高橋義孝訳 新潮文庫
婚約者のいる女性ロッテに恋し、その純粋さ・多感さのゆえに破滅していく青年を描いて社会的にも文学史にも重要な傑作。
今、エキサイトブックスで毎週木曜連載中の
「非モテ文化史」シリーズというのがある。最近のは「明治のポジティブ毒男、武者小路実篤の巻」3回で、武者小路とその妻房子を今の毒男風に読み解いて面白かった。もちろん、「お目出たき人」も元祖勘違い君なところばかりでなくて、理想の愛情を求めるとか、自らを高めようとする主人公もまた読みどころではあります。
小説は人それぞれ自分の読み方で読むものだけれど、やっぱりこういう風に読めるよね~と共感を禁じえない。このシリーズでは「トニオ・クレーゲル」「ムーミン」も登場していて、これからが楽しみ。「ベニスに死す」はあたりまえすぎてダメかな? で、私が期待しているのが「若きウェルテルの悩み」
ゲーテの名作中の名作で、ゲーテ自身が「この小説が自分のために書かれたと思う一時期をもたない人間は不幸だ」という言葉を残したそう。しかし、中学の時に初めて読んだときには「気持ちわり~」としか思えず、終盤のほうで、完全に周囲から浮き上がってしまったウェルテルに好意を持ち続けるロッテにさえも「なぜ?」と思ってしまった。
ウェルテルは、誠実や美しいものへの賛美と、俗物性や不正、人間の卑小さへの嫌悪に対する感性が鋭すぎ、それを押し殺して生きるには神経が繊細すぎる。したがって、彼の持つ全ての刃はその純粋さのために自分に向けられることになる。そして彼は自殺する。
人間生きる年数が長くなると、それなりにいろんな感情を体験するし、そのたびにウェルテルの昂ぶったり沈んだりにも共感を持てるように、彼の感情の一端を知ることになる。ウェルテルほど高くもどん底にも行ってない程度なのだが、それでも「この本は我がためのもの」感はなんとなくわかるようになる。
それと共に、ウェルテルの痛々しさもだんだん肌の奥まで刺さっていくようだ。
彼は若く、前途を切り開く意欲に燃え、世界を美しいものと見、理想をわが手で築かんとする清冽な心を持った青年として実にさわやかに登場する。それがかなわぬ恋に捉われ、社会の不合理や醜さに妥協を拒んで追い詰められる。決して彼の憧憬と賛美を裏切ることのないロッテは決して手の届かぬ存在であり、情熱をほかに向けようとした彼の努力は裏切られる。死は恋のためだけのものではない。
でも、やっぱり傍にこれだけ激しい人がいなくて助かったなあ、と思ってしまう。もちろん私が誰かにこれだけ思いを寄せられることはないだろうが、傍目で見ていてもかなり不気味だ。
絶対に思いを遂げられない恋する人の傍で、感情が高まってしまって、彼女が演奏している最中にわっと泣き出す、いきなり彼女の小さな妹に強くキスして泣かせてしまう。結婚した彼女とその夫の前で自分をもてあまして大騒ぎしてしまう。
自分が会いにいけないときには、下男をやって、この男に彼女の目が注がれたと思ってときめく…
やっぱりまだひいちゃう。