「日韓のナショナリズム克服への『狗肉』の策」
目良誠二郎
一、ナショナリズムとナショナルなもの(髭彦閑話31)
二、「狗肉」の策
1・2
(髭彦閑話32)
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プサン(釜山)の西方にチンジュ(晋州)という古い地方都市がある。かつて秀吉の侵略軍と激戦が戦われた地だ。一昨年に続いて昨年の夏も、このチンジュ市にあるキョンナム(慶南)科学高校で開かれた日韓歴史教育交流会に参加した。この交流会は、主に千葉の歴史教師たちが大槻健先生とともにつくってきた日韓教育実践研究会(現代表は石渡延男さん)とチンジュ市周辺の歴史教師たちが、一九九四年から毎年行ってきたものである(三橋広夫「深まる日韓歴史教育交流」『歴史教育・社会科教育年報』一九九九年版、三省堂、参照)。
九八年の交流会では、韓国側からそれまでのナショナリスティックは内容を乗り越える画期的な二つの実践報告がなされた。その一つを報告したのは、キョンナム科学高校のパク・ジョンチョン(朴鐘天)さんである。パクさんとは、九七年に東京で交流会が開かれたときからのつきあいだ。昨年の交流会の昼食は、サムゲッタンの専門店でごちそうになることになった。実は、サムゲッタンの専門店にはほとんどの場合ポーシンタンもある。そのことを僕はすでに知っていた。そこで、パクさんたちに「できたらポーシンタンがいいですねー」と口走ると、チョン・ジェジョンさんのときとまったく同様の反応が劇的に再現された。なんとパクさんは、自他共に許す筋金入りのポーシンタン愛好家なのであった。こうした展開に渋い顔なのは、超のつく大の愛犬家石渡さんである。大槻先生は、その石渡さんに遠慮してこの一〇年食べたいのをずっと我慢してきたのだという。その日、大槻先生を交えたポーシンタン組の食卓が、サムゲッタン組を尻目に日韓入り乱れて大いに盛り上がったことは言うまでもない。放し飼いの赤犬であったかどうかは定かでないが、もしかすると輸入物であったかも知れぬソウルの素性怪しきポーシンタンよりは、確かに美味であった。
昨年の年末に東京で開いた第四回東アジア歴史教育シンポジウムに、パクさんを報告者として招くことができた。報告はやはり注目を集めた(未来社から来春発行予定の記録集を参照)。五年に一度の計四回のシンポジウムを通じて韓国から初の、念願の中高現場教師の参加である。その貴重な橋渡しができた。
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今年の交流会は対馬に場所を変えて、八月二一日から二三日の日程で行なわれた。中世には倭寇の拠点でありながら、近世には日朝の外交と貿易の唯一の窓口となった対馬である。しかも、近世初頭には秀吉の朝鮮侵略の最前線に立たされた島だ。その秀吉の朝鮮侵略の授業実践をめぐる交流を、この対馬で行ったのである。
僕は八月一七日から一九日まで、ソウルから車で二時間ほどの田舎にある「ナヌムの家」で開かれた第三回日韓平和教育シンポジウムに参加していた。「ナヌムの家」の昼食にサムゲッタンが出たが、さすがの僕もポーシンタンとは口に出せなかった。シンポ終了後、対馬に渡るためソウルから四人の仲間とともに飛行機でプサン(釜山)に飛んだ。夕食はぜひポーシンタンでという僕の提案が認められ、ホテルのボーイたちに笑われながら聞き出した小さな専門店を見つけ、ポーシンタンと焼狗肉を堪能した。
二一日、チンジュから来たパクさんたち二〇数名とプサン港で合流し、対馬に向った。福岡経由の日本人参加者には大槻先生の姿もあった。その夜の懇親会でパクさんにプサンでポーシンタンを食べたことを話すと、思いがけなく朴さんが怒りだした。「プサンに泊る余裕があるのなら、なぜソウルから直行便でチンジュに飛んで来なかったのか。ポーシンタンにかけては私はチンジュ一なんだ。もし五人が来ていたら一緒に丸ごと一匹食べられたではないか。実に残念だ。こういう水くさい遠慮は絶対にしてほしくない。次の機会にはぜひチンジュで丸ごと一緒に食べよう!」。パクさんは、翌日のシンポジウム冒頭の挨拶でもこの話を繰り返した。六月一五日からの歴史的な南北首脳会談に際して、キム・デジュン(金大中)大統領はキム・ジョンギル(金正日)総書記にお土産としてチンド(珍島)犬を持っていった。そのチンド犬をパクさんは七匹も飼っているという。ポーシンタンは大好きでも、このチンド犬は絶対に食べませんよと言って笑わせた。
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ポーシンタンは法律上明文的に禁止されてきたわけではない。だが、狗肉は「畜産物加工法」「食品衛生法」の対象とされてこなかった。歴代韓国政府はそれを楯にとって「狗肉を食肉とは認めていないのだから、ポーシンタンも認めていない」と称してきたのだ。しかし実態は、処理・流通・衛生管理がかえって野放しのまま、広く狗肉が食されてきた。九六年にソウル地裁が初めて「社会通念として犬肉も食肉」だという判決を下し、今年八月には正式にポーシンタンを合法化する法案が国会に提出されたという(一九九六年一一月三〇日、一九九九年八月一九日付『産経新聞』)。法案提出と同時に、その中心役の議員が執拗に「ポーシンタン野蛮説」を振りかざしてきたブリジッド・バルドーに反論の書簡を送った。「犬肉料理は韓国固有の食文化である。国それぞれに固有の文化があり、それを外国人が気に食わないといって一方的に非難、否定するのは文化相対主義にたいする無理解であり、自文化利己主義だ」というわけだ。
この章の冒頭に掲げた捕鯨批判にたいする日本人の反論の論理と、ほぼ同じだ。とすれば、こうした反論をする日本人がポーシンタンに眉をひそめたり、反発するわけにはいかないだろう。同時に、こうした韓国人が日本にたいする欧米の「捕鯨野蛮説」批判に同調するわけにもいかないはずだ。韓国の強烈なナショナリズムに反発する日本人は少なくない。そんな日本人にこそポーシンタンを食べさせてみたい。ポーシンタンを前にぐっとたじろげば、少しは己の側のナショナリズムにも気づくかも知れない。日韓の民衆は確かに互いにナショナリズムを克服すべきだ。そのためにはまず自分が何ができるかを考えたい。たかがポーシンタン、されどポーシンタン。日韓の民衆の相互理解にとって、ポーシンタンは意外に深い意味をもちうる。少なくとも僕にとって、それは単なるゲテモノ食いの苦肉の策などではまったくない。日韓相互理解にとってむしろ必要不可欠なものでさえある。「狗肉」の策、万歳!パクさん、近い将来きっと狗肉を丸ごと一匹平らげながら、仲間とともに日韓・東アジア・世界の平和を心ゆくまで語り合いましょう! ハハハハハ!