雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

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2011-12-08 11:50:28 | 歌の力

Facebookで「友達」になったFAiCOのボーカルをされているMiSA(中田美紗子)さんの歌う、被災東北へのすばらしい応援歌です。
FAiCOはボーカルのMiSAさんと、シンセサイザーや作曲など(ご本人いわく「その他雑用」)の担当で、福島県いわき市出身のトヨ太さんの2人組のユニットです。
この曲は、MOTO1というオートバイの競技の運営をされているtatsuyaさんという方が詩を書き、知り合いであるFAiCOのお二人に曲にして歌って欲しいと声をかけてできたものだそうです。
歌詞といい、メロディといい、声といい、思わず涙が出てしまいました。
みなさん、ぜひお聞きの上、広げてくださるとうれしいです。
http://youtu.be/20TWDgm8IR0

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濱田千春と石垣りんと

2007-05-06 18:00:53 | 歌の力


フランスでユニークな平和活動を続けられている美帆シボさんは、うかつにも僕は知りませんでしたが朝日歌壇の常連としても知られる歌人です。
ブログを通じて交流の生まれたその美帆シボさんが、濱田千春さんという若い歌人がすてきな歌集を出したことを教えてくださいました。
濱田千春さんとも連絡がつき、ほどなく濱田さんから第一歌集『月明りの道』(雁書房、2006.9.1)が送られてきました。
今年の2月のことです。
御礼に、ぼくが拙い文章を書いた絵本をお送りすると共に、歌集の感想をいずれブログに載せることをお約束しました。
そしてすぐに、1992年から2006年までの14年間に詠まれたという全367首を一気に読み終えました。
とくに気に入った歌には付箋もつけたのです。
30枚以上の付箋がつきました。
ところが、いまのぼくには拙い歌を詠むことはできても、散文を書くのがやはり容易ではありません。
延ばし延ばしにして、とうとう3か月も経ってしまいました。
濱田さん、ごめんなさい。

濱田さんの歌集を改めて読み直し、ハタと気がつきました。
若いときからぼくは詩人の茨木のり子さんと石垣りんさんを敬愛してきたのですが、濱田さんの歌から感じる凛とした寂しさとつよさとユーモアの織り成す世界は、そのお二人の詩人のうち石垣りんさんの方の世界にどこか通じるものがあるのでした。

石垣さんは、東京の小学校を出てそのまま銀行の事務員として就職し、定年まで同じ職場で働きながら詩を書き続け、生涯、独身を通し、先年亡くなりました。
  凛とせる生涯終へし詩人をば石垣りんといふを忘れじ(060128日々歌う)
  シジミ汁ひとり作りて飲む夜に笑ひを偲ぶ石垣りんの(051011日々歌う)
濱田さんは、長崎のミッション系の大学を出られた後、母校の職員として就職し、そこで短歌を知り、恋愛をし、結婚をされます。
しかし、ほどなく結婚を解消され、熊本の実家に戻って、いくつかの職場で仕事を続けながら、歌を詠み続けてこられました。
さらに、濱田さんには石垣さんにはなかったキリスト教への深い信仰があります。
そして、まだ石垣さんのおそらく半分ほどの年齢です。
それでもなお、すでに濱田さんの歌には石垣さんと同じ<凛とした寂しさとつよさとユーモアの織り成す世界>が強く感じられるのです。
個々の歌について書きたいこともありますが、さしあたりぼくの気に入った歌を列挙しておくにとどめます。
カッコの中の数字はページ数です。
それを読まれれば皆さんにも、ぼくの感想が単なる独断ではないことがきっとお分かりいただけることでしょう。

                            *

あの角を曲がれば我が家の見えてくる山吹の花がきっと咲いてる (014)

黄昏の金木(かなぎ)の駅舎(えき)に降り立てばヨグキテケシタと書かれてありき (016)

青空は平和の象徴ではないと思う八月六日、九日 (020)

