どこ吹く風

旅のことを主に書く。

ミニヤコンガ

2008年11月14日 12時44分05秒 | 08年中国の旅
 ミニヤコンガで検索すると「もしかして: ミニヤコンカ」と表示される。ミニヤコンカが正しいのかな。でもミニヤコンガでもけっこうな数がヒットするので勘違い(?)している人も多いのだ。ついでに磨西には長征途中の毛沢東が滞在したそうだ。ガイドは説明しただろと思う、マオという言葉は何回か耳にしたのでその時に説明したのかもしれない。ミニヤコンガを検索中に知りました。

、ミニヤコンカは標高7556mもあり、アジアでは最も規模が大きい氷河があると記述されたサイトがあった。改めてふ~っと思う。何らかの条件付で最大規模の氷河かもしれないけど、山の頂上付近から急斜面を一気に流れ落ちる氷河は、スイスのオーバーエンガディンのディアヴォレッチャから見る氷河よりも迫力があった。

 その大迫力を間近にみる展望台へは4Kmもの長いロープウェイで座ったままで行ける。8人乗りのゴンドラに揺られながら周りの景色に見とれているうちに着いてしまう。緯度が低い所為か高地なのに樹林帯の真っ只中だ。展望台へ急ぐ、ただ高度障害を恐れて逸る気を抑えながらゆっくり歩く。
ゴンドラからも見えた氷河は目の下に流れている。氷河の全面が土砂に覆われているので氷の部分は殆んど見えない。しかし表面はクレバスやセラックでひび割れしているので氷河独特の形は残っている。

 山にへばり付いている氷河は滝がそのまま凍りついたような荒々しさがあるので、氷瀑と呼んだほうが似合う。展望台に着いた時は生憎山頂付近はガスが掛かっている、せっかくここまで来たので時間いっぱい粘って晴れるのを待つことにした。一瞬晴れそうになるが又ガスが湧いてくる。
山の片側とか頂上付近だけなので、団扇で扇いででもガスを吹き飛ばしたかった。粘った甲斐があり僅かな時間だがミニヤコンカの全容が見え、その姿には神々しさを感じた。

 昼食後に2号営地の温泉につかった。すべて露天風呂となっており、温泉の温度も池の広さもいろいろあるので試しながら移動して入った。

 海螺溝山あり温泉あり、其処へ行く途中の景色も素晴らしい。歴史的にも特色ある地域です。6千円で2泊3日のツアーは今回の中国旅行に海螺溝を入れて良かった。

写真は泥流に見えるけど氷河です。

海螺溝の入口磨西

2008年11月13日 23時41分31秒 | 08年中国の旅
 海螺溝の入口の町です。尾根の中ほどにあり山の中ではあるが開けた感じのするところにある。山の中ということか或いは季節所為か雨が降ったのかと思うほど夜は霧がかかった。
ラマ教の寺院があり曼荼羅やら独特の図柄で装飾されている、塀には解放軍と坊さんの会談の様子が描かれており、解放当時の状況を説明がなされているのだろう。長征の道すがら地主から小作人への土地解放をしながら進軍しているのでこの地域は初期に解放されたのだろう。地主からの解放と同時にお寺からの解放もなされただろうから、その正当性が描かれていたのかもしれない。

 バスの中でガイドがお金を集めていた、このツアーは観光施設の入場料が含まれていないので翌日の海螺溝の入場料金と思って支払った。しかしこれはオプションの民族歌舞団観賞料金だった。説明の内容が分かっていたらパスしたのに。案の定というか歌や踊りはいいのだが音楽の音量が耳をつんざくばかりに襲ってくる。手で耳を覆っていたがそれもメンドウになり途中で退場した。チベット族関連の劇場は全てこの音量のようなので敬遠したほうがいい。九塞溝で観劇した人も同じような不満を話していた。
見たい方は耳栓を持参が無難でしょう。
 
 ツアーは宿泊ホテルによって料金が違う。110元高い三ツ星ホテルを選んだのは私たちだけだった、それで夕食は中国人が泊まったホテルまで出かけなければならない。それで20分歩く羽目になった、坂道を登りながら三輪バイクが来ないかと後を振り返りながら歩くも全く来ない、そのうち会場のホテルに着いた。皆さんは既にテーブルを囲んでいる。食べ始めると例の如くあっという間に食べ終わった。その間20分足らず、また歩いてホテルに戻った。こんなことなら同じホテルにすればよかったと妻と笑った。

