雑文の旅

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猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第二十三回 二川宿の女

2014-07-19 | 長編小説
 恋とは、仄々としたものと、情念を燃やすものがある。通常「初恋」と言えば、前者を指すことが多いが、三太の場合は瞬時一過性ではあったが後者であった。自分の命を溝にすてることになろうと、寿々を護ってやりたいと思う情念であったのだ。
 叶わぬ夢と悟り、一瞬にして自分の独占欲を拭い去り、寿々の憧れの人であった長者の若様に寿々を託した離れ業は、子供とは言い難い情念の自己処理法であった。
 三太が抱いたものが愛情であれば、寿々が幸せになれたかどうか気になる筈であるが、三太はただただ寿々の住む村から遠ざかりたかった。

 吉田の宿場で旅籠をとる積りで来たが、もう一足延ばして、二川宿(ふたがわしゅく)まで歩いた。旅籠をとったときには、日はとっぷりと暮れ、もう旅籠の提灯に火が入っていた。
   「おや、めずらしい、子供さんの二人旅ですか」
 三太と新平の世話をしてくれる若い女中が声をかけた。 
   「そうですねん、お江戸まで行きます」
   「あらまあ、折角の可愛い三度笠が弾けていますね」
   「ああ、それ踏んでしまったもので、折れたんだす」
   「お父っつあんが、近くで笊籬屋(いかきや)をしています、持っていって修理して貰いましょう」
   「お願いします、お代金は如何ほど…」
   「要りませんよ、お父っつあんは、わたしの言うことなら、何でも聞いてくれます」
   「修理にお金がかかるようやったら、言うてください」
   「はい、わかりました、それとお二人さん、着物が汚れていますので洗っときます」
   「明日朝までに乾きますやろか」
   「はい、お任せください、もし朝になっても生渇きでしたら鏝で乾かします」
   「おおきに、お姉さんは優しおますなあ」
   「弟みたいで、世話を焼きたくなるのです」
   「なんや、弟か」
   「それから、下帯も脱いでくださいな、一緒に洗濯します」」
   「いやです、スッポンポンやないですか」
   「そこの浴衣箱をご覧なさいな、寝間着の間に下帯を挟んでおきました」
   「うわぁ、気が利くぅ」
   「ほんとだ、おいらの分もある」
   「大人用だからちょっと大きいかも知れないけど、大は小を兼ねるでしょ」
   「兼ねる、兼ねる」
 三太は平気で褌をとったが、新平は恥ずかしそうにしている。
   「親分、下帯くらい自分で洗いましょうよ」
   「かまへん、かまへん、お姉さんが洗ってやろうと言ってくれるのやからお願いしよ」
   「恥ずかしいし」
   「そうか、新平はよくおしっこちびるからなあ」
 新平は膨れっ面である。
   「なにも、人前で言わなくても」
 新平の復讐である。
   「親分、お寿々ちゃんに惚れて涙ぐんで別れてきたと思ったら、また別の人に惚れたな」
   「ほっとけ」

 だが、新平の突っ込みは間違いであった。三太はこの女中にお寿々の面影を見ているのだ。その日、寝床の前に座り込み、行灯の灯りで、道中合羽の綻びが綺麗に繕われているのを、一頻り眺めていた。三太は寝言でたった一度だけ、「お寿々ちゃん」と、呟いた。後にも先にも、それっきりである。
  
 
 翌朝、着物と下帯は乾き、三度笠はきれいに修理されていた。
   「お姉さんおおきに有難う」
   「いいえ、どう致しまして」
   「あとで、宿の主人に叱られることはおまへんか?」
   「この旅籠の女将は、私の一番上の姉です、私は嫁入り修行を兼ねて手伝っているだけです」
   「それで安心しました、ほな、発たせてもらいます」
   「お姉さん、ありがとう」
 新平もピョコンと頭を下げた。
   「いいえ、どう致しまして、また二川を通ったら、お泊まりくださいね」
   「うん」



 二川宿(ふたがわしゅく)を発って暫く行くと、池の縁に腰をかけ、しょんぼりと水面に小石を投げている三太たちと年の変わらない男の子がいた。
   「どうしたのや? 悲しいことがあったのか?」
   「なんでもない」
   「お前、池に身投げするつもりか?」
   「この池の水汚いから飲んだら病気になる」
   「崖から飛び降りるつもりか?」
   「おれ、高いところ恐くて立たれない」
   「首でも括るつもりか?」
   「俺、木登り下手やから、縄をかけられない」
   「わいは、からかわれているのか?」
   「そんな積りはない」
   「わいらも子供や、子供同士やないか、何か胸に痞えることがあったら、話してみいや」
   「俺の姉ちゃんが男にさらわれてしまった」
   「えーっ、拐かし?」
   「それららしいことをされた」
   「らしいことって、何や?」
   「嫁に行った」
   「何や、あほらし、それやったら目出度いやないか」
   「目出度くない、あんな男と夫婦になるなんて」
   「そんな悪いヤツか?」
   「悪いことはしない」
 三太は次第に焦れてくる。
   「ほんなら、お姉ちゃん、幸せになったのやないか」
   「そんなことない、苛められているに決まっている」
 新平が口を出す。
   「嫁に行ったら辛いこともあるけど、嬉しいこともあるのだ」
   「嬉しいことって?」
   「夜に男に抱かれて、嬉し泣きするのだ」
   「新平、ちょっと待て、その嬉し泣きって何や?」
   「布団の中で、男に裸にされて…」
   「そやから、それ何はやねん」
   「両足を広げられて、その間に男が入る」
 男の子が怒り出した。
   「お姉ちゃんは、そんなことしない」
   「いいや、みんなするのだ」
   「お姉ちゃんにそんなことをする男は、俺が退治してやる」
   「おいらは、男と女のことはよく見て知っている」
   「嘘だ、嘘だ、そんなこと嘘だ」
   「それから。男は褌を外すと…」
   「こら新平、やめろ、子供が衝撃を受けるやないか」
   「今から家に帰って、匕首を持ってくる」
 男の子は本気である。走って帰ろうとするのを三太が止めた。
   「新平、今のは嘘やろ、この子のお姉ちゃんは、そんなことせえへん」
   「それがするのだ、それをされたくて嫁に行くのだから」
   「新平、しまいにはどつくで」
 三太は男の子を宥めた。
   「こいつ、嘘つきやねん、こんなやつの言うことを真に受けたらあかん」
 だが、新平は続ける。 
   「その後、男と女は…」
   「新平、もうええと言っているやないか」

