虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

真実の瞬間(1991/米)

2005年05月31日 | 映画感想さ行
GUILTY BY SUSPICION
監督: アーウィン・ウィンクラー
出演: ロバート・デ・ニーロ 
   アネット・ベニング 
   ジョージ・ウェント 
   パトリシア・ウェティグ

 第2次大戦後のアメリカの、狂気のような赤狩りの時代に、その犠牲となって全てを失いつつも自己の信念を貫いた一人の監督の姿を描く。

 エリア・カザンのオスカー受賞の時の波乱を見ても、赤狩りの傷跡はハリウッドでまだまだナマナマしいのだろう。私にしても、この映画を見て時代に翻弄され、良心を貫き迫害される人、友を売って安泰を得るもののドラマに没入するよりも、そこから思い出されることについて思いをめぐらさずにはいられなかった。

 昔リリアン・ヘルマンにはまったことがあって、戯曲は手に入るものを読みあさり、自伝的な「ジュリア」「未完の女」それにもちろん「眠れない時代」も読んだ。赤狩り時代の権力の締め付けが、人間の生活をプライドを刻々削ぎとっていくのにぞっとした。
 彼女は「私は時代の流行にあわせて良心をカットすることはできません」
(これは、本が出てこなかったので記憶で書いてます。こんな内容だったと思う)
という名文句を残して、主人公のメリルがしたように「自分のことについてなら証言するが、ほかの人についての証言は出来ない」で委員会での証言(強制された密告)を拒否した。
 この映画では召還までを描いているが、それでも十分に追い詰められているのに、その後の政府の合法を装ったいじめ方は「眠れない時代」で描かれるように凄まじい。彼女とパートナーのダシェル・ハメットは全財産を失い、ハメットは投獄され、ヘルマンはデパートガールで糊口をしのぐ様だった。映画は委員会を出る主人公夫妻の後姿で終わっているものの、その後の年月のほうが長くひどいものであったのだ。
 少なからぬ人がこれではいけないと思っているのに、なぜこんなことが起きてしまうのだろう。委員会の証言のシーンでは、委員会側の意に沿う証言以外はまったく受け入れられない恐るべき有様がリアルに恐ろしかった。
 それにもっと憂鬱になるのは、少なからぬアメリカの言論人が今のアメリカ政府の政策・方向について警鐘を鳴らしているにもかかわらず、いっこうに「世界から批判されたってそれがどうした」という感じのアメリカ世論の風向きが変わったように見えないことだ。
 こんな歴史をあまり繰り返してほしくない。(ついでに言うなら、私はこのままのアメリカ追随状態でいってネオコンがこけたら、その時の日本政府の背負う傷はかなり深いと思う。)

金屏風上のオペレッタ

2005年05月30日 | 映画の話題
「オペレッタ狸御殿」は今のところあまり評判良くないようだし、私も前の記事で書いたような不満はあるけど、やっぱり綺麗だった。
 映画見て連想したのが彦根屏風とか、そういう華やかで軟弱そうで贅沢な世界。「アカルイミライ」であんなに張り詰めた、また憑き物が落ちたような印象的な表情を見せてくれた雨千代役オダギリジョーまでいつも長い袖とすそをじゃらじゃらさせてるし(おまけに弱いし)、お姫様もお局様もコッテコテの金綺羅錦包み。背景は光琳の燕子花もどき。
 歌舞伎の一場面とか、南蛮屏風から抜けたみたいな南蛮人とか、リアリティなんかどっか行け!で思いっきり作り物の世界で全編突き進んでくれればよかったのです。そう、テンポさえノリがよければ…

 参考までに
 彦根屏風(右側のおにーちゃんは、小学生が見ても「ナンパ中」)
 尾形光琳燕子花図 根津美術館
 南蛮屏風
なんとなく、学校の時に日本史資料集でお目にかかったような、見覚えあるのばかりではないですか?