 オミヤゲ品屋には水着がたくさん並んでいる。周りの風景とは違和感があり奇妙な感じがしました。こんな山の中でと思ったのですが、公園内に温泉があるので水着を買う人が多いのです。私は温泉のことをしっていたので水着を持参しました。磨西は高度が高いので夕方になるとけっこう涼しくなるので店頭に吊るされた水着はよけいに似合わなかった。

 明日はミニヤコンガが見えるのか気がかりだった。

写真はお寺の塀に描かれた絵です。

康定橋 大渡河

2008年11月12日 11時22分23秒 | 08年中国の旅
訂正:コメント蘭のKMさんのご指摘のように、私が康定橋と書いてある橋は「濾定橋」のマチガイです。全て読み替えてください。
ご指摘ありがとうございます。本来なら全て訂正すべきでしょうけど、書いた箇所の全てを見つけることは無理だと思いますので、この簡便方にてシツレイします。
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 二朗山トンネルの入口は中国の門、城壁の門のようになっている。トンネルに入るとトンネルはトンネルで、コンクリートの壁が続くだけなので、国内最長といわれても面白くも何とも無い。
トンネルを抜けると遙か彼方まで連なる山々が見える。今度は下り坂となってぐんぐん高度を下げる。三国志に「七たび捉えて七たび放す」話がある、孔明が南方平定に向かう時もこの辺りを通ったのかな~。そんなことは無い浅い知識を張り合わせた妄想です、景色を楽しみ妄想に耽っているうちに海螺溝と康定の分かれ道に来て右の方、康定への道を行く。

 康定は谷あいの町で、バスから降りた近くに大きなモニュメントがあった。康定橋奪取の模様を刻み、20数名の戦士のレリーフがある。中には氏名が記されていない人もいる。無名の勇士・・・余計に強烈な印象を与える。中国革命はこのような人によってなされたのだ。深く頭を下げた。

 そこから河まで遊歩道として整備されており、毛沢東の書による祈念の言葉が水の流れの中に刻まれている。やはり心に残った場所なのだろう、この書はデザイン化されてホテルのロビーも飾っていた。行書体なので読まなかった、読めなかったかな。

 康定橋の両岸には建物が建っている。城門のようなもので吊り橋の基礎を覆うように建っている、基礎の保護の為か、関門としてか、記念としてなのか分からない。質問しようにも言葉の壁がある。蒋介石軍がこの橋を切って落とさなかったところを見ると、この橋は目の前の戦闘に勝つかどうかという近視眼的なものを越える重要性があったのかもしれない。
 ”撤退する時はパリの全てを爆破せよ”というヒットラーの命令を実行しなかったドイツ軍司令官の気持ちに通じるものを康定橋の守備隊長は持っていたのか。数百年前にあの橋を架けるときは莫大な資金と労力を要したであろうことは見れば分かる。橋が無くなれば生活に多大な影響が出るだろう、何十年も。

 橋とはいえ鎖だけになり対岸には敵の陣地がある、そこを鉄砲を担ぎ腰には蛮刀、手榴弾などを身に付けて鎖に取っ付いてにじり寄って敵に向かった紅軍兵士、ゆらゆら揺れる急流の上でしばし物思いに耽った。
攻める側守る側それぞれの想いはあっただろう、しかし勝敗を決したのは革命に命を捧げる情熱、身を挺して向かうという精神力が勝ちに繋がったと信じたい。戦争に美談は付き物だがその行為が後世どのように評価されるかが問題であろう。現代中国における評価を聞きたいものだ。
サボテンの実を食べながら、近くて遠い過去の武勇伝になっているのじゃないかなと思った。

 橋を見物した後思わぬオプションの河下りーラフティングーが100元であった。説明をしたようだが言葉が分からず皆さんの後を追って歩いたら船着場に着いたので分かった。10数分の短いコースだが康定橋をくぐりチョットした荒波のある瀬では年甲斐も無くヒャッホーと喚いて充分満喫しました。

康定橋へ

2008年11月11日 10時26分18秒 | 08年中国の旅
 トイレ休憩を済ませ大混雑している市場前を通り抜けた。タイヘン時間が掛かりました。農作物を始めとする商品が道路の車道にはみ出し、通行人やら客待ちの車で道が埋まっている。田舎では充分広い道路がすれ違い出来ないほど狭まっている。そこを大型バスと大型トラックがすれ違うのだから至難の業、お手上げ状態になっている。周りの住民は混雑には全く関係無いかのごとく平然としている。ガイドが降りて商品を移動させ、対抗車両を誘導しそしてバスを進める。
バスの窓からその状況を見ていて面白かった。

