雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のミリ・フィクション「義理堅い蛸」

2014-07-22 | ミリ・フィクション
 茂九兵衛は、神戸(こうべ)は須磨の松原に掘っ立て小屋を建てて住む独身の猟師。働き者で今朝も暗いうちから漁に出かけてきた。
   「今日は不漁や、雑魚ばかりしか網にかかっておらん」
 諦めかかったとき、網の最後で大きな蛸が逃げようともがいていた。
   「これは立派な蛸や、たこ焼きにしたら百人分はある」
 茂九兵衛は、ほくほく顔で蛸を網から離すと、船底の生簀に放り込んだ。今日の漁はこれまでと、岸に向って櫓を漕いでいると、船底から女の声が聞こえた。
   「もしもし猟師さん、お願いがあります」
   「お願いて、誰やいな」
   「私です、先程網に掛かった蛸です」
   「その蛸が、何のお願いや?」
 蛸は涙ながらに事情を打ち明ける。
   「お腹が空いて、雑魚を食べようと追いかけまわしていて、猟師さんの網にかかってしまいました」
   「それが漁やから、普段通りことやけど?」
   「実は、私は巣に三百個の卵を残して来ました、私が護ってやらなくては、全部魚に食べられてしまいます」
   「それが自然の生業、食物連鎖やないか」
   「それはそうですけど、子供達が哀れで、死んでも死に切れなません」
   「逃がせと言うのか?」
   「はい、せめて子供達が巣立っていくまで、私を巣のもとへ帰していただけませんか?」
   「そう言われても、はいどうぞと逃がしていたのでは、わいの生業が立ち行きまへん」
   「子供達が巣立ちましたら、必ずあなたの元へ行きます、それまでの間、どうぞご慈悲を」
   「そう言われたら、情が湧くちゅうもんや、よし分かった逃がしてやろ」
 蛸の母親は海に戻されて、うれしそうに波間に消えていった。
 
 それから十日後の夜、茂九兵衛が眠ろうとしていると、表の戸を叩く者がいる。
   「もしもし茂九兵衛さん、ここをお開けください」
   「誰やいな、こんな夜更けに…」
   「私でございます、蛸のお墨ともうします」
   「えーっ、よく此処がわかったな」
   「砂浜に、見慣れた船がありました」
   「よくわいの名前がわかったな」
   「夕方、近所の人が来て、名前を呼んでいました」
   「早くから来て、時間待ちをしとったのかいな」
   「はい」
   「あんた、お墨さんと言うのか、何や義理堅く漁られに来てくれたのか?」
   「はい、お約束でございますから」
   「あんた殺されると分かっているのに、なにも正直に来んでもよかったのに」
   「それでは、義理が立ちません」
   「義理はかまへんから、海へ戻り」
   「それなら、今夜一晩夜伽なと…」
   「蛸の夜伽やなんて、扱いに困るわ」
   「いいえ、そんなことはありません、私のは蛸壺と言いまして、ぎゅっと吸い付きます」
   「そらまあ、蛸やからなあ」
   「蛸壺の内側は、ゴカイ千匹」
   「わあ、気持ち悪ぅ」
   「それに私、潮を吹きます」
   「へー」
   「時々、潮と間違えて墨を吹きますけど」
   「わあ、朝起きたら、腰の周り真っ黒や」
 折角の好意だが、夫婦になっても産まれてくる子供のことを思うと、ふん切りがつかないと、丁重に断って波打ち際まで送っていった。


 それから何年か経ったある日、茂九兵衛は漁に出て時化に遭ってしまった。船が傾き沈みそうになり、流石海の男の茂九兵衛も、これまでと観念をしたとき、船は真っ直ぐに起き上がり、茂九兵衛の住む松原を目指し、嵐の中をすいすいと突き進んで行った。
   「茂九兵衛さん、蛸のお墨です、子供達がこんなにたくさん大きくなって戻ってきてくれました」
 みると、船の周りに蛸だらけ。船尾には大蛸が後押しをしている。
   「あの大蛸は?」
   「わたしの父親です」
   「父親だとどうして識別できるのや?」
   「父親は、この辺りで子種を撒き散らしていますので、この辺の蛸はたいてい、この大蛸の子供です」
 船は蛸たちに護られて、無事松原へ到着した。
   「この子たち、みんな茂九兵衛さんに命を助けられたようなものです」

 困ったことに、この日から茂九兵衛は蛸が食べられなくなった。そればかりか、蛸が網にかかると、全部逃がしてしまう。その為、蛸嫌いの茂九さんと、猟師仲間から侮蔑ぎみに呼ばれるようになった。

 ある夜、
   「もしもし、茂九兵衛さん、此処をお開け」
   「誰やいな、こんな夜更けに」
   「あなたに助けられた蛸の墨太郎です、夜伽なと…」

   「逃がす度に、こんなヤツが来よったらかなわん」
 茂九兵衛、猟師をやめて、夜逃げしてしまった 。

(修正)  (原稿用紙7枚)