【21532】046:泥 泥かぶる気概もなくて偉ぶった命令口調の輩を蔑む(コメット)
マンションの目の前の区営の公園は半分が野球場です。
夏休みには毎日、早朝から夕方まで少年野球を中心に練習や試合が熱心に行われています。
けっこうな騒音でもあるのですが、それはしかたがありません。
ただ、不快なのは少年野球のコーチらしき大人の罵声です。
ノックをしながら一球ごとに大声で口汚く子どもを罵って、あれこれ命令しています。
学校でも生徒たちに対して「偉ぶった命令口調の」教師がいます。
下級生に対して「偉ぶった命令口調の」先輩がいます。
教職員に対して「偉ぶった命令口調の」校長がいます。
さらにその上に「偉ぶった命令口調の」教育委員会や文科省の役人がいます。
公園でも、職場でも、国家でも、至るところにこうした輩が権力を笠にきて威張りくさっています。
そして、いざとなると自己保身に汲々とし、責任を他に転嫁して恥じないのです。
日本の近代史の中で、自国民と他国民に対して最も「偉ぶった命令口調」で威張りくさったのは軍人でしょう。
しかし、彼らのほとんどは戦争を始めた責任を認め、取ろうとしませんでした。
私的な場面から公の場面に至るまで、「泥かぶる気概もなくて偉ぶった命令口調の輩を蔑む」精神を大事にしたいものです。
同時にそれは、自らがそうした輩にはならないという気概を持つことでもあります。
作者はそのことをいささかの衒いもなく、剛速球のように詠っています。
【21533】047:大和 愚神話の残骸として海底に不沈の巨艦大和は眠る(コメット)
日清・日露での思いがけない勝利に思い上がった日本の軍人たちは、陸軍では白兵による攻勢至上主義を、海軍では大艦巨砲主義を絶対視するようになりました。
その海軍の大艦巨砲主義の生み出した究極の愚かな神話が、絶対の不沈を呼号する戦艦大和・武蔵でした。
米英などはすでに戦艦中心の大艦巨砲主義から航空母艦と艦載機による航空主兵主義に転換していました。
その結果、戦艦武蔵は前年の10月にレイテ沖戦でアメリカの艦載機からの魚雷攻撃を受け、あえなく撃沈されていました。
1945年4月1日、米軍の沖縄上陸。
4月5日、日本の連合艦隊司令部は戦艦大和に沖縄への出撃命令を下します。
「一億特攻のさきがけとなって、潔く死んでくれ」という、特攻作戦の命令でした。
護衛の飛行機はありません。
米軍は最新鋭のレーダーを持っています。
とくに学徒兵の下士官たちは、これが何の勝算もない攻撃で、おそらくは沖縄に達することなく米航空部隊の攻撃で蜂の巣になるだろうと予知しました。
激しい葛藤の中で4月6日午後4時、大和は出撃します。
翌7日早朝、米軍は大和を発見。
新鋭空母12隻、艦載機800機が大和に波状的に襲い掛かります。
12時32分、先陣100機が急降下爆撃を開始。
12時45分、魚雷1発が命中。
13時35分、魚雷3発が命中。
13時44分、魚雷2発が命中。
14時07分、魚雷1発が命中。
14時12分、魚雷2発が命中。
14時17分、さらに魚雷1発が命中。すべて左舷に集中したため、大和は大きく傾く。
14時23分、ついに大和は横転、大爆発を起こして沈没。
まさに作者の歌の通り、現在も長崎県男女群島女島南方176キロ水深345mの海底に、戦死者2498名とともに眠っているのです。
愚神話の残骸として海底に不沈の巨艦大和は眠る