 11時過ぎに早めの昼食をとる。中国人の食事は慌ただしさを感じる、ご飯とスープの他に7~8品並ぶのに20分足らずで食べ終わる。ターンテーブルが無いので皿は空いている所に置く、手をうんと伸ばすか立ち上がって箸を出すのはしょうがないとしても、立ったまま食べている人がいる。奇妙に感じるも周りの人はそれほどでもない。
出発前に小用を済まそうと其処へ行くと案の定ニーハオトイレだった。(笑)

 早めの昼食をとって又高速道路に入り暫らく走る。康定との表示板が見えてインターを降りた。そこにモニュメントがあった、荷物を担いだ人や馬が行列している像が並んでいる。写真を撮り損ねた。
私はピンときた、あれは長征の記念像だろうと。学生時代に読んだ「長征」を思い出した、橋を制圧せねば紅軍は行く手を阻まれる、橋を死守すべく対岸を急ぐ蒋介石の援軍。この戦闘の様子はまるで三国志を読んでいるかのごとく興奮したものだ。

 その康定橋が近いのか、と思ったらここはほんの入口でこれから渓谷沿いに峠を越えて行かねばならないようだ。バスは曲がりくねった山道をぐんぐん上っていく、しかも広くも無い道それに見通しが悪いのに前を走るトラックを追い越す。追い越したと思ったら後から走ってきた車両に追い越される。前からは追い越してくるトラックもある、双方とも警笛は鳴らしっぱなしだ。

 この警笛を善意で解釈すると、直前の車には追い越しますヨという合図とともに、カーブになっていて見えない前方の対向車には追い越し中なのでご注意あれ、という合図なのでしょう。
走行しているのは大型車両が主なので衝突事故が起きたら大型バスとはいえ安心できない。しかも谷に落ちたらどうにもならない、しかしほぼ全ての車両が先を急ぎ追い越しレースに参加している。無謀なのか運転技術が良いのか判断は紙一重、いややはり無謀なのだろう。でも前に車がいると何時追い越しをかけるか期待する心境になるのは不思議だ。(笑)

 そろそろ峠かと思うとその先が出てくる、高度が上がるに連れて涼しくなってきた。蜀は山国だと実感する。ようやく二朗山トンネルに到着する、数年前にトンネルが出来たので時間が短縮されたとあった、長さ4Kmなのに中国で一番長いトンネルだそうだ。何でもでっかく大きい中国でたった4Km で最長のトンネルに少々拍子抜けする。地震の影響を受けていないのが何よりです。

 トンネルを抜けて降りていくと康定と海螺溝との分かれ道があった。バスは橋へと右の道をとった。遥か下のほうに大渡河が流れている。長征の史跡が見られるので感慨深いものがある。昨年行った延安の楊家嶺、今年は康定橋と長征に関連する史跡へ行けて嬉しい。
もしかして現代の中国人よりも思い入れがあったりして・・・(笑)

写真:このような場所を大型バスが抜けるのだからタイヘンです。

海螺溝へ

2008年11月10日 09時11分52秒 | 08年中国の旅
 海螺溝は前々から知っていたわけでありません、九塞溝以外の四川省での観光地を探して見つけた場所です。ミニヤコンガという山の名前は知っていたけどそれが海螺溝とは知らなかった。
7千数百メートルの山で一気に流れ落ちる氷の滝、最も南にある大氷河が見られるとあるので行くことにした。

 そこは温泉があり、公園内に温泉がありホテルもあるというので乗り合いバスを利用して個人的に行くつもりだった。しかしバスの乗り方やホテルの予約など面倒なこともありそうなので現地ツアーに参加することにした。それで成都の宿の旅行デスクにツアーの手配を頼んだ。
事前のメールでの問い合わせからチケットの取得まで今回の中国旅行の手配は全てここを通しました。詳しい打ち合わせは成都到着後に行なった、シーズンオフだったのでそれで充分間に合いました。

 そこを拠点に動いたのですが、数日間荷物を預ってくれるので助かりました。また様々な国からこれまた年齢層の違う人たちが滞在しているので話を聞いていて面白い。四川省へ行かれる方には役立つでしょう。

http://gogosc.com/jply_HOME.asp

 ツアーの集合場所までデスクで手配した車で行った。20元也、帰りはそこからタクシーで戻ったがゲストハウスの門前で20元に上がった、このことからも料金設定は良心的です。

 大型バスは既に満席状態で2人並んだ席は無かった。妻と前後の席に座ったところガイドがお客さんに相談し移動してもらい並んで座れた。相手のお客には窓側の席を譲ってもらった格好になったので申し訳なく思いました、ガイドには感謝です。