 男の子は、三太が宥めすかして、ようやく興奮から醒めた。お姉ちゃんはきっと大切にされて、幸せにしていると思うから、今から覗きに行こうと、三太は提案した。
   「遠いのか、お姉ちゃんのところ」
   「隣村だ」

 この村では、大きい部類に入る農家であろう。母屋の入り口の横が牛小屋で、三頭の牛が藁を食っていた。その内の一頭が三太たちに気付き、「もーぅ」と鳴いた。
 家の周りには垣根がなくて、大きな柿木が青い実を付けていた。三太たちは横に回ると、縁側に歳を取った猫が寝そべっていた。障子は開け放たれていて、奥から男の子の姉が出てきた。
   「みいちゃん、ご飯ですよ」
 猫は顔を上げて姉を見上げて「みゃー」と鳴いたが、興味なさげにまた寝てしまった。
   「あなた、みいちゃん、元気が無いのですよ」
 奥から、姉の亭主が、その大柄で精悍な姿を見せた。
   「みいは、もう年寄りだからなぁ」
   「何歳くらいなの?」
   「みいは、わしが生まれた年に、わしの鼠番に親父が貰って来たのだ」
   「そうね、赤ん坊は乳の匂いがするから、鼠に指を齧られると聞いたことがあります」
   「わしと同い年だから、かれこれ二十歳になる」
   「二十歳で年寄りなんて、何だか可哀想」
 と、言いながら姉は奥に入っていったが、直ぐに亭主を呼ぶ声がした。
   「あなたも、ご飯よ」
   「あなたもって、わしはみいちゃんのついでか?」
 夫婦の笑い声が聞こえた。
   「お母さん、里芋の煮転がしの味、見てくださいな」
 奥から、カチャンと音がして、姑の声がした。
   「うちの嫁は、憶えが早いのう、もうわしの腕前の上を行っておるわ」
   「まあ、嬉しい、合格ですのね」
   「お爺さんも、嫁が煮た里芋を食べてみなされ」
   「お爺さんと呼ぶのは、孫が生まれてからにしておくれ」
 また笑いが起こった。

   「お姉ちゃん、幸せそうだすな」
   「うん」
   「もう、お姉ちゃんの亭主を退治しまへんか?」
   「うん」
   「ほんなら、突然顔を出したら心配するから、姉ちゃんに逢わずに帰ろうな」
   「うん」
 弟としてお姉ちゃんを祝ってあげようよと三太が言うと、男の子は納得した。三太と新平は男の子を家まで送って、また旅の続きが始まった。

   「新平は、おっ母さんのことがあるから、それが心の傷になっているのや」
   「ごめん、ついむきになって言ってしまった」
   「かまへん、かまへん、ところで新平」
   「ん?」
   「あの後、男と女はどんなことをするのや? 続き言い」


 二川宿から白須賀宿(しらすかしゅく)までは一里ちょい、白須賀宿から新居宿までも一里ちょっとである。難なく歩いてきたが、この新居宿から舞坂宿までは、浜名湖を帆船で渡る「今切の渡し」である。

   「親分、七里の渡しでは、海に落ちた子供を格好よく助けたね」
   「あれなあ、新さんが居たからできたことなんや、わいみたいな小さいのが、溺れている子供に近付いたら、しがみ付かれて、わいも命を落とすとこやった」
   「新さんが子供に移って、大人しく親分の肩を持ってくれたのか」
   「そうや、わい一人では、まだ何も出来へん」

 新三郎は思い出していた。新三郎の遺骨を探しに鵜沼まで旅をしてくれた能見数馬は、江戸の経念寺に新三郎の墓を建ててくれた少年である。
 新三郎は、それまで守護霊として数馬に憑いて行動を共にしていたが、阿弥陀如来の許しが下りて、浄土へ戻って行ったその日に、数馬は強盗に刺されて死んだ。
 もし、自分が護っていたならば、そんなことはさせなかっただろうにと、悔やんでならなかったのだ。
   「三太は、決して途中で放り出して成仏したりはしないからな」
 密かに誓う新三郎であった。

  第二十三回 二川宿の女(終) -次回に続く- (原稿用紙15枚)
 
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