オペレッタ狸御殿 (2004/日)

2005年05月29日 | 映画感想あ行
監督: 鈴木清順
出演: チャン・ツィイー  狸姫
    オダギリジョー  雨千代
    薬師丸ひろ子  お萩の局
    由紀さおり  びるぜん婆々
    山本太郎  駝鳥導士
    高橋元太郎  家老狸
    パパイヤ鈴木   次郎狸
    平幹二朗  安土桃山
    美空ひばり  光の女人 (デジタル出演)

 がらさ城城主の安土桃山は、びるぜん婆々による「彼の息子・雨千代が間もなく父の美しさを凌ぐ」という予言を聞く。家族も家具に使い、自分の意にそわない妻を生きて帰れないという霊峰・快羅須山へ棄てた安土桃山は、雨千代も妻と同じく快羅須山へ追いやることに。だが、運良く逃れた雨千代は、唐の国から狸御殿に招かれている美しい狸姫と出会い、たちまち恋に落ちる。

 ここから先は楽しみにしてる人は見ないでね、というネタバレの感想です。

   ===============

 全体にバランスが悪くまどろっこしく感じられたのです。はじめっから荒唐無稽を楽しみに行ったので、何が出てきてもドンと来い!の構えだったのに、それほどこか~んと「やられた」と思うところが見つからなくて。これは期待のしすぎかなあ。中途半端ないじり方が多かった様に思うのです。特にCG使いの部分は。カエルと光の女人はあの使い方では物足りない。迫力が足りない。スピード感が違う。
 それに沈黙してる時間が長くて、その後の音楽がその沈黙の時間の分にたまったものを発散してくれるだけの量の釣りあいがないと私には思える。「ツィゴイネルワイゼン」の原田芳雄の画面上方から大蝙蝠の如くに現れたり、こんにゃくの山みたいな観客をくすぐってくれるものも少ないみたいだし。道行もどきも、かちかち山もどきも今ひとつ。
 市川雷蔵と若尾文子の映画のほうが「この世のものとも思えない」感じがした。

 文句からはじめてしまったけど、私的にまあまあな映画ではあったのです。はじめから「わけわかんねー」はあたりまえで「色彩と荒唐無稽」見るつもりだったので。
 やっぱり綺麗だった。狸姫の衣装は見てるだけでうっとりした。「ソーダ水」は歌っちゃう。公式サイトで一緒に歌って踊りたい!と思う、程よい下手さ。(オペラ座の怪人とは違う)
 チャン・ツィイーは、アップだけで画面を持たせられるまさに旬のパワーがある。日本語下手ですが歌だと全然気にならないし。
 オダギリジョーは、控えめです。引き立て役に回ってる。薬師丸ひろ子も声が可愛すぎる時に気になる程度。
 平幹二郎と由紀さおりが荒唐無稽をきちんと演じてるのは気持ちよかった。声が一番迫力あったのでそれが好印象の一番の元かも。すごく歌が上手だった高梁元太郎さんは出番少なかった。

 気になったのは、映画館のほうの問題かもしれないけど、今までの映画とピントが全然違う、どうも平板な感じがした。

 すごく余談ですが、チベットのカイラス山ツアーというのもあるそうですね。人気あるのでしょうか?

マイク・ニコルズ監督

2005年05月27日 | 映画の話題
 「クローサー」の監督は、 マイク・ニコルズだったんですね。
 見る前は、キャストの名前に呑まれてたのでしょうか、全然頭に入っていませんでしたが、クレジット見たらニコルズ監督で、なんかとっても納得してしまいまた。
 1931年生まれで、70歳を超えておられますが、シニカルでビターに人間の表層の下を哂ってしまうテイストは実に新鮮にいきていたと思います。
 今までに見た映画では
「卒業」(これも切ないのに、おかしいところは断固おかしい映画だった)
「キャッチ22」(アメリカにはこういう映画があるのに…)
「バージニア・ウルフなんかこわくない」(いや、「クローサー」見てて思い出しちゃった)
「ワーキング・ガール」(歌が良かったし元気出るし)
など好き。「バージニア・ウルフ~」は好きというより時々見ずにはいられない作品です。
 恥ずかしいことに「バードケージ」「日の名残り」見ていないのです。
 是非見なくては、と改めて、ちょっと大袈裟ですが決心した次第です。