 出発するとガイドは当然の如く何やら説明を始める、言葉が分からないのに必死に聞こうとしている自分がいる。全体の2%は分かった、地名だけだけど。海螺溝へ向かっているのに九塞溝という語が聞こえる。推測・当てずっぽうだが九塞溝に引けをとらないほど良い場所だと説明しているようだ。

 市街地を抜けて高速道路に入る、暫らく走って一般道に降りた。そこで給油とトイレ休憩があった、例の如く女子トイレは行列をなす。そこで私が”男子トイレもつかったら!”という仕草をすると笑い声が起きた。数名が男子トイレに向かったところ中から出てきた男性と鉢合わせして並んでいる皆さんは一斉に大爆笑。
あとで”テーファー(ウチナーグチでいたずら者)だネ”というようなニュアンスのことを言われた、このことで言葉の壁が無くなり、その外の壁も無くなった。

 お菓子や胡桃を分けてくれたり、オミヤゲ品を値切ってくれたりと仲間となった。その仲間意識も問題があるのだが、別の機会に話します。
40名の中の2人だけの外国人(私たちのことです。)だが楽しい3日間でした。言葉の役割は大きいけど、それほど大きくも無い。
心と心ですね。

写真は初めての食事、昼食です。

黄龍

2008年11月09日 20時21分39秒 | 08年中国の旅
 天堂青年旅舎のある集落は、九塞溝ゲートから家々が切れ目無く続いている集落なのでシーズン中は人出が多いと思われる。しかし10月の2週目に行ったので連休も終り、地震の影響が未だあるのかひっそりとしていた。食堂もヒマそうで包子を蒸している湯気は無くレンジでチ~ンしたものが出てきた。多々がっかり。

 そこのオヤジが黄龍のことを色々聞いてくる。つまり黄龍観光のタクシーを手配してあげるということらしい。食事に入った店ではよく聞かれた。タクシーの運転手と契約しているのだろう。
400元で黄龍見物後に飛行場まで行くというので頼むことにした。高いのか安いのか分からない、数年前マニラで借上げたタクシーは1日5千円で燃料費もこちらが負担したので、400元もマニラと同程度ということで納得した。実際はどうなのだろう?

 運転手の他に女性(ややオバチャン)が助手席に座った。話しかけてきたりお菓子を分けてくれたりしたけど、言葉も通じないし何故乗っているのかその役割は今もって分からない。
途中景色の美しい場所では写真撮影で停めてくれるなど親切だ、親切すぎてオミヤゲ品屋に連れ込もうとしたが断った。高山病予防の”紅景天”を買うように勧められ店に寄ったが有料トイレを利用しただけ。

 7時45分に出発し10時半に黄龍入口に着いた。3時間もあれば廻れるだろうと1時半に此処で、と落ち合い場所を確認してロープウェイで上がる。
黄龍のルートは単純だ、ロープウェイを降りて整備されたルートを歩く、トラバース気味に1時間ほど歩くとそれまでの樹林地帯から開けた河原に出る。たまたま桟道の全面取替え工事で仮設の桟道なので狭く追越が出来ない。またあちらこちらで写真を撮るのでのんびりした足取りとなった。

 昨年は酸素不足で頭がボ~ッとなってしまったけど、今年は九塞溝で高度順応したのか歩ける。それでも黄龍寺までの登りはゆっくりした歩調で無理はしない。五彩地はトルコのパムッカレの規模には劣るけど水の青さとそこに生えている木々との取り合わせ、また回りの4・5千メートルの山々と織成す風景などで総合的には引けをとらない。今年は高い山は雪を被っているので青空と雪、その名の通りの色に輝く池が一段と綺麗だった。

 朝はまだ冷えていたし越えてきた4千メートル近い雪山梁という峠は寒いほどだった、しかし黄龍寺あたりからは暑いほどの陽射しとなった、空気が薄い分直射日光が強い。12時40分から下り始めた。はたして1時間弱で下れるのか、あれやこれやで時間を食い過ぎた。でも下るしかない、と思いつつも展望所や景色が目に付くと写真を撮りたくなる。まっチャーターしたタクシーだからそれほど問題も起らないだろうと高を括る考えもチラホラ。
結局13時55分まで掛かってしまった。あの女性が迎えに登って来たのと出合ったときには、やはり悪い気がした。
黄龍観光はロープウェイで登っても4時間を予定しておけば良かった。せっかくの場所だから時間に追われては勿体無い。運転手は遅れた分を取り返すつもりか飛行場までぶっ飛ばした。私は飛行機の出発時間を1時間ほどサバ読みしていたけど、言葉が通じないだろうと黙っていた。ゴメンね。

