春遅き野尻の森にカラマツの高く芽吹けば空のあをかり
妙高を映し静もる黒姫の高原隠す小さき池の
妙高と黒姫仰ぐ名も知れぬ沼のほとりに水芭蕉咲く
春遅き野尻の森にカラマツの高く芽吹けば空のあをかり
―チェロの巨匠ロストロポービッチ逝く
圧政に屈せざるをもカザルスに倣ふ巨匠の八十路に斃る
ベルリンの壁に抗してチェロ奏ける巨匠の姿われは忘れじ
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1992年に、「バッハ『無伴奏チェロ組曲』とチェロの巨匠たち」という文章を書いたことがあります。
以下は、その一節です。
50年代にシュタルケルとならんで世界のチェロ界に躍り出たのは、旧ソ連の、いまにして思えばアゼルバイジャン人ロストロポービッチだった。まさかカザルスにならった訳でもあるまいが、なぜかシュタルケルもロストロポービッチも若くしてすでにみごとに頭頂部まで髪がなかった。
ロストロポービッチのチェロには、シュタルケルのシャープさの代わりに、それこそロシア、いやアゼルバイジャンの大地から湧き起こってくるような、豪放で雄大なスケールがあった。しかし、そのロストロポービッチはなかなかバッハの無伴奏組曲のレコードを出さなかった。
チェロの世界では、ベートーベンのチェロ・ソナタを『新約聖書』、バッハの無伴奏組曲を『旧約聖書』にたとえるという。『新約』については、ロストロポービッチにすでに、全盛期のリヒテルと組んだ名盤がある。しかし、こと『旧約』については、60年代にようやく第二番と第五番のレコードがソ連盤で出たっきり、いまに至るまで全曲のレコードは出ていない。
ロストロポービッチは自分が完全に満足できる演奏ができるまでは、全曲の録音はどうやらしないつもりらしい。かの巨匠をしてなおそうさせるものがバッハにはあるということなのだろうが、ソ連盤の録音はお世辞にもよいとは言えず、ロストロポービッチもそういつまでも若くはない。となれば、ファンとしての心境は複雑である。ロ氏よ、もうそろそろいいのではないですか……。
89年のベルリンの壁崩壊の直前、たまたまつけたテレビのニュースでそのロストロポービッチの壮絶な姿を見た。
寒空の下、西ベルリン側で独り壁に向かい、抗議のためにチェロを奏いている老人は、説明はなかったが、まさしくロストロポービッチその人であった。おそらくそれは、バッハを奏いていたものであったろう。
また、昨年の旧ソ連の8月革命の際にも、クーデターに抗してエリツィンとともにロシア共和国最高会議の建物に立てこもる人々の中に、ロストロポービッチの姿があった。彼はいざというときのために配られた銃をいったんは手にしたものの、「いやいや私はもう若くない。やっぱりやめておこう」と言って、笑いながら若者にそれを返していた。
ソルジェニツィンを擁護したことで、夫人とともにブレジネフからソ連の市民権を剥奪されながらついに屈しなかったその姿は、思わず僕の中でカザルスに重なっていた。
道の端にオホムラサキのしんとして咲き濡るる色深きに惑ふ
小雨降る丘を登ればつる草の繁りて咲きぬむらさきの花
咲き浮かぶ花ニラ白く木洩れ陽に樹陰の狭間星落つるごと