読み返す「平和宣言」朝顔の咲き残りたる庭に向かいて (022)

オランダ坂を踏みしめながら見上げれば大くすのきの豊かな緑 (023)

「信仰を棄てられますか」と問われたり答え得ぬまま君と別れき (027)

青海波(せいがいは)舞う樹樹の葉よ樟の木に楢に欅にそれぞれの風 (031)

月光の滴る幹に耳を寄す光めぐれる音を聞きたし (033)

わが心からっぽになれわが体からっぽになれ今宵満月 (044)

我はいま天恵(てんけい)として葬祭の職を得たりと強く思えり (045)

開きたる形のままに椿落つ女ざかりに死す人のごと (047)

仕事には慣れても死には慣れぬよう言い聞かせおり疲れたる時 (054)

前向きで明るい人と言われればそうかも知れずそう生きゆかん (067)

銀河系に太陽ひとつ月ひとつ地球がひとつ私がひとり (077)

樟の木を愛した君よわたくしはこの大樅に安らいでいる (080)

クレマチス、紫陽花、露草、アガパンサス、青水無月の雨滴に濡れて (086)

「治水」とはコンクリートの川岸か「利水」のくらし遠くなりたり (091)

海水と淡水、そして敬愛と人恋うこころは似て非なるもの (096)

水際でごめんなさいと伝えたり言い尽くせざる感謝をこめて (097)

さやさやと若葉の揺れる枝わたり五月の青き空広がれり (100)

ささやかな粉飾含む作中の我を現(うつつ)のわれは楽しむ (104)

前を行く柴犬の尾の白さにも梅の香の降る月明りの道 (115)

天気予報のキャスターの説明に納得す「日は短いが日差しは長い」 (119)

穏やかな親子の夕食さりげなく「靖国参拝」の話題を避けて (121)

マグカップ両手で包みココア飲む我に寄りくる夜寒の猫は (121)

死にゆくは大仕事なり全身で我に教えて祖母は逝きたり (126)

職業を不動産業と答えればさらに訊かれる「地上げ屋ですか」 (136)

折にふれ我を案ずる大叔父に笑顔にてまた千秋と呼ばる (155)

誕生日告げれば「空海の命日ね」どんな反応すればよいやら (161)

幾重にも壁をなしたるわがこころ危うきまでに月光を恋う (163)

翻り新たな一歩を踏み出さん我の上には上弦の月 (165)



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050624 歌の力

2005-06-25 00:11:00 | 歌の力
落ち方の素赤(すあか)き月の射す山をこよひ襲はむ生くる者残さじ
磧(かはら)より夜をまぎれ来(こ)し敵兵の三人(みたり)迄を迎へて刺せり
ひきよせて寄り添ふごとく刺(さ)ししかば声も立てなくくづをれて伏す
一角の塁奪(と)りしとき夜放(よるはな)れ薬莢(やくけふ)と血潮(ちしほ)と朝かげのなか
俯伏(うつふ)して塹(ざん)に果てしは衣(い)に誌(しる)しいづれも西安洛陽の兵

                   (宮柊二「山西省」『宮柊二集1』岩波書店、1989年)

 周知のように、白秋を師と仰ぐ宮柊二は一兵卒として4年間中国侵略戦争に従軍しました。これらの凄惨な白兵戦の歌は、その3年目の1942年、宮柊二30歳のときに詠われたものです。
 高野公彦を介して宮柊二の孫弟子に当たる大松達知は、1995年と2002年に「宮柊二の旅」に参加して、山西省を訪れ、次のような歌を詠っています。

日本軍を語る老人ふりあげてふりおろす手の鈍(どん)たれど速し
語りゆき顔赤らめる老人は怒りてゐるか表情が読めず
カメラにてわが追ひてゐし幼子を無言のままに引き寄せし女(ひと)
写さんとすれば隠るる女ありかく犯せしかあのときの兵ら