 帰りの雪山梁から黄龍をみると黄龍の展望所が確認できた。この次行く時は下の樹林帯の石灰岩をもっとのんびり楽しむつもりです。

一日で歩く九塞溝

2008年11月08日 12時09分01秒 | 08年中国の旅
 今回の中国の旅は九塞溝を見るのが主目的でした。それで二日間かけてゆっくり歩くツモリでした。しかし計画が甘く毎日7時間以上歩きつづけ、しかもまともに昼食をとる時間さえありませんでした。

 宿に帰ると一人旅の日本人女性と知り合った。九塞溝は1日しか時間が取れないと言う。そこで私たちの二日間の経験を話して1日で廻る九塞溝の歩き方を伝授した。バスを利用してポイントを見るだけならそれほど綿密な計画は要らない、しかし歩いて見るとなると合理的な廻り方をしなければ見残しがでる。

 私たちが提案したのは、まず昼食は持参する、開園から閉じるまで目いっぱい歩く、それに全ての池を歩くのは無理なので歩くコースを絞ること、でした。どの池も周囲の風景が違い水の色も違うので捨てるのは勿体無い、でも限られた時間で廻るには取捨選択つまり”捨てる”決意も必要だ。

 ます左俣行きのバスに乗り長海子まで行き、引き続き五彩池まで下る。そしてY字型の交点にあるセンターまでバスで下り、乗り換えて右俣を上る。最奥部にある剣岩と原始森林は捨て、その前の箭竹海でバスを降りて歩き始める。
もし疲れたら鏡海でバスに乗り犀牛海まで行き、其処から下半を歩き始める。歩けるようなら鏡海で左の道をとり犀牛海の方へ歩き続ける。
下半は左岸・右岸の両側に道がある、老虎海からは左岸を歩き樹正瀑布を見て、お土産品屋と化したチベット人集落でチベット茶を飲んでから、右岸に移り下まで歩く。
このコースなら1日で九塞溝観光ができるとアドバイスした。

 この女性とは後日成都のゲストハウスでバッタリ出会った、結果はあの通り1日歩き詰めで廻ったとお礼を言われた。若くて行動力があるので1日で見どころを歩いて廻れたのだろう。それと我々のアドバイスのお蔭で。(笑)

 このコースはハイキングコースで、写真が好きな人は別コースにすべきです。朝冷たい空気が動きだす前の鏡のような水、そこに映る景色、その写真を撮るためにはまず右俣の五花海あたりのポイントまで行くのが良いでしょう。ポイントをどの池にするかは自分で決めるにしても、鏡海はパスしたほうがいい。鏡海は上りのバス停は無く下り方面しか行けません。このことに注意する必要があります。

 これが1日で廻るコースだ、なんて少々大上段に構えて書きましたが当らずとも遠からずだと自負しています。散策コースは上半では主に道路の反対側、左岸にあります。途中疲れてバスに乗ろうと思っても右岸に渡れない池も多数あります。設置されている案内図を確認しながらコースを選択してください。
私は鏡海で次のバス停まで道路を歩こうかと考えました、しかし一旦バスで下って乗りなおしました、結果的には正解です。あの道路を歩けば身も心も細くなったことでしょう。
 下半では樹正瀑布は左岸を歩くことを勧めます。下の葦が生えている池は右岸にしか道が無いことを念頭に入れておくべきです。あれやこれや場当たり的に思える書き方をしていますが、こういう事があるとだけ覚えておくだけでも参考になります。あとは現地の案内図を参照してください。距離も記載されているので役立ちます。

 繰り返しになりますけど、九塞溝は雨模様の天気でも水の色は美しく期待を裏切りません。高い所は3千メートルを越えます、場所により又時間により更に太陽の位置により気温が違い感じる暑さも変化します。脱ぎ着できるセーターやジャンバーなどを準備するだけでなく雨具ー行動しやすい合羽がいいーもお忘れなく。

 最後にひと言、一日だけでなく二日は見たほうが良いですよ。

九塞溝 歩く

2008年11月07日 17時05分51秒 | 08年中国の旅
 今年は出来るだけ歩きながら見るつもりだった。二日もかければゆったり見ることができるだろうと考えていた。しかしいざ歩いてみると広い、景色を楽しみながらここぞと思う場所では写真を撮るだけなのだがけっこう時間が掛かる。