クローサー (2004/米)

2005年05月26日 | 映画感想か行
CLOSER
監督: マイク・ニコルズ
出演: ジュリア・ロバーツ   アンナ
   ジュード・ロウ    ダン
   ナタリー・ポートマン    アリス
   クライヴ・オーウェン    ラリー

 ロンドンの街で、作家志望のジャーナリスト、ダンはニューヨークから来た若い娘アリスに会い、やがて同棲生活を始める。本を出版したダンは本の写真を撮るためにフォトグラファーのアンナに出会い、心惹かれる。その半年後、アンナの名前でダンはネットチャットで騙した医師のラリーを水族館へ誘い出すが、そこには本物のアンナがいた。

 宣伝コピーが
「カラダを重ねるたび、
 唇が嘘を重ねる。」

 で、映画館予告編もちょっぴり深刻そうで、舞台の映画化だというし、男女の愛憎のもつれ、長ゼリフ激突劇かな、と思ってました。激突はしてましたが、長ゼリフでなくて単語をぶつけ合うような会話のほうが利いた、笑った映画です。
 個人的にツボにはまりまくり、映画館の最後列で体震わせて声を殺して笑ってました。周りが静かなんで、とても声出して笑えなかったもので。ああ苦しかった。
 ジュード・ロウとクライヴ・オーウェンのちょっとだけ世代のずれた美男二人が、ことセックスと女性に対する嫉妬(というより彼ら自身のプライドの投影)の点では幼児性丸出しにしてほんとに「駄々をこねる」と形容するにふさわしい取り乱し方をするシーンがそれぞれのパートナー相手に繰り返される。おまけに結末が二人の女性がジュード・ロウとの出会いのシーンの言葉へ納まっていくのなんか、もう転げまわって笑いたかった!
 そう、この映画では結局主体性を持つのは女性。本音のところで俺様主義をむき出しにしてしまう男たちは、彼女たちを追いかけたり、傷つけたりする自分の滑稽さを本当にはわかってない。この男たちは結局芯のところでガキからも、旧思想からも脱皮できてないんだねえ!それとも永遠に男ってそういうもの?ジュリア・ロバーツもそう言ってたけど。
 ジュード・ロウって、この人は一頃のトニー・カーティスみたいに綺麗な自分を肯定した上でカリカチュアライズできる人材になったのかな。クライヴ・オーウェンの中年ぽいくさみったらリアルすぎて悲鳴が出そう。すごい!!!
 ジュリア・ロバーツの持ってるどことなく硬いムードもこの役にはあってると思う。だから、私には彼女の選択が無理なく納得できた。ナタリー・ポートマンのふっくら顔は泣き顔が子どもっぽくて良かった。女性のほうが性懲りなくても、潔くて小気味よかった。

 ただ、時間の経過の見せ方が今ひとつかなあ、と思った。セリフから年月の経過をわからせるのが多かったのは、元が舞台だから当然かもしれないけど、せっかく映画なんだからもっと見せ方があるんじゃないのかな。でも昨日は気が重いことがあって、3時過ぎに仕事放り出して映画に行ってしまったのだが、なんとなく肩が楽になって帰ってきました。しかしこのツケは今日に回ってくる…

ダーティ・ボーイズ (1996/米)

2005年05月25日 | 映画感想た行
BULLETPROOF
監督: アーネスト・ディッカーソン
出演: デイモン・ウェイアンズ  ジャック
   アダム・サンドラー  モーゼス
   ジェームズ・カーン コルトン
   ジェームズ・ファレンティノ  ジェンセン署長

 刑事ジャックは麻薬のおとり捜査で近づいたアーチー・モーゼスと妙にうまが合う。
 しかし、警察が現場へ踏み込んだ時、アーチーはジャックの頭を撃ち、ジャックは死線をさまよう。何とか回復して復帰した時に、麻薬組織のボス コルトンを有罪に出来る証人としてアーチーの護送を命じられたジャックだが…

