物すさまじかりし也」身震いするほど痛そうです。

 当時は夫婦で歩くとき、日本では夫は後、妻が前とあります。解説ありません。「三歩下がって歩くべき」になったのはいつからなんでしょう?