 昼食はY字の交点近くにある大型レストランで取る予定であった。しかし其処へ行き又戻って歩くのは時間のロスであり勿体無い。そこで昼食抜きで歩き続けることにした。
幸い原生林で写真のシャッターを押してあげたお礼にと韓国の青年からお菓子を4個貰った。このお菓子を昼食代わりすることにした。こんなことならパンの類を持ってくるべきだったと悔やむも後の祭り、甘いお菓子で腹を誤魔化した。まあその分景色が埋め合わせてくれた。

 宿からゲートまで約1Kmほどなので歩いて公園に入った。9時から夕方6時近くまで歩き詰めという感じがするほど歩いた。バス移動および休憩を除いてもその間に7時間は歩いた。
歩ける池は歩くのを目標にしたので二日目も初日以上に歩いた。二日目はアウトドアの店で仕入れた非常食ー水を加えて1時間ほどで食べられる”山菜おこわ”や”混ぜご飯”ーと果物を持って行った。おかげで殆んどの池のほとりを踏破できた。

 二日間歩けば九塞溝の見物方法が頭に入った、本来なら出発時にこの程度の計画は組むべきだろう。近頃はズボラして甘くなった。昨年も来たという自信過剰な面があったのだろう。ハンセイします。

 九塞溝の現地ツアーはいろいろある。黄龍を含めて陸路なら4日ス、航空機利用なら3日が一般的なコースである。費用も陸路は1千元足らずで航空機利用でも2千元ちょっとしか掛からない、しかし九塞溝は1日だけの入園なので個人旅行にした。
九塞溝はやはり2日間は欲しい、例えバス移動による観光でものんびりゆったりと見て廻りたい。

 素晴らしい景色の中を老骨にムチ打つように歩いたことをもっと書きたいけど纏まらないので後回しにする。
この次は1日で廻るとするなら・・・ベターなコースを考えたので紹介します。

九塞溝 (池巡り

2008年11月07日 00時26分07秒 | 08年中国の旅
 九塞溝とは読んで字の如く”九つの集落の谷間”という意味で、現在三ヶ所の集落が観光地として解放されている。ということは、あと6ヶ所の集落がある地域が手付かずで残っているのだろう。将来の楽しみです。

 九塞溝は全体的にY字型になっている。そこには大小20ほどの湖というか池と呼ぶべきか、美しく色づいた水面が鏡のように周辺の木々を静かに映している。透き通った水に藍色、青、緑と色が付いているけど、何故如何にして色付いて見えるのか不思議だ。
特に朝早く張り詰めた冷たい空気が重く動かない時の景色は鏡に映っているかの如く、私の文章力では表現がむつかしい。

 昨年は二日間とも時折り雨が降る天候で太陽が顔を覗かせることは無かった、それでも水の色は美しかった。今年は天候に恵まれて太陽の光が水に反射して眩しいほどであった。太陽の強い光に照らされても水面の色落ちは無くむしろ益々輝いていた。

 昨年はバスで移動をして見どころだけを歩いたけど、今年は出来るだけ池から池へと歩くことにした。
九塞溝はY字型なので左俣、右俣、下半と大まかに三つに分けられる。左俣は最奥部に長海と五彩池以外に見るべき池は少ない、と言うのは定かでは無い。本当のところ二つ以外の池は帰ってからその存在を知ったので実情は分かりません。途中でのバス停は無かったと思う。
 長海ではバス到着を待つ貸衣装屋のおばちゃんと写真屋が待ち構えてしつっこく勧誘されます。遠くの山は雪が見える、3千メートルを越えるところの水はあくまでも澄み切っている。途中でも風景に感激したがこの幽玄の世界に新たな感動を覚える。
 
長海から五彩池へ下る、ライトブルーとグリーンの水が木々の間から見えてきた。息を呑むような光景もある。この景色を楽しむだけでなく高度が高いのでゆっくりとのんびりと歩くまた桟道は霜で滑りやすい。初日で初めての散策だがまるまる二日間九塞溝を見て廻るつもりなので時間はある。と高を括っていた。

 五彩池をぐるっと廻ってからバスに乗りY字の交点にあるセンターまで下り、バスを乗り換えて右俣の奥へと向かった。途中の幾つかの池のほとりを通る、景色を映したその姿は見飽きることは無い。歩くのとバスの上から見るのとでは景色の見え方が違う。

 バスに乗るなら下半は左側に座るのが良い、上は左・右俣とも右側に座ったほうが楽しめる。

九塞溝(空港と宿)

2008年11月04日 23時01分22秒 | 08年中国の旅
 飛行機から見える山の峰には雪を被っている、二三日前に降ったとのこと。雪があるので山の深みが違う、早くも胸が弾む。

