雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

050630 日々歌う

2005-06-30 16:30:18 | 日々歌ふ
あさがほと訓める漢語をいつからか我ら親しむむくげ(木槿・槿)と呼びて

朝に咲き夕べに萎る花なれば槿(むくげ)の継がむあさがほの意を

むくげなる音を辿れば隣人のムグンファ(無窮花)と訓む漢語に至る

韓人(からびと)は散れど次々咲くを愛でその花呼びて無窮花(ムグンファ)と云ふ

花呼ぶにむくげ(槿)・ムグンファ(無窮花)隣人と似て非なるをばかたみに知らむ


コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

050629 日々歌う

2005-06-29 19:11:27 | 日々歌ふ
街裏の古刹の塀に隠れ咲く凌霄花(のうぜんかずら)は枝垂れ溢れて

坂の端に薄紅色もあえかなる槿咲く見ゆ梅雨戻る日に
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

050628 日々歌う

2005-06-28 19:13:34 | 日々歌ふ
いねがての疲れを知ればエアコンを切る勇気萎ゆ熱島の夜
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

050627 日々歌う

2005-06-27 22:54:49 | 日々歌ふ
『かさもっておむかえ』想ふ娘(こ)と読みし遥かな絵本長新太逝く

長新太林明子と五味太郎ありてぞ父娘(おやこ)絆深むる

『はじめてのおつかい』読めばわが娘こそかくありなむと引き込まれたり
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

050627 題詠マラソンから

2005-06-27 19:19:04 | 題詠マラソン2005から
【17700】028:母 鋤簾(じょれん)引くしじみ漁夫の影を抱き母なる川のながれやまざり(青山みのり)

 鋤簾(じょれん)というのは、しじみ漁に使う「大きなツメのついた鉄カゴ」のこと。
 しじみ漁の方法には、船の上から20~30kgの鋤簾をおろし、海底の砂をかいてアサリを採る大巻き漁と、漁師が水の中に立ち、10~20kgの鋤簾を腰を使って後ろに引っ張る腰巻き漁の、2種類があるようです。
 (http://www.daichi.or.jp/pc/back/04135/nandemo/04135n.html)
 この歌は、おそらく早朝の河口で日々行われる腰巻き漁の情景を詠ったものでしょう。
 腰まで水に漬かって重い鋤簾を引く漁師の影が、朝陽を受けて川の流れに揺らめき映っています。
 「母なる川」という表現は、大河というより、豊かなしじみ漁を可能にするいのちの母を含意してのものだと思います。
 そして、「漁夫」でなく「漁師」だったらと思うと、よくぞ「漁夫」の表現をとうれしくなります。
 「師」と「母」では、「夫」と「母」から生まれる言葉同士の豊かな共鳴はなかったでしょう。
   鋤簾(じょれん)引くしじみ漁師の影を抱き母なる川のながれやまざり
 鋤簾という耳慣れない硬い言葉で始まり、きびしい労働の場を描きながら、全体として自然とともに生きる人間の営みがしみじみ(しじみではありません)と詠われて、心に滲みわたります。
 このような情景のいつまでも続くことを願う作者の想いが、見事に伝わってきました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

050626 日々歌う

2005-06-26 23:43:26 | 日々歌ふ
咲き乱る白き野バラの散るを追ひ白百合匂ふ庭ぞうれしく

沙羅の花瑞枝(みずえ)に白く咲きしかばかなしき人の面影ぞ見ゆ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