 プログラム・ピクチャーとしてはそこそこの出来なのかな。
 ジェームズ・カーンの悪役もさほど目立ってないし、アクションも控えめ、完全に主役二人の芝居でもたせるコメディ。
 立ち寄ったモーテルでのシーンは面白かったし、脱出のカーチェイスもまあまあ。でもちょっとウェイアンズの芝居がコメディよりもアクション寄り一方で、それがサンドラーとの掛け合いでまじめ人間のかもし出すおかしみまで至ってないのがちょっと残念。だからラストの人情劇のほろり風味が今一つ利かない。
 これも「ロンゲストヤード」アダム・サンドラーでリメイクのニュース以来、なんとなくサンドラーが気になってたのでついオンラインレンタルの予約しちゃった映画。アダム・サンドラーは「なんか憎めないダメ男」と思いきや、ボスの秘密を全部知る立場にいたり、飛行機の操縦も出来るし、これでなかなか実力者?にしてはやっぱりノーテンキで、この明るさが彼の持ち味なんでしょうか?それで「ロンゲストヤード」はどうなる?!としつこく思う私。

サラディン

2005年05月24日 | 映画の話題
「キングダム・オブ・ヘヴン」は、映画の最後に

「実在の人物が実名で登場するけれど、
 これは史実にインスパイアされたもので
 史実の通りではありません」
という断り書きがでてまいりますが、
しかし私は、サラディンにはある期待をしていたんですね。

「寛容のサラディン」と言われ、洗練された人物だったらしいことは有名ですが、歴史の本なんかで見る肖像画では、こ~んな面白いターバン姿なんです!
 その絵は有名みたいなので、映画でもこのツノツノターバンで登場してくれるかなっ、とひそかに期待してました。でも、ありきたりなアラブの王様風でちょっと残念。戦場だし、ヨロイカブトだしね。

 ところで、この絵は仕事中に鉛筆でいたずら描きしたものですし、本気で描いてもやはり下手なので「こんなのサラディンに見えない」ことについては見逃してくださいまし。

 それにしてもへたくそ…

殺しの烙印 (1967/日)

2005年05月23日 | 映画感想か行
監督: 鈴木清順
出演: 宍戸錠   花田五郎
   小川万里子   花田真美
   真理アンヌ   中条美沙子
   南原宏治   大類進

 飯の炊けるにおいで昂奮するという妙な性癖がある殺し屋№3の花田。請け負った仕事で組んだ№2の殺し屋が死んだり、不思議な美女にめぐりあったり、仕事を失敗したり、ついには自分が№1の殺し屋に狙われる。

…なんてストーリー追うのもむなしい。別に見ているときは納得しているのだが、後からまとめようとすると「こんなのまとまらない!」という展開。
 この映画、はるか昔に見て炊飯器のシーン以外ほとんど忘れていた。昨年の初めだったか、「ピストルオペラ」を見て、少し思い出したくらい。今回見て、あ~ピストルオペラのあれはこれだったんだ、と確認。
 変な映画だと思う。絵は面白い。リアルタイムで劇場鑑賞してた人がどういう風に見ていたかはわからないけど、私は劇画・コミックのセンスに満ちているように思う。たぶん、こちらの映画のほうが先取りなんだろうけれど。ハードボイルドアクションにナンセンスと無理やりエロをぎゅうぎゅうに詰め込んだみたい。アクションは良いですし、、時々惚れ惚れする絵があります。
 小川万里子の服着てる暇ないほとんど裸ばっかりのセックスシーンと叫び調のセリフにも、真理アンヌのまるでバケツひっくり返したような水に打たれる痛そうな登場シーンにも、なぜか笑いがこみ上げる。南原宏治も凄腕というよりかっこいい変態に見えます。主人公の殺し屋の裸はやたら健康そうだし、主題歌もおかしい。かっこいいよりも、やっぱりおっかしい映画だと思う。
 鈴木清純監督は「けんかえれじい」は文句なし傑作だし、「河内カルメン」とか全編「わーははは」と笑える(すいません)「東京流れ者」が好き!これはやっぱり毛色が少し違う。

 監督の「オペレッタ狸御殿」見に行くつもりですけど、それは荒唐無稽と色彩を楽しむつもりで行きます!