 最近入会した中国旅行の情報交換を目的としたMLで知ったのですが、海抜1500m以上の高地にある空港を高原空港、更に高度2438m(8000フィート)以上にある空港を「高高原空港」と呼ぶそうです。続いて高度ランキングがあり

> 最も高いところにある空港は、東チベットのチャムドにあるポムダ空港で、海抜は4334m。
> 世界最高所にある商用の空港です。
> 富士山より高いのダ!
> 以下、チベット・ラサのゴンカル空港3570m、
>四川省の九寨溝近くの九寨黄龍空港3448m、

 九塞溝・黄龍空港は世界でも第三番目に高い位置にある空港だったのだ。なんだか気分が良い。手違いはあったものの宿泊予定の天堂青年旅舎の場所を知っているタクシーで九塞溝まで吹っ飛ばした。

 山の頂だけとはいえ雪が見えるので夏とは大違いで素晴らしい。雪に縁の無い地域に住んでいる私は雪そのものが特異な存在で憧れを持っているのでなお更です。雪を頂いた山は見え隠れしていたが、タクシーはぐんぐん高度を下げていくので、そのうちに雪山は見えなくなった。

成都のゲストハウスで紹介された宿はここです。

http://www.ttjzg.com/
九寨溝天堂青年旅舍

 改装間もないようで清潔な感じがした。夜は寒くて寝られないほど気温が下がった。それで毛布をもう一枚欲しいと頼んだところ係員が部屋に来た。そして布団の下に敷いてある電気毛布のコードを引っ張り出し接続しスイッチを入れた。さらにテレビ台の下から毛布を取り出してベッドに置いた。

 電気毛布に予備の毛布が部屋に備え付けられていたのです。知らなかった、説明が無かったが会話力が無いので説明を受けても理解できなかっただろう。その場は笑ってゴメンと言うしかなかった。

 宿の周辺はシーズン中なら賑わいのある場所だろうけど、私たちは大型連休シーズンの国慶節が終わってから行ったばかりだったのかひっそりしていた。
観光地はやはり賑やかなほうが気分が出る。人がうじゃうじゃ多ければ多いで文句を言うのだから勝手なものです。

写真は宿の窓から見た風景です。

思わぬ出来事

2008年11月03日 22時11分23秒 | 08年中国の旅
 困ったこと(その一)
 中国旅行するということで”銀連カード"を作った。このカードは大手百貨店からスーパーなどあらゆる分野で利用できるという謳い文句だったので作った。ー作ったというても妻が作ったのであって私ではありません。私は家族会員としてフロクです。ー これで現金を持ち歩く必要が無いとして持参した現金は10万円と両替した3100元のみ。

 成都で日程の打ち合わせを済ませチケット代金の支払をカードで行なおうとしたところ、ナント現金のみということだった。手持ち現金で済むわけが無い、さ~どうしよう。マイッタ。
するとゲストハウスのオーナーのマキさんが「カードでキャッシングが出来る。」と言う。これまでカードでキャッシングした経験が無いので半信半疑で銀行へ行く。使い方が分からないのと言葉の問題で一緒に着いてきてもらう。
キャッシングは無事出来ました。限度額が分からないのでヒヤヒヤものでしたが、必要分は出てきました。
考えてみれば良い勉強にもなった。

 トラブル(その二)
九塞溝へ行くために宿で手配してもらったタクシーで成都空港へ行く。タクシーを降りて空いているカウンターにチケットを示して担当するカウンター場所を尋ねた。すると”ウーパイミー”と言いながらあちら側を指さした。さてウーパイは五百だろう、ミーは何か・・・と考えながら指さされたほうへ歩く。カウンターの番号なのか、しかし三桁のカウンター番号は無い。又カウンターに立ち寄り九塞溝行きのチケットを見せて問うた。”チェン面、ヨウクァイ”と聞こえた。前のほうは・・ビルの外へ出てしまう。半信半疑でで外へ出て右に曲がった。

 その時あることを思い出した、あるサイトの記述で九塞溝へ行くときターミナルビルが違い、タクシーの運ちゃんに遠いからとタクシーに乗せられてボラレタとのことだった。また”ミー”とは米、メートルのことだとも気づいた。その方は500メートルしか離れていないので歩くべきだとも書いてあった。
初めに聞いた人は”500m離れたビルに行け”と言うていたのだ。
それにしてもタクシーを手配した人のミスだ、運転手への指示ミスだ。まったくモウ~
言葉もロクに分からないのでオロオロさせられました。