              (大松達知『大松達知歌集 フリカティブ』柊書房、2000年)

日本鬼子(リーベンクイズ)とささやかれつつこの村過ぎたる中に柊二ありけん

              (大松達知『大松達知歌集 スクールナイト』柊書房、2005年)

 この間の中国における「反日」感情の高まりや、それに対抗する日本での「反中国」感情の高まり。
 また、それと深く関わる「靖国」問題。
 これらの複雑な問題を粗雑なナショナリズムの罵詈雑言の応酬に終わらせないためにも、上記の歌を含めた宮柊二の戦場詠を改めて丁寧に丁寧に読み解いていくことが必要だと思います。
 そこには、侵略戦争への疑問と中国民衆への敬意の芽生えとともに、よき日本人であろうとし、戦友の死を深く悲しまざるをえない、ひとりの誠実な揺れ動く魂の記憶がリアルに詠われているからです。

 遅まきながら、『宮柊二集』全11巻をインターネットで買い求めました。これまで長いあいだ短歌の世界とは無縁の場所で考え続けてきたことを、短歌との関わりでも考えて見たいと思い始めたのです。
 


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050412 歌の力

2005-04-12 22:21:24 | 歌の力
靴ぬぎてひとりたたずむすすき野のむこうは祖国ふりむけば日本

            (李正子『ふりむけば日本』河出書房新社、1994年)

 「在日」の稀有の歌人李正子(イ・チョンジャ)をみなさんはご存知でしょうか?
 いま、韓国でも中国でも「反日」感情が高まっているという報道が続いています。それに呼応して、インターネットの世界などでは日本の一部の若者たちが、「チョン」だの「ちゃんころ」だのとなんのためらいもなしに書き散らして、反韓・反中国感情をエスカレートさせています。
 李正子さんはどんな気持ちでこの状況を見守っていらっしゃるでしょうか。
 「在日」の小説家や映画監督も、もちろん歌手も(多くは日本名を名乗っているにしても)たくさんいます。しかし、「在日」の歌人となるとほとんどいません。
 たぶん、それは短歌が日本固有の文学形式だからでしょう。「在日」の方々にとって短歌を歌うことは、下手をすれば「親日派」という最悪のレッテルを貼られかねない、そういうジャンルだったのだと思います。
 それに敢然と抗して「在日」女性の真実を短歌で歌い上げた先駆者が、李正子さんでした。
 「在日」は、日本人ではないけれど、もはや韓国国民でも北朝鮮国民でもない「在日」なのです。
 その引き裂かれたアイデンティティを女性の立場から短歌で歌い上げたのが、李正子さんです。
 李正子さんの短歌はぼくたち日本人以上にすぐれて叙情的です。しかし、そこには日本を無条件に前提としたり肯定したりする要素はまるでありません。
 ぼくは自分自身が歌に目覚める前に、別の視点から李正子さんの歌を評価していました。いま歌に目覚め、改めて李正子さんの歌を歌そのものとして受け入れ感動します。
 韓国や中国の人たちにも日本や日本人を十把一絡げにしたり、戦前の軍国主義時代と同一視したりしないように願いますが、同時にぼくたちもそれ以上に韓国・北朝鮮・中国、そして「在日」の人々を同様の単純で愚かなまなざしで見ないようにしたいものです。
 李正子さんの歌やエッセイを読むと、心からそういう思いが湧いてきます。
 
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050410 歌の力

2005-04-10 17:22:12 | 歌の力
半世紀死火山となりしを轟きて煙くゆらす歌の火の山(鶴見和子)

 今から10年前、1995年12月24日に社会学者の鶴見和子さんは脳出血で倒れました。
 不思議なことにその夜から、50年間歌うことのなかった鶴見さんの裡から歌がほとばしり始めたのです。
 鶴見さんはこう書いています。