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 今回のDISCASの配送は「殺しの烙印」「ダーティーボーイズ」という「こんなのもあるんだ!」で思わず予約ボタン押しちゃったのが揃ってきました。その「思わずポチっと」予約では「ホネツギマン」(アルバトロスだし、このタイトルだし)「水の女」(UA、浅野忠信)「千里眼」など。固めてこないようにもっと散らしておこう。

キングダム・オブ・ヘブン (2005/米)

2005年05月22日 | 映画感想か行
KINGDOM OF HEAVEN
監督: リドリー・スコット 
出演: オーランド・ブルーム  バリアン
    エヴァ・グリーン   シビラ
    リーアム・ニーソン   ゴッドフリー
    ジェレミー・アイアンズ   テイベリアス
    デヴィッド・シューリス  ザ・ホスピタラー

 12世紀のフランス。鍛冶屋のバリアンは子どもを亡くし、妻はその後を自ら追い自殺、打ちのめされていた。そこへ実の父親だというエルサレムを守る騎士ゴッドフリーが現れ、エルサレムへ来るように言う。一度は断ったバリアンだが、妻の遺体を傷つけ侮辱し十字架を奪った聖職者をかっとなって殺してしまう。そして神の許しを請うためエルサレムへ向かう。

 史劇なんですが、今日的メッセージバリバリの映画でした。映像はさすがリドリー・スコットで迫力あり、美しくもあり、戦闘シーンもあの砂漠の地平を埋め尽くすような軍勢とか、良く出来てた。ストーリーもさほどの破綻なく(主人公が庶民育ちなのにやたら強くて不死身なのは主人公だから許す)組み立てられてたと思います。実にたくさん死んでますが、それも一部の好戦敵野心家と、いい子ちゃんから卒業できなかった良心的な馬鹿が招いた悲劇です。神様を道具にしかしない人間とか、微妙なバランスの上での平和とか、実にひしひしわかる。
 だけどなあ、もうちょっと、という印象。
 そう感じられるのは、主役のオーランド・ブルームが実に綺麗だし、たくましくもなってるし、成長しとるんだなあ、と納得はするものの、お話を支える重みがやや足りなく思えるのです。特にラスト、もっと静かな深い感情を見せてほしかった。彼はもう一回分の人生を生きて、出発点に戻り、新しく生き直そうとしているのだから、平家物語の平知盛(この人は自死しちゃうけど)並みの「見るべきほどのことは見つ」という経験をした人間の持つ深さをもうちょっと感じさせてくれたらな…と思ってしまう。
 周囲のおじさん連はすごく良かったので、負けちゃった部分はあるのかも。
 デヴィッド・シューリスの老け役もやたら良かったし、ジェレミー・アイアンズは本当にずっしりと締めてくれます。エルサレム王も病んで弱っているとはいえ、戦士としての名声もある実力者を、マスクなのに実に強烈な印象で演じています。サラディンなんか、思わず「今イスラム世界を代表するような大国があれば、もう少し世界は落ち着いてるのに」と連想が走り、つい涙が出そうなくらいの貫禄。
 リーアム・ニーソンは、主人公に父として、騎士の目標としてもっと影響を与えなくてはいけないように思いますが、私的には印象薄め。
 エヴァ・グリーンはこの役らしい美貌でしたが、エルサレムだけでなく全部を放り出してよかったんでしょうか?これも納得いかない原因の一つかな?

