つばくらめチュピルルルとわら集め傾く店のしばし賑はふ (
草蜉蝣)
ツバメの鳴き声が好きです。
いつだったか、道を歩いていたら頭上からふしぎな鳴き声が聞えてきました。
思わず頭(こうべ)を返して、空を見上げました。
その鳴き声の主は、ツバメでした。
2羽のツバメが電線に止まって、何ともいえない囀(さえず)るようなかわいらしい声でいつまでも鳴き交わしていました。
ツバメが虫を取りながら空中を流れるように飛んでは返す姿や、ヒナに餌を与える姿は、時おり見かけます。
しかし、ツバメの鳴き声を聞いた記憶はありませんでした。
子どもの頃からきっと聞いていたはずですが、僕の方に聞く耳がなかったのでしょう。
それにしても、実に愛らしい鳴き声でした。
正直なところ、ツバメってこんなかわいらしい声で鳴くのだと感動したものです。
<チュピルルル>
そうでした。
まさに、そうでした。
<チュピルルル>です。
僕が鳴き声を聞いたツバメたちは電線でしばしの休憩を愉しんでいましたが、この歌の<つばくらめ>は鳴きながらも健気に働いています。
<わら>を<集め>ての巣作りです。
ツバメたちはどうして人家の軒先に巣作りをするのでしょう。
人間から餌をもらうわけでもなく、ふしぎです。
天敵から身を守るためでしょうか。
しかも数千キロも離れた東南アジアからやってきて、毎年よく同じ人家の軒先に帰って来られるものだと、いつも感心します。
最近でこそ、ビルやマンションの<軒先>に巣を作っているのを見かけますが、やっぱりツバメの巣が似合うのは伝統的な日本家屋の庇の長い軒先です。
<傾く店のしばし賑はふ>
日本中に広がってしまった「シャッター商店街」。
そんな商店街のさびれた日本家屋の店が、思い浮かびます。
まだ細々と店は続けているのでしょうが、商売はすっかり<傾>いているのでしょう。
もしかしたら、もはや物理的にも店舗が<傾>いているのかもしれません。
その店の軒先に、<つばくらめ>が<チュピルルルとわら集め>て巣作りを始めたのです。
巣が完成すれば、卵を産み、孵ったヒナが巣立つまで、<つばくらめ>たちは休む間もなく虫を捕らえては巣に電光のように帰り、すぐまたまた狩りに出かけます。
店先にはフンも落ちますが、なんといっても生の営みによる活気が生まれます。
ヒナたちが育てば、人びともどれどれと覗いていきます。
しかし、それも<しばし>の束の間のことにすぎません。
ヒナたちが巣立ち、親鳥といっしょに南国に帰ってしまえば<賑は>ひは去り、残るのは<傾く店>だけです。
<つばくらめチュピルルルとわら集め傾く店のしばし賑はふ>
わづか31文字で、こうした懐かしくも哀しい情景が見事に浮かび上がってきて、素敵です。
<つばくらめ>の古語と<チュピルルル>というオノマトペの組み合わせも、ぴったりときまっているように思います。
以下は、そのほかに気になった歌です。
切り抜きを父が集めしその中に南田洋子の若き日のあり(
梅田啓子)
キッチンの床にこぼせし米粒を集めゐてふいになみだ湧きいづ(
近藤かすみ)
なお、順番をまちがえて<018:集>からが<019:豆腐>からの後になってしまいました。