霧つつみ風吹きすさぶ高原に花もとめけり露にぬれつつ
最悪だという天気予報に振りまわされた信州旅行だったが、安曇野は見事に天気予報が外れて好天に恵まれた。
しかし、最終日の美ヶ原は残念ながら濃い霧の中。
足元の花々しか見えなかった。
27日(月)の朝8時に、西武池袋線の秋津駅でNさんに拾ってもらい、安曇野穂高の天満沢にある姉の別荘に向った。
着いた安曇野は夕刻には晴れ間も見える好天に。
車で安曇野の平野をめぐり、2人で写真を撮った。
28日(火)は、夜来の雨が上がり、またしても好天になった。
木崎湖、青木湖を経て、白馬の栂池自然園に向った。
木崎湖の情景は、2年前に訪ねたノルウェイのフィヨルドのそれを思わせて、すばらしかった。
栂池自然園は3度目だったが、浮島湿原までまわったのは初めてだ。
クルマユリ、ニッコウキスゲをはじめとした高原の花々に魅せられ、通常の2倍の5時間ほどをかけてNさんと写真を撮りながら、楽しんだ。
29日(水)は、やはり夜来の雨が上がった。
そこで、もしやの好天を期待して美ヶ原をまわって帰ることにした。
さすがにもはや運は使い果たしたのか、予報の大雨にこそならなかったものの、美ヶ原は強風と濃い霧の中であった。
それでも、Nさんの案内で「思い出の丘」などでハクサンフウロをはじめとする花々に出会い、夢中でシャッターを切った。
美ヶ原の雄大な展望には出会えなかったが、霧の美ヶ原の出会いはそれはそれですばらしかった。
30日(木)。
定例の<見沼野の花教室>の日だ。
Y先生が検診のため、高妹のHさんの案内で見沼代用水東縁でキツネノカミソリを見た。
その直後から、カンカン照りの天気が一転し、見沼田んぼは強い雨に見舞われた。
雨足が少し弱まったのを見て、1時間ほど周辺を歩いた。
3時過ぎ、Hさんの車で北浦和まで送っていただき、東十条で降りて、卒業生のI君と待ち合わせた。
I君は、1976年卒で県立高校の国語の教師である。
担任ではなかったが、授業を通じていろいろなつながりがあった。
僕の定年退職を機に、連絡が久々に復活したのだ。
開店一番乗りで彼の行きつけのもつ焼き「新潟屋」に入り、文字通り痛飲した。
さらに、王子のI君の行きつけの店に移動してハシゴをした。
すべてI君のおごりである。
これからも時々会って飲もうと約束した。
ただし、次からはワリカンでね、と。
ありがたいことだ。
教師冥利に尽きる。
そう言わざるを得ない。
やっと、6日ぶりに走った。
梅雨空で気温も低い。
走ってみれば、快調である。
タイムは、85分。
爽快、6日ぶりの12.6キロであった。
霧つつみ風吹きすさぶ高原に花もとめけり露にぬれつつ
キバナノヤマオダマキ(黄花の山苧環) 7月29日、美ヶ原にて
霧つつみ風吹きすさぶ高原に花もとめけり露にぬれつつ
キバナノヤマオダマキ(黄花の山苧環) 7月29日、美ヶ原にて
キバナノヤマオダマキ(黄花の山苧環) 7月29日、美ヶ原にて
東京などの関東地方は戻り梅雨の予報が大外れで、カンカン照りの酷暑日が続いた。
しかし、そのほかの地域は豪雨や梅雨空に見舞われている。
天気がよければ、週末からNさんと信州から山中湖をめぐる旅に出るはずだった。
やむをえず、山中湖はカットして2泊3日に短縮し、安曇野と美ヶ原にしぼってやっと明日の早朝から出かけることになった。
穂高にある姉の別荘をベースにして、天気を見ながらの旅になりそうである。
なんとか晴れた美ヶ原を訪ねることができることを、祈りたい。