ショーン・オブ・ザ・デッド (2004/英)

2005年05月21日 | 映画感想さ行
SHAUN OF THE DEAD
監督: エドガー・ライト
出演: サイモン・ペッグ ケイト・アシュフィールド ニック・フロスト ディラン・モーラン

 ロンドンに暮らすショーンは、29歳にして何に対しても煮えきらぬ態度で、仕事の後はパブに入り浸るばかりの冴えない毎日。だらしない友人のエドにもいいようにあしらわれ、そんな彼に恋人リズもついに愛想を尽かして、別離を宣言されてしまう。何とかしなくては、とあせる彼だがうまくいかない。そんな彼を他所に、周囲では恐ろしい変化が起きていた。

 面白かった!!
 ロメロの「ドーン・オブ・ザ・デッド」のパロディということだけど、ゾンビの設定をほんとに上手にいただいてアレンジして作ったコメディですね。リメイク版の「ドーン・オブ・ザ・デッド」はやたらパワフルで敏捷なゾンビになってたけど、これはゾンビの「デッド」としての虚ろさがきちっと感じられます。そして「出口なし」の絶望感をひっくり返すラストには感動すらしました。
 怖いとこは怖いし、やっぱり人食いゾンビだけど、えぐい表現は目つぶっちゃう一歩手前でとどまっているし、全部しっかり見ていられました。
 はじめから、主人公のしょうもない日常が実にたるいテンポで描かれてます。見ているほうも「はっきりせんかい!しゃきっとしろ!」と怒鳴りたいくらいにイライラしている間に、背景の街が荒廃していく。それにテンで気付かない、気はいいけどあくまでスットコドッコイな彼の日常の切り取り方が良いです。同じところをビフォア・アフターで同じように見せてくれたのもGOOD。これに限らず、繰り返しの利かせ方がすごく上手。車ではねたのがゾンビかどうか確かめるシーンといい、母救助シミュレーションで人間関係を見せるあたりも本当にうまい!
 コメディとシリアスの配合もとってもうまい。義父の死のシーンとか(ビル・ナイ素敵!)友人との別れなど、しんみりをきちんと利かせて、その上であくまで笑わせてくれました。クイーンも笑った!
 ホラー・コメディより、トラブル必死で突破のサバイバルものコメディの要素が強いように思った。ほんとに「巧い!」映画。

ヘルボーイ(2004/米)

2005年05月20日 | 映画感想は行
HELLBOY
監督: ギレルモ・デル・トロ 
出演: ロン・パールマン ジョン・ハート セルマ・ブレア ルパート・エヴァンス

 大戦終結前、ナチスとロシアの妖僧ラスプーチンとによって異界から召喚され、誕生した真っ赤な姿の奇妙な生き物。その生き物はそこを急襲したアメリカ軍とブルーム教授によって“ヘルボーイ”と名付けられ、教授に「息子」と呼ばれ、育てられる。やがて成長したヘルボーイは、極秘の超常現象調査防衛局(BPRD)のエージェントとして異界からの侵略者たちと闘っていた。

 ギレルモ・デル・トロは、なんだか気になる監督なのです。「デビルズ・バックボーン」は本当に良かったし、この人の画面の色が好き。まだうまく表現する言葉が見つからないんだけど、湿度がわかるような色の使い方をする。

 呆れちゃったけど、面白かった。けっこうこういうの好きです。
 アメコミ原作で、アクションもとってもアメコミチックで飛び出す、弾むみたいな感じ。異形の主人公なのに、自分の異形さを「醜い」レベルの捉え方をしていて、本質の異形さまでふか~く悩んでない。なんだかおかしい。博士も、よほど可愛がって育てたんでしょうねえ、と言葉が出ちゃう。ヘルボーイには、自分がこの世界に存在しても良いものかどうか、という疑問がないもんね。この主人公の自己肯定感のおかげでどんなライトな展開もすんなり肯定できそう。
 まあ定石パターンを踏んだ展開だし、ちょこっと不満は悪役がそれほど強くない。ラスボスもけっこう簡単にやっつけて主人公は無事。博士を除いては、重要人物以外はかわいそうな扱い。
 それにヒロインの不機嫌なムードと強さ、お守り役のみそっかすぶりがまた、たまらない。
 ラストシーンの、ナレーションと、3人が入ったキスシーンには笑いが止まらなくなった。

バタフライ・エフェクト(2004/米)

