雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

通称「パブコメ」への「ゼロシナリオ」選択の意見投稿

2012-08-12 22:24:18 | 非暴力による平和を

ネットでは本日夕刻6時締切だった内閣府の「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する意見の募集(パブリックコメント)」、通称「パブコメ」にぎりぎりでしたが以下の内容を書いて送りました。

「意見の概要」
①ゼロシナリオを選択します。
しかも、即時、大飯原発の再稼働を中止し、他の原発の再稼働も止め、直ちにすべての原発の廃炉に向かった措置を講じるという「ゼロシナリオ」です。

「意見及びその理由」
1、未曾有の東電福島第1原発の事故は、その真の原因も未だに解明されず、廃炉に向かう道筋さえ見えず、いつまた大きな地震や台風などによって破滅的な事故が再発するかもわかりません。しかも、福島の浜通りを中心にした10数万の人びとが事故によって文字通りすべてを失い、故郷を追われた「原発難民」の過酷な生活を強いられ続けています。その中で、この狭い地震列島・津波列島で50機もの原発を再稼働し、長期にわたって稼働させるなどということは、電力会社とそれと利害を共有する銀行・保険会社・大企業などの目先の利害のために、福島の被災者を冒涜し、国民全体のいのちと暮らし、列島の自然環境・生態系の保全などを根本から危険にさらす、狂気の沙汰としか言いようがありません。
もしもう一度福島のような事故が他府県で起きてしまえば、それこそ日本全体が危機に瀕し、近隣諸国だけでなく、地球全体にも取り返しのつかない被害を与えてしまいます。
福島の事故でさえ誰一人として責任を取ってもいないのに、もしそのような事故を引き起こしてしまったら、いったい誰が責任を取るのですか。

2、私が6歳まで生まれ育った故郷は双葉郡富岡町夜の森で、生家があったのは第1原発から6.5キロ地点の、桜の名所として名高い桜並木の入り口近くです。しかも、その桜並木は、110年前に無人の原野だった夜の森を購入して開拓を始めた、曽祖父半谷清寿が開拓記念と農事暦のために植え始め、その後祖父半谷六郎が維持・拡張したものです。戦後、人びとの地域ぐるみの世話と努力によって桜はさらに地域全体に広がり、夜の森は福島県のみならず全国有数の桜の名所となったのです。
同様のことは、常磐線夜ノ森駅のツツジについても言えます。現在私は東京の山手線駒込駅の近くに住んでいますが、戦前に祖父がこの駒込駅の見事なツツジを見て、夜ノ森駅の構造がよく似ていることから、自費でツツジを夜ノ森駅に植え始め、それが戦後にやはり地域ぐるみの世話と努力によって、駒込駅をはるかに超える見事なツツジに育ったのです。ある時期から無人駅になってしまったような小さな駅ですが、花の季節には特急列車も徐行して乗客の目を楽しませるほどになっていました。
桜もツツジも、それを植え、育て、世話をしてきた故郷の人びとの歴史と暮らしも、原発事故はすべて根こそぎ奪ったのです。
許せません。
夜の森に住み続けてきた従兄弟たちや親戚も、すべて「原発難民」の暮らしを強いられ続けています。夜の森に帰ることはもはや不可能です。夜ノ森駅近くにある祖父母の墓に参ることもできません。

3.絶対に二度とこのような事故を起こしてはなりません。そして、その唯一の方法は即時原発を「ゼロ」にすることしかありえないのです。それ以外の選択があり得るなどというのは、故意か無関心か、いずれにしても福島の事故の現実を直視しようとしない欺瞞または幻想です。



コメント (4)
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120806 日々歌ふ

2012-08-07 00:01:39 | 日々歌ふ

―<六七回目の八月六日に>
<爆>のみか<曝>をも被るヒロシマの悲劇深々刻み思はむ


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六七回目の八月六日に―クロユリ

2012-08-06 14:37:09 | 日々写す

―<六七回目の八月六日に>
<爆>のみか<曝>をも被るヒロシマの悲劇深々刻み思はむ


                                  8月1日 クロユリ(黒百合)、乗鞍山頂畳平のお花畑にて


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120805 日々歌ふ

2012-08-05 23:42:56 | 日々歌ふ

目に染みる青田に映えて合掌の家並浮かびぬ白川郷に


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青田に映えて合掌の家並浮かびぬ

2012-08-05 15:18:03 | 日々写す

目に染みる青田に映えて合掌の家並浮かびぬ白川郷に


                                       8月1日 白川郷城山展望台にて


脱原発とオリンピックの浮世から束の間離れ、3泊4日、車で実に1400キロ余りの老人3人(70歳Nさん・68歳僕・62歳Oさん)の旅を無事終えて、一昨晩帰着しました。
初日(7/31)は午後早く金沢市に着き、Nさんはさらに七尾の故郷に墓参りへ、Oさんは刀の鍔と根付の出物を求めて骨董店巡りへ、僕は念願の21世紀美術館へ。
開催中だった「工芸未来派」展では、人形作家中村信喬の作品群に初めて出会い、陶芸家大樋年雄の《白楽茶碗 コロラドの土》とともに、容易に去りがたいほど深く魅せられました。
21世紀美術館の建築美にも、感心しました。
幸運なことに、隣接の県立美術館では、千葉市美術館ですでに観ていた「田中一村」展が偶然開催中でした。
千葉市美術館より広々としたスペースに観客はごくわずかでしたから、新たに修復なった「薬草天井図」や、特に奄美時代の作品群を思う存分矯めつ眇めつ堪能することができました。
2日目(8/1)は、白山登山の予定でしたが、Nさんの脚の不調で急きょ、乗鞍バス登山に変更。
五箇山の菅沼集落と白川郷を訪ねてから、乗鞍岳へ登り、頂上付近のお花畑と魔王岳(2,760m)からの北アルプスの雄大な眺望などを楽しみました。
下山後は飛騨高山へ。
3日目(8/2)は、妻籠宿・馬籠宿・奈良井宿・漆の街平澤などを梯子し、Oさんの故郷の諏訪で1泊。
4日目(8/3)は、霧ヶ峰の八島ヶ原湿原、美ヶ原、さらに湯の丸高原の池の平湿原を経巡って、帰着しました。
白山こそ登れませんでしたし、例年に比べて山の花の開花が遅れていましたが、昔の同僚たちと大量の写真を撮り、冗談を交わし、夜はそれぞれおいしい居酒屋を見つけての夕餉を楽しむ、実に愉快な旅でした。
最年長のNさんがぽろっと漏らしたように、もしかしたらもう来年はできない旅かもしれません。
その余韻を噛みしめながら、昨日から浮世に戻り、まずは、昨日は地元の仲間たちと始めた「《月1(つきいち)原発映画祭+交流カフェ》3.12を忘れない~映画で見る・知る・感じる原発~」(@谷中の家)の日でしたので、それに参加しました。
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