ひとり往く旅路に手向けの花あらば大和の桜その撩乱を(
ねこまた@葛城)
<大和の桜> は、<大和地方の桜>とも、<日本の桜>とも取れます。
後者なら、海の向こうにひとり旅立つ人に贈るにふさわしい<手向けの花>があるとすれば、<大和の桜その撩乱を>というわけでしょう。
いずれにしても、この<大和の桜その撩乱を>の表現が豪快・新鮮ですね。
誰やらの<美しい日本>などという空虚な自讃にはまるで感じられない、日本語の力があふれ出ています。
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緋を含むつぼみ育ちし桜枝の あおいろ薄き空に映ゆるも(
鈴雨)
春先、桜の蕾が日一日ふくらんでいく憧れに満ちた情景が、上質な日本画のように切り取られています。
<桜枝の>という響きがやさしく心に残りました。
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乳房(ちちふさ)の冷えゆく真昼 千の手を伸ばす桜の白き闇往く(
ことら)
花冷えの日でしょうか。
真昼だというのに心も乳房も冷え冷えとするなか、満開の花の下を通れば、並木はまるで<千の手を伸ばす桜の白き闇>。
桜はただ美しいだけではありません。
ある種のもの狂おしさをもった花です。
見る人の心のあり方しだいで、ひとを、場合によっては民族を丸ごと魔境に引きずりこむ妖しさを秘めています。
<千の手を伸ばす桜の白き闇>が、その妖しさをみごとに捕らえているように思いました。
<乳房(ちちふさ)の冷えゆく真昼>という、女性ならではの表現もぴったりです。
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散りいそぐ桜をのせて大川のみづは海へとやさしく流る(
瑞紀)
隅田川の満々たる水に乗って、桜吹雪となって散ってしまった桜の花びらが無数に浮かび、東京湾に向ってゆっくりと流れて行く 情景が、やさしく目に浮かびます。
ちょうど今年、そのころに大川端を娘と歩きました。
この歌を読むと、そのときに桜の花の流れるのを見たわけでもないのに、なんだか実際に見たような気がしてしまいます。
もしかしたら、実景ではなく作者の記憶に残る懐かしい情景を歌ったものかもしれませんね。
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「桜」とふ入浴剤の湯は紅(あか)く われも卵(らん)持つ魚(うお)であらまし(
黄菜子)
*桜の時期、産卵のために体が赤く染まった鯛を桜鯛と呼ぶと知りて詠める*
桜鯛が<桜の時期、産卵のために体が赤く染まった鯛>のことをいうのを知って(ぼくも初めて知りました)、こんな素敵な歌ができたのですねえ。
<「桜」とふ入浴剤>の袋に載せてあげたいほどです。
ただし、<008:親>の題で<
うつしみの親子一世の契り終え吾が子二十歳の骨のちひさき>と詠まれた作者の歌として読めば、また別になお胸に迫るものがありますね。