2005年05月19日 | 映画感想は行
THE BUTTERFLY EFFECT
監督: エリック・ブレス J・マッキー・グルーバー
出演: アシュトン・カッチャー エイミー・スマート ウィリアム・リー・スコット

 “バタフライ・エフェクト”とは、カオス理論を“一匹の蝶が羽ばたいた結果、地球の裏側で竜巻が起きる”という喩えで表した有名な言葉。はじめのちょっとした差異が波及して大きな違いになっていくこと。
 精神を病む父親を持ったエヴァンは、時々記憶がなくなることがあった。なにか決定的なことが起こったときにそうなってしまう。心配した母は彼に日記をつけさせる。大学生になり、そういった発作もなく無事に過ごしていたある日、彼は昔の日記を読み、なくした記憶が甦る。そしてなんと彼はその過去を修正することが出来た…

 終始息苦しいほどドキドキさせてくれた映画。
 人間誰しも「あの時ああしていれば」という重かったり軽かったりする後悔の気持ちを持って生きているものだと思うが、それを修正できるとしても、それがいいほうに転ぶかどうかはわからない。しかし彼は、何度でも繰り返すのだ。幼馴染の最愛の彼女を救う道を求めて。
 ドキドキはたっぷり味あわせて貰ったのだが、私には、彼女のために彼が払った犠牲の大きさをもっと味あわせて欲しかった恨みが残った。欲張りなんだけど、やはり最後に切なさで打ちのめしてもっと泣かせてほしい、という欲求が残ってしまった。たぶんハッピーエンドでない分十分に泣かせてほしいという要求だろう。

 ちょっと未解決が残っている。彼の頭の中のトラブル、また父親とのこともあれだけなのかな?とはいえ、苦労して昼食ぬいて見に行って満足。
 アシュトン・カッチャー今まであまり見ない俳優なので、こういうサスペンスでは知らなさがよかったように思う。本当に"Punk'd"(ドッキリ報告みたいな番組。カッチャーが仕掛け人になってるらしい)のDVDを見る前でよかった。ほかの若い俳優たちのその状況に応じた人格の変化も、特にエイミー・スマートの化け方に感心。

駆け込み映画館・最近の事件

2005年05月18日 | 日記・雑記
今日もまた映画館へ駆け込みでみてきました。
「バタフライ・エフェクト」
なんせ、行ける範囲の映画館では1週間しかやらないので必死。

個人営業の私は毎朝その日の仕事を列挙して、何とか時間をやりくりして見にいくのだけれど、本日はきつかった。朝からPC仕事片付けて、銀行、郵便局、KINKOSまわることにしたけど、支店番号の変わった通帳があって、銀行で時間がかかったので昼飯抜き。

でも、映画が面白かったので可。
ずっとドキドキさせられた。
ただ、もう一つだけ片付けて欲しいことがあったけどまあいいや。
明日でも感想アップします。

ところで、最近の少女監禁事件で犯人が自分のことを「ご主人様と呼べ」なんて言っていたらしいですが、こういうことをギャグでなくいえる精神構造ってどうやったら出来あがるのでしょう。
思い出すのが、源氏物語の朧月夜との出会いシーンで、源氏が

「まろは、皆人にゆるされたりば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらむ。ただ忍びてこそ。」(私は何をしても許される人間ですから、人を呼んでも無駄ですよ。静かにしていらっしゃい)

なんていうじゃないですか。やってることも悪辣だけど、言うことも小面憎い!いくら美貌で多才で王子様だからってなんだこの言いぐさは!源氏というのは実にけったくそ悪い男だなあ、と心底思うシーンなのだが、まあ1000年近く昔ですから。今の観念でどうこうは言いませんが。しかし現実にこういう人間になってみたいとか思うのだろうか。
 今時のご時世に、こういうシーンが恥ずかしくない人間というのは妙なものだと思う。

3人のエンジェル (1995/米)

2005年05月17日 | 映画感想さ行
TO WONG FOO, THANKS FOR EVERYTHING! JULIE NEWMAR
監督: ビーバン・キドロン
出演: ウェズリー・スナイプス パトリック・スウェイジ ジョン・レグイザモ

