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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

最後の一葉

2010-12-03 20:00:00 | おすすめ記事


        
          (最後の一葉)



《マダム・N》ねぇ、O・ヘンリーの『最後の一葉』ってお話、知っている?
《オットー》おお、知ってる。知ってる!
      岩手競馬の最終レース、最後の一葉さんを握りしめて馬券売り場へ...
      おっとっと、その一葉さんではなかったな。 

《マダム・N》馬鹿ね、相変わらず!
     これは昔から不思議と日本人に愛されている物語よね。
       確か...若い画家志望の女性が重い病気にかかって
       窓の外の蔦の葉っぱが全部落ちた時自分の命もおしまいになると...
《オットー》それを知った老画家が、壁に本物そっくりの蔦の葉を描きあげる。
      女性は絶対に落ちない蔦の葉を見て再び元気になったけれど
      無理をした老画家の方が死んでしまうという悲しくも感動的なお話だ。

《マダム・N》小学校の国語の教科書に載っていたわね。
《オットー》道徳の[自己犠牲]の教材として使われているのじゃないか?

《マダム・N》自己犠牲...尊い行為だと思うけれど、あなたには全く無縁な言葉よね。
      もしも、もしもよ、私がこの女性と同じような状況になったとしたら?
《オットー》あはは!
      下手な絵を描いても仕様がないし、糊で貼り付ける訳にもいかないし
      思いっきり木の幹を揺らして早くスッキリとさせてあげるよ!
《マダム・N》こ、この人殺し!


 このような夫婦の会話が本当にあったかどうかは別として...
熟年夫婦の話の最後がブラックユーモアに陥るのは特に珍しいことではありません。


 落ち葉掃きに忙しい今日この頃。
梅の枝に必死にしがみついている最後の葉っぱをぼんやりと眺めていました。
風に揺れて小刻みにふるえているのに落ちそうでなかなか落ちません。
「この諦めの悪い葉っぱの名前はフレディだろうか?」

 私の落葉のイメージは、人生の終末と言うよりも生の循環のイメージの方が強いです。
だから【最後の一葉】よりは【葉っぱのフレディ】のお話の方が好き。
裸になった木の枝先には、春を待つ新芽がこんなにたくさん用意されているのです。
樹木の一生は人の一生よりも遙かに長く凄いけれど...もしかしたら退屈かもしれません。

 最後の一葉が地に落ちたらきっぱりとした冬がやってきます。
でも今年は、なんだか生暖かく気持ちの悪い12月です。
私も、どことなくすっきりとしない日々の中で淀んでいました。

 先月は開店しているのに休業状態だったblog-cafeでした。
体調が悪かった訳でもパソコンの不調でもありません。
強いて言えば老人性鬱病? いや、年寄りの気まぐれか?
自分でも持て余し気味ですがどうにもなりません。
またぼちぼちと始めます。