雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

050623 日々歌う

2005-06-23 12:18:56 | 日々歌ふ
今日この日壊滅したる沖縄を何護らむに捨石とせる

 沖縄縣民斯ク戦ヘリ
 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
  (大田実少将、1945.6.13 自決に際しての電文から)
御高配賜る代り沖縄の永久(とは)の占領願ひし君は

理由(わけ)一つ降伏延ばし幾十万犠牲重ぬは国体護持ぞ

春秋に「国体」の文字見る度にギクリとせるはライシャワーの言
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050622 日々歌う

2005-06-22 23:58:21 | 日々歌ふ
この国のかたち国柄またぞろに意味のありげに語られ始む

祖母と母ともに異形のワニといふ皇統闢くスメラミコトは

ありがたきわが国柄の万世にワニから続くオホキミありて
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050621 日々歌う

2005-06-21 20:08:03 | 日々歌ふ
ホルトノキ繁る木立の下陰にああ咲き群れりビヨウヤナギは

紅の数葉混じり生繁るホルトノキにぞ白き花待つ

オリーブのポルトガルより伝来しホルトの木とは呼ばれけるなむ

オリーブに似たる実のゆえ源内のホルトノキとて過ち称すと

日々通る小公園の樹陰をば黄に染め咲くは万年草と
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050620 日々歌う

2005-06-21 00:37:16 | 日々歌ふ
名を知りて街を歩けば夏椿そちこち咲ける荒れし都に
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050619 日々歌う

2005-06-19 21:36:47 | 日々歌ふ
ちちははの不仲を厭ふひとり娘(ご)の声ぞ届ける父の日だとて

二月の沈黙破る声の言ふ父の日だから電話ぐらゐは

父さんも元気さうだねと娘言ふ我がブログをば見くれおりなむ
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050619 題詠マラソンから

2005-06-19 12:00:27 | 題詠マラソン2005から
【17248】060:影 前になり後になりつつ二羽のカモ水面にゆるる花影の中(柳子)

 川岸から水面を覆うように桜が咲き乱れる下を、ふと見やれば番のカモが「前になり後になりつつ」、水面に映る「花影」が揺れる中をゆっくりと泳いでいる。
 情景がありありと目に浮かびます。この春、同じような情景をぼくも黄昏時の神田川で見たので、まるでぼくが自分で詠ったかのような既視感(デジャ・ヴュ)がありました。もちろんこんな風には詠えなかったのですが。


【17247】 059:十字 仄明く木の下陰にびっしりと十字に咲(ひら)くどくだみの花(柳子)

 これも上の歌と同じような不思議な感覚で読みました。
 ドクダミの花はぼくもいくつか詠みましたが、「仄明く」「咲(ひら)く」という表現は浮かびませんでした。なるほどぴったりの表現ですね。ぼくもこんな風に詠えたらと思いました。

【17241】 066:消 つぎつぎに生れては消ゆる言の葉とはぐれぬやうにメモ帳を持つ(中澤あけみ)

 わかります。この気持ち。でも、この「言の葉とはぐれぬやうに」という表現が新鮮なんですね。もしこれが「言の葉を忘れぬやうに」だったら、とても歌にはなりませんでした。たったひとつの言葉の使い方で歌になったりならなかったり、それがよくわかりました。
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050618 日々歌う

2005-06-18 21:34:25 | 日々歌ふ
ネット歌人海神いさなさんの男児誕生を祝して

海神(わだつみ)のいさな(鯨)の君に生れし児の海男の名こそ似つかわしけれ
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050618 題詠マラソンから

2005-06-18 20:13:35 | 題詠マラソン2005から
【17215】064:科学 科学から空想へゆく個にむかひ天動説のごとくもの言ふ(常盤義昌)

 「科学から空想へ」。どこかで聞いた科白だと思えば、これは「空想から科学へ」の逆でした。
 とすれば、「科学から空想へゆく個」とは、科学を自称した社会主義の惨めな崩壊に幻滅し、その手の「科学」から離れて文学や芸術、宗教などの「空想」に惹かれているような個人、ということでしょう。
 そういう個人に向って未だに「天動説のごとくもの言ふ」誰かがいるのです。
 かつてガリレオに地動説の放棄を迫った異端審問官たちは、ローマカトリック教会という強大な権威をバックに、絶対不動の真理として「天動説」を振りかざしました。
 20世紀に登場した共産主義(スターリニズム)の異端審問官たちも、反共(マッカーシズム)の異端審問官たちも、同様でした。
 21世紀の現代においてこの誰かは、いったいどんな権威をバックに「天動説のごとくもの言ふ」のでしょうか。

【17194】013:焦 迷い来し犬の瞳の焦茶より夜は滲みてわが庭に落つ(水須ゆき子)

 迷子の子犬の焦茶色の瞳。
 きっと久しぶりに人の親切に出会ったのでしょう。
 「よしよし、どこからきたの?」「おお可愛そう、おなかが空いてるよねえ」などと子犬は頭を撫でられ、尻尾をふって見上げる瞳には心なしか涙が滲み、そこに夜の空が映っています。
 「夜は滲みてわが庭に落つ」。
 まるで映った夜ごと涙が零れ落ちたかのようですね。とても素敵です。
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050617 日々歌う

2005-06-17 18:53:49 | 日々歌ふ
雲雀舞ひ羽ばたき歌ふ尾瀬の野にいつしか高く天に消えゆく

目に見へぬ細き流れの蛇行せむ水芭蕉らも沿ひて咲きける

木道の脇に群れ咲く可憐なる花ぞまだ見ぬチングルマなれ

盛り過ぐ水芭蕉をば助けむか尾瀬を黄に染めリュウキンカ(立金花)咲く

束の間に重たきガスの晴れ行きて至仏の肌に雪渓ぞ見ゆ

脇道の木道行けば金槌で鉄塊叩けと指示は立ちをり

点々と光る池塘(ちとう)に白樺の映りし孤影風にさざめく
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050616 日々歌う

2005-06-17 00:36:05 | 日々歌ふ
尾瀬行きの夜行日帰りたじろげり吾妹は誘ふ六十路の我を

明けそめし鳩待峠で夜行バス降り立ち下る尾瀬の原へと

呼び交はす尾瀬の静原カッコーの声のみ聞ゆ水無月の朝
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