 ドラッグクイーン・コンテストのニューヨーク地区予選を勝ち抜いたヴィーダ、ノグジーマは、ハリウッドでの全国大会に出場することになる。飛行機で行くはずが、ヴィーダが予選に落ちて泣いていた落ちこぼれチチを連れて行くと言い出したためにポンコツ車で大陸を横断すことになり、3人の珍道中が始まる。

 ドラッグ・クイーン3人で車に乗って…という展開で、どうしても「プリシラ」に比べてしまい、ちょっと損ですね。ヴィーダの家族のエピソードなんかもさら、だし。彼(女)らの「どうしてもこうでなければ生きられない自分の葛藤」というところが弱い感じ。でも楽しめる、気持ちのいい映画です。
 昨夜も「イン&アウト」という(女装でない)ゲイを扱ったケヴィン・クラインのコメディを見ていたのだが、これもラストの「ほっと安心」を越えた部分は今ひとつな感じであった。どちらも保守的な土地を設定して、性向を乗り越えて人間性を認める、共感と信頼を持ち合うことは可能だというお話。やはりそうではない世界に対する訴えなのでしょう。
 この映画は「俺たちは天使じゃない」のドラッグ・クイーン版みたいに思いましたが、あれよりもひねってないです。

 パトリック・スウェイジは、本当にうまかったと思います。しぐさも、気持ちも大袈裟でなくて、本当にレディの心を持っているように見えます。(それに内緒だけど、3人の「谷間」には、ほんとため息なのだ。もちろん胸筋の谷間であることはわかってるんだけど… 私、何にしたってありませんので)

酔っぱらった馬の時間 (2000/イラン・仏)

2005年05月16日 | 映画感想や行
A TIME FOR DRUNKEN HORSES
監督: バフマン・ゴバディ
出演: アヨブ・アハマディ アーマネ・エクティアルディニ マディ・エクティアルディニ

 イラン=イラクの国境地帯に住むクルド人の村は密輸業で生きている。母は既に亡く、地雷で父親が死んでしまい、5人の子どもたちが残された。長男マディは難病で障害を持ち余命もわずか、しかもそれを伸ばすための手術代が必要。12歳の次男アヨブは家長として、生計を支え手術代を稼ごうと密輸のキャラバンに加わる。

 こういう映画を見ると、私の「あたりまえ」と、世界の別のところの「あたりまえ」のあまりの格差を思い知らされて愕然とするしかない。泣ける映画というのは、涙で余計なものと、気持ちの中に積もったものを洗い流してきれいにしてくれるのだが、この映画は、涙を禁じるような、粛然とさせる迫力がある。
 密輸のキャラバンは、あまりの寒さに凍える馬(ラバ)に酒を飲ませて酔わせ、山越えをさせる。荷を担ぎ、あるいはラバを引いて共に歩くアヨブは手袋さえない。その上に騙されたり、様々な不運がのしかかるが、小さな身体で彼は全て受け止め、家長としての責任を果たそうとする。その生き方、行動にまったく迷いがない。誰にも他を恨む言葉がない。ギリギリの生活の中で、はっきり言ってしまえば足手まといのマディを皆が愛し、その命をいとおしむ。妹に自分が働くから学校を続けろと言う12歳の「家長」 但しこれは12歳だからこその言葉でもありそう。
 必死に働くのは彼一人だけではない。土地があっても地雷で踏み込むことが出来ない、耕せないから密輸するしかない生活を送る、また密輸業者相手の商売をする少年たち。
 ラストシーンでも、話をまとめて、見ているものの気持ちをおさめてはくれない。ただ彼らの苦闘は続くだけなのだ。

 ヨアブの男としての姿勢に「男としてこうでなければ」という文化的背景も感じられる。また結婚してしまった姉のこれからにも胸が痛む。10代の女の子たちの感想は「意味不明(ラストで突き放さないで)」「やってられない」納得するにはあまりに過酷だ。でもこれは、覚えていなくてはいけない。見るだけでも、見ておいて欲しい。