 もしわたしが脳出血で倒れ、その後遺症として左片麻痺という半死半生の身にならなかったら、歌の復活はありえなかっただろう。『回生』以後歌は絶えることなく湧き上ってくる。今のわたしにとって歌はわがいのちである。                                               (『鶴見和子曼荼羅Ⅷ 歌の巻』藤原書店、1997年)

 鶴見さんが倒れられる数年前に、ぼくが関係したある高校の教科書に鶴見さんにも執筆をお願いしました。執筆者全員の会議に鶴見さんは一度だけ出席されたのです。
 和服を端正かつ粋に着こなされた、美しい白髪の知的な姿と気取らぬやさしいしゃべり方などが強く印象に残りました。
 それ以前から鶴見さんの読者であったぼくは、そのことがあってなおさら鶴見さんが脳出血で倒れられたことにショックを受けました。
 その鶴見さんが突然歌を歌い始められたと新聞で知りました。しばらくの後、偶々立ち寄った古書店の書棚に『鶴見和子曼荼羅Ⅷ 歌の巻』があるのを見てすぐに買いました。
 しかし、そのときのぼくには歌の世界は遠いものでした。買ってはみたものの、そのうち読もうといつのまにか本棚の片隅に入れたままになってしまったのです。
 今年の1月、ぼくは論文的な文章が突然まるで書けなくなりました。引き金になる小さな事件が、心の奥深くでぼくを打ちのめしていたのです。
 不思議なことに、それまで一度も歌を歌ったことなどなかったぼくの裡から歌がほとばしり出てきたのはそれからでした。
 そこで初めて鶴見さんの歌集を思い出したのです。なんと近い世界だったのでしょう。
 鶴見さんはご自分を死火山だったと表現されていますが、実際には休火山だったわけです。それに対して、ぼくは文字通りの死火山でした。
 鶴見さんと自分を比較することなどはおこがましいかぎりですが、ぼくも最初の思いもかけない噴火の「以後歌は絶えることなく湧き上ってくる。今のわたしにとって歌はわがいのちである」という点で、鶴見さんとまったく同じ状況にあります。
 ぼくに論文的な文章が書ける日が戻ってくるかどうかはわかりません。今はわがいのちとなった歌を大事にしながら、その復活・再生の日を待ちたいと思っています。

 
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050405 歌の力

2005-04-05 11:13:18 | 歌の力
 たった三十一文字の歌にはこんなすごい力があるのか。そうぼくの心をとらえた歌を、歌い手の有名、無名を問わず取り上げて見たいと思います。何よりもぼくの心に刻むためですが、このブログをご覧になる方がその想いを共有していただければと願います。

 その最初の歌です。

晩秋(おそあき)の荒野さびしもいのちとはあまたの奇跡たばぬるところ

 これは、昨年の4月4日に47歳で亡くなられた男の方の遺作です。その恋人だった女性から、ちょうど1周忌だった昨日初めて教えていただきました。
 病院で検査を受けた時点で余命1か月の宣告を受けたということですから、おそらく末期癌だったのでしょう。それを知っての入院を前に歌われた歌の1つです。
 いのちとはあまたの奇跡たばぬるところ。
 自分のいのちが失われんとしていることを直視したからこその表現です。
 これまでいのちをこのように表現しえた歌人がいたでしょうか。
 そのあまたの奇跡たばぬるいのちの中で、こともあろうに自分のいのちが突然1か月先に断ち切られようとしている。その万感の想いが込められて生み出された彼だけの痛切な表現です。それでありながら、みごとにいのちの本質をつく普遍的な表現になっていることに胸をうたれます。
 その彼の目に、もう2度と見ることもないであろうこの世の風景は、晩秋(おそあき)の荒野さびしもと映ったのです。
 死に至るまで彼は人間としての尊厳を失わずに歌を歌い続けられたといいます。
 歌集の1冊をも遺さずに亡くなられた歌人ですが、この優れた歌人の歌をその恋人から1周忌の日に教えていただいた偶然に心から感謝します。合掌
 
 
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