韓国市民団体
「広島・長崎への原爆投下は国際法違反…米国の責任を問う」
「私たち被爆者が本当に望むことは、米国が1945年に広島・長崎に核を投下したことを謝罪し、それを出発点に全世界の核が鉄くずになる日を迎えることです」(韓国原爆被害者協会のイ・ギヨル監査)
「米国の原爆投下が1945年の当時の国際法でも違法だということを『原爆国際民衆法廷』で明らかにすることが、原爆をなくす過程で重要なきっかけになると思います」(「平和と統一をひらく人たち」のオ・ヘラン執行委員長)
先月29日、ソウル市西大門区忠正路(ソデムング・チュンジョンノ)3街にある平和運動市民団体「平和と統一をひらく人たち」本部で会ったイ・ギヨルさんとオ・ヘランさんの誓いだ。二人は7~8日、広島で開かれる「米国の核兵器投下の責任を問う原爆国際民衆法廷・第2回国際討論会」にともに参加する。今回の国際討論会は、2026年にニューヨークで開かれる原爆国際民衆法廷へと向かう重要な一歩だ。韓国、日本、米国、スイス、オーストラリア、ニュージーランドなどの学者が参加する今回の国際討論会では、広島・長崎への原爆投下の違法性を精密に調べる予定だからだ。その後の2年間で補完点を点検した後、ニューヨークで米国の違法性を最終的に宣告する予定だ。
イさんは原爆国際民衆法廷に米国を告訴した原告であり、オさんは韓国原爆被害者協会から裁判進行の依頼を受けた「平和と統一をひらく人たち」を代表し、民衆法廷の準備を総括している。
米国の核兵器投下の違法性を問う
2026年の「原爆国際民衆法廷」に先立ち
7~8日に広島で国際討論会参加
一家7人が被爆したイ・ギヨル監査
民衆法廷に米国を告訴した原告
「核の違法性の国際認識が高まれば」
民衆法廷の準備を総括するオ・ヘラン執行委員長
「有罪判決後、民事訴訟提起を計画」
イさんが原爆国際民衆法廷に米国を告訴するのは、約7万~10万人に達する「朝鮮人被爆者の恨(ハン)」を代弁した行動だ。被害者はほとんどが徴用などによって広島と長崎に連れていかれた人たちだ。このうち現時点で生存している人はわずか1800人ほど。生存者もほとんどが生涯を通じて被爆の後遺症に苦しめられた。
「1945年3月、広島で5人きょうだいの末っ子として生まれました。鉄道労働者として広島に行った父をはじめ、母を含む一家7人が同年8月6日に全員被爆しました」
イさんの家族は解放(日本の敗戦)後、11月に釜山(プサン)に帰国したが、待っていたのは貧困と被爆の後遺症との長い戦いだった。
「両親は後遺症でたいへん苦労しました。特に母は毒薬に使われる植物のヤマゴボウなどを使った民間治療法で治療しました。ところでそれは間違っていて、1970年代半ばに68歳の年齢で亡くなりました」
当時日本は1957年に「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」を制定し、日本人被爆者の治療は支援したが、日本在住者に限定しており、韓国に戻った被爆者は除外された。
「私も4歳の時から、夜にふとんに横になると、鼻腔が痛くて眠れませんでした。マスクを使ってやっと眠りにつくことができました。その後も、お尻を毎日消毒する必要があるほど皮膚病がひどく、鼻と首に出たこぶの除去などのために手術を7回もしなければなりませんでした」
韓国の被爆者たちは、韓国政府の無関心のなか、このような苦痛を乗り越えるため苦しみながら闘い抜いた。日本政府などを相手取り28回も訴訟を起こし、25回勝訴した。そのような困難な過程を経て、被爆の後遺症の治療において日本人との差別をなくした。
しかし、さらに大きな問題は米国だった。原爆投下の当事者である米国はその間、なんの謝罪もせず、誰も処罰を受けなかった。これに対し、1967年に「韓国原爆被害者協会」を設立した被爆者たちは、米国大使館の前で謝罪を求めるデモを行ったりもした。しかし、陣営対立の時期に米国に矢を向けることは敏感な問題だった。「米国が広島・長崎に原爆を投下したおかげで解放が早まった」という一部の世論も障害になった。
このような状況で、韓国原爆被害者協会のシム・ジンテ陜川(ハプチョン)支部長(81)が2015年5月に国連で行なった核兵器不拡散条約(NPT)検討会議での演説は、重要なきっかけになった。当時シムさんは「いまや被爆者が立ち上がり、二度と核兵器を使えないようにする運動を行わなければならない」として、「まず最初に米国に自己責任を認めさせるようにする」と明らかにした。
その演説が原爆国際民衆法廷の出発点となった。シム・ジンテさんは現在、イさんとともに民衆法廷の原告として参加している。その後は、韓国原爆被害者協会が民衆法廷の進行を「平和と統一をひらく人たち」に依頼してきた。
「平和と統一をひらく人たち」は民衆法廷は「容易ではない闘い」だと考える。まず、米国の国内法には原爆投下を処罰する規定がない。国際法で闘うべきだが、NPTの設立などの核関連の国際法にも米国の影響力が強い。同盟国である米国の過ちを問うという点で、韓国の保守陣営の反発も強まる可能性がある。オ・ヘランさんは「『平和と統一をひらく人たち』内で、『困難かもしれないが、それでもお年を召した被爆者の方々がやるというのであれば、私たちが支えないわけにはいかない』となり、『やろう』という結論に至った」と述べた。
原爆国際民衆法廷では、この問題を「人道法」などに基づいて解決していく計画だ。昨年6月7日、慶尚南道陜川で開かれた第1回国際討論会では「広島・長崎への原爆投下が戦時に適用される国際人道法の『基本原則』である区別の原則(民間人への攻撃の禁止)、不必要な苦痛の禁止、そして『法律に具体的に明示されなくても、国家は公共の良心の要求により民間人保護などの既存の人道的慣習に拘束される』というマルテンス条項などに反する違法」だとする結論を引き出した。今年はこれをもう少し精緻化し、1945年以降の国際人道法の発展などを考察し、「現在時点での原爆使用はさらに大きな犯罪」だという点を明確にする計画だ。
「2026年にニューヨーク民衆法廷で有罪判決を受けてからなんらかのきっかけが来れば、米国を相手に民事訴訟を提起する計画です。しかし、国際法律家たちはその訴訟には約30年は要すると言います。長い闘いになると思います」(オ・ヘランさん)
「民衆法廷を通じて米国の謝罪を勝ち取り、核使用の違法性に対する国際的認識が高まり、最終的には北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)政権も核使用をあきらめると宣言する日が来ることを望みます」(イ・ギヨルさん)
道のりは遠いが、その道の走り遂げるという二人の意志は決して弱くなかった。