 トラブル(その三)
空港へは早めに行ったのでターミナル違いというハプニングに遭遇しても焦ることは無かった。飛行機は雲海の中九塞溝空港に着いた。迎えのタクシーが来ているはずだとよってくるタクシードライバーを無視した。しかし出迎えの人・車の姿は見えない。電話を掛けようとしたけど中国の公衆電話はカード式が主流である。テレカを買おうとしたがターミナルの売り子のネーちゃんはひと言”没有”で片付けられた。

30分ほど経っても現れず、しかたがないので空港タクシーで行った。それにしても空港出発・到着ともトラブルなんてウガン不足だ。
この程度の不具合、トラブルは起きるものとして対処しなければ個人旅行はできない。予想はしていないけど、騒がずに解決したら笑い話とするのがイチバンです。

宿で手配

2008年11月02日 16時20分46秒 | 08年中国の旅
 今回の旅の最大の目的は九塞溝です。
妻にとって九塞溝行きは10年来の因縁の場所である、九塞溝・黄龍の魅力を聞いてツアーに申し込んだのだが、我々の家族およびプラスα全員が参加できる空きが無く断念したのだった。私は昨年訪れるチャンスがあり雨模様とはいえ景色を楽しんだ、しかしその事が妻を益々九塞溝に執着させることになった。私も再びあの美しい風景が見られる旅に異存があるわけが無い。一生懸命プランを練りました。

 九塞溝だけでは物足りないので清蔵鉄道を加え、さらに何処か・・と探して、今回の旅は、九塞溝・黄龍、海螺溝、清蔵鉄道に乗りラサまでとした。成都を起点にして動き、その拠点はインターネットで調べた下記のゲストハウスにした。現地ツアーや航空券の手配にチベットへのパーミット取得の斡旋など全て出来るので頼れるゲストハウスであった。中国語はおろか英語もロクにしゃべれない私には日本語で問い合わせができるのがイチバン気に入ったところです。

http://www.gogosc.com/jp.asp
成都 Sim's Cozy Garden Hostel(Guesthouse)

 日程は決めたもののキップの手配は成都に着いてから具体的に相談した。オフシーズンだったという事もあるが、私の希望通りに全てが上手く行った。もちろんそれ以前にメールでこちらの要望を知らせていた。

 またそこは老若男女各国の人たちが利用しているので情報交換の場でもあるようだ。私はその中のたったお一方と話しただけですが、旅の情報が欲しい方には格好の場所でしょう。
自分のPCで周りの様子を写しながら電話を掛けている姿も多々見た、残念ながら私はPCに疎いので電話を自宅に繋ぐことさえ出来なかった。この次はメールくらいは送れるように勉強して来よう。

旅費

2008年11月01日 09時51分01秒 | 08年中国の旅
 今回の旅の総費用をメモを元に纏めたところ¥642,901.2/2人となった。
1香港ドルを14円、1元を16円で換算して一人当たり321.450円なる。予想していた金額の一人25万円よりはるかにオーバーしてしまった。しかし大きな誤差であっても楽しんだのだからヨシとせざるを得ない。

 予算オーバーの主な原因は幾つかある。もともと25万円という数字も希望・願望であって数字に裏付けられたものではなかった。それに今回は移動に際しては航空機利用が多すぎた。7回も乗っている、それに青蔵鉄道の軟臥乗車券は飛行機より安いとはいえ1000元を越す。ということで、費用の半分以上が交通費となった。
まだ交通費だけを纏めていないのでこの機会に計算してみよう。

那覇ー香港 (往復)     84540円 ノーマル料金
香港ー成都 (往復)     3949香港ドル  
成都ー九塞溝(往復)     1850元
ラサー成都 (片道)     1550元

 香港までは10日以内なら割引があるがそれを越えるとノーマル料金になるとの説明に不満はあるもののどうしようも無い。
とりあえず1香港ドルを14円、1中国元を16円と換算すると、なんと194.226円となる。飛行機のチケット代だけでこんなになってしまった。これは完全に予想外である。旅費の60%だ。これにラサー成都間の鉄道料金17000円を加えると、う~ん2/3が移動費か・・

ついでに大まかではあるが整理してみた。
まず観光旅行では出さざるを得ない施設や観劇の入場料は、41.440円となっている。

交通費、これはタクシーをチャーターしての観光や近場の移動のバス料金である。これに20.538円、それに宿泊費が49.240円であった。ホテル代でツアー代金に含まれている宿泊費はテキトーに推測しました。
残り2万円が食費とオミヤゲになる計算だが食事に費やした分が少なすぎる。2週間貧しいものを食べていたことが実証されてしまった。(笑)

写真のカオ(火+考)山兎というのを食べたけど、メニュー写真とは違うネズミのぶつ切りが出てきた。辛かったけど美味しかった。