050625 日々歌う

2005-06-25 23:59:36 | 日々歌ふ
チマチョゴリ白き衣着し隣住む友の母呼ぶコハン(ご飯)ダヨーと

舞ふごとにヒラリと門を友の母半月の靴白く履き出づ

ヒロポンの手入れの騒ぎ夜っぴてのアイゴーの声なべて懐かし

一度だけ越したる後も訪ね呉る半世紀前チョーセンの友は

大学で親しくなりし友に聴く在日の過去・現在・未来を

東大を出やうが我ら在日に君たちの就く職はまずなしと

在日に土方・焼肉・パチンコの他に働く場のなきを聴く

在日の親しき友と諍ひしキム・イルソンの個人崇拝で

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

050624 日々歌う

2005-06-25 00:34:02 | 日々歌ふ
昏きなかこれはユリの木スズカケと見上げつ歩く心かなもし
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

050624 歌の力

2005-06-25 00:11:00 | 歌の力
落ち方の素赤(すあか)き月の射す山をこよひ襲はむ生くる者残さじ
磧(かはら)より夜をまぎれ来(こ)し敵兵の三人(みたり)迄を迎へて刺せり
ひきよせて寄り添ふごとく刺(さ)ししかば声も立てなくくづをれて伏す
一角の塁奪(と)りしとき夜放(よるはな)れ薬莢(やくけふ)と血潮(ちしほ)と朝かげのなか
俯伏(うつふ)して塹(ざん)に果てしは衣(い)に誌(しる)しいづれも西安洛陽の兵

                   (宮柊二「山西省」『宮柊二集1』岩波書店、1989年)

 周知のように、白秋を師と仰ぐ宮柊二は一兵卒として4年間中国侵略戦争に従軍しました。これらの凄惨な白兵戦の歌は、その3年目の1942年、宮柊二30歳のときに詠われたものです。
 高野公彦を介して宮柊二の孫弟子に当たる大松達知は、1995年と2002年に「宮柊二の旅」に参加して、山西省を訪れ、次のような歌を詠っています。

日本軍を語る老人ふりあげてふりおろす手の鈍(どん)たれど速し
語りゆき顔赤らめる老人は怒りてゐるか表情が読めず
カメラにてわが追ひてゐし幼子を無言のままに引き寄せし女(ひと)
写さんとすれば隠るる女ありかく犯せしかあのときの兵ら

              (大松達知『大松達知歌集 フリカティブ』柊書房、2000年)

日本鬼子(リーベンクイズ)とささやかれつつこの村過ぎたる中に柊二ありけん

              (大松達知『大松達知歌集 スクールナイト』柊書房、2005年)

 この間の中国における「反日」感情の高まりや、それに対抗する日本での「反中国」感情の高まり。
 また、それと深く関わる「靖国」問題。
 これらの複雑な問題を粗雑なナショナリズムの罵詈雑言の応酬に終わらせないためにも、上記の歌を含めた宮柊二の戦場詠を改めて丁寧に丁寧に読み解いていくことが必要だと思います。
 そこには、侵略戦争への疑問と中国民衆への敬意の芽生えとともに、よき日本人であろうとし、戦友の死を深く悲しまざるをえない、ひとりの誠実な揺れ動く魂の記憶がリアルに詠われているからです。

 遅まきながら、『宮柊二集』全11巻をインターネットで買い求めました。これまで長いあいだ短歌の世界とは無縁の場所で考え続けてきたことを、短歌との関わりでも考えて見たいと思い始めたのです。
 


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

050623 題詠マラソンから

2005-06-23 17:49:37 | 題詠マラソン2005から
【17498】011:都 独楽のごといつかたふるる首都ひとつまだみづぎはにまはりをりたり(キタダヒロヒコ)

 いつ大地震が来てもおかしくないと言われる時期にとっくに入った首都東京。
 そうなんですね。ぼくらは「いつかたふるる」独楽の上でいっしょに回っているだけなのですね。
 独楽が回っていることも、そしてそれが「いつかたふるる」こともわからずに。
 ちょうど猛スピードで自転・公転している地球の上にいても、それがまるでわからないように。
 ああ、「まだみづぎはにまはりをりたり」。
 行政に携わる者も、ぼくら都民も、この歌の想像力を忘れるべきではありません。
 怖く美しい歌です。
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする