虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

ぼくは怖くない (2003/イタリア)

2005年06月14日 | 映画感想は行
IO NON HO PAURA
監督: ガブリエレ・サルヴァトレス
出演: ジョゼッペ・クリスティアーノ    ミケーレ
   マッティーア・ディ・ピエッロ     フィリッポ
   アイタナ・サンチェス=ギヨン     アンナ
   ディーノ・アッブレーシャ     ピーノ
   ディエゴ・アバタントゥオーノ     セルジョ

 1978年。一面の麦畑に囲まれたたった5軒の南イタリアの小さな村に住む10歳のミケーレ。彼はある日、廃屋の裏で穴を発見し、中を覗いてみると、なんと人の足が。混乱するミケーレ。翌日も見に行くと、それは死体でなく生きている少年だった。

 子どもを見守るきれいなお母さんと、力強い父親、可愛いけれど生意気なまとわりつく妹。
 そんな子どもの長閑な世界と美しい風景のなかでの貧しさ。子どもたちが貧しさで押しつぶされているいるわけではなく、子どもの世界の充足は守られているし、決して貧乏を強調するわけではないけれど寝る姿とか、美人のお母さんの下着姿でなんとなく大人の世界のぎすぎすが伝わってくる。たった5軒の村の中でも、上下の力関係や、イヤなことでもその中で生きていくために受け入れようとする現実が子どもたちの間にさえ存在していることがしょっぱなから、広々とした麦畑をいかにも子ども時代を満喫しているようなシーンから描かれる。子どもにとっては外の世界は可能性かもしれないが、大人が感じているのは、広々とした地平のなかの閉塞感であり、それがじわじわと子どもの世界を侵していく。
 閉じ込められて衰弱しきって、混乱し光にさえ耐えられないような少年を見つけたミケーレは、素直に近づき、自分が出来ることをする。彼だけの秘密のときめきもあるだろうが、彼の行動には、おそらく親から愛され認められてきて育まれた優しさがある。その両親なのに、あのような事態になってしまうのだ。事態が急展開し、父親がミケーレに「忘れろ」というシーンで親子の間は決定的に変わる。ミケーレはそれまでの彼ではなくなる。それでも愛情はそのままだが…
 とんでもない事態の中でも、子どもが子どもとして存在し、麦畑の中で不思議な幸福感のある「散歩」、小さな欲求のために壊れてしまう秘密の共有と、修復の努力…子ども時代の弱さや、子供同士の交流や、子どもから見た大人の歪み方、そして子ども時代から脱皮する夏のその一瞬が目に焼きつくようなラスト。
 画面全体に広がる麦畑の実ったものの豊かさと独特な空気が感じられる。これもアルバトロスの映画でしたが。