雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

050930 日々歌う

2005-09-30 22:44:59 | 日々歌ふ
いまさらに私人と言ふや記帳せむ総理大臣何某として

靖んずるクニとは山河(land)故郷(country)や民人(nation)ならず天皇のクニ(state)

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050929 題詠マラソンから

2005-09-29 11:43:15 | 題詠マラソン2005から
【24605】097:静 ひたひたと濡れし音して車過ぐ静かに雨の降り初むらんか(久松)

 静まり返った夜更けでしょうか。
 夜明けかもしれません。
 時おり通る車の音のいつものとの微妙な違い。

 寝床の中で耳を澄まします。
 雨の音が聞えてくるわけではありません。
 それでもきっと。
 
 「ひたひたと濡れし音して車過ぐ静かに雨の降り初むらんか」。

 これはデジャ・ビュでもデジャ・エクテでもありません。
 まさしくぼくも度々経験した音であり情景です。
 みごとな歌によってそれらがありありと甦りました。
 

【24607】 099:動 嬰児が手を動かしたそれだけのことに眼のうるうるとして(久松 )

 先日、電車の中で若い父親が嬰児(みどりご)をまるでこわれもののように抱いてました。
 その嬰児(みどりご)の手のあまりの小ささに、思わず娘にあれ見てご覧とささやいてしまいました。
 そのときぼくが同時に見ていたのは、30年近くも前のそのわが娘の手でもありました。
 ただし娘にはそうは言いませんでしたが。

 たぶん、この歌の嬰児(みどりご)は作者の初孫。
 そして作者もまた、そのみどりごの母たる娘のかつての手を想い起こしたのではないでしょうか。

 結句の「うるうるとして」も、このような情景に詠われたことはこれまでなかったでしょう。
 ともすればセンチメンタルな響きになりがちなこのことばが、微塵もそれを感じさせません。
 句またがりもごく自然で、気になりませんでした。

 吾が子、吾が孫のもみじのような手が動くという、ただそれだけの事実に胸がいっぱいになる。
 その人類普遍の想いがこめられた味わい深い歌ですね。
 
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050929 日々歌う

2005-09-29 10:56:10 | 日々歌ふ
空の青欅の緑グランドの何色なるか女生徒の歓声(こえ)

少女らの歓声(こえ)のみ高く共学の運動会と思へぬほどに

ピストルが平和な仕事なしをりて秋の陽浴びつ子らはどよめく


戯れに昔は掛布いま敷布(シーツ)言ひたくならむ猛虎の勝てば

ナベツネにかつてのエゴワ矮小の者たちつひに巨人滅ぼす

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050928 日々歌う

2005-09-28 23:07:07 | 日々歌ふ
百日紅なほ咲く樹下の一輪の白き花こそ曼珠沙華なれ

萩も見で白き槿に百日紅夏を惜しむる花ぞ目に見ゆ

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050927 日々歌う

2005-09-27 18:59:21 | 日々歌ふ
見てならぬもの見しごとく道の端に赤裸々に咲く曼珠沙華見ゆ

露出せしわづかな黒き土破り妖しく咲きて曼珠沙華揺る

                *

校門でたかが遅刻の女生徒をはさみ殺むる教師もをりぬ

可愛くてだらしのなくて可愛くて教へ子たちは孫となりつつ

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050926 日々歌う

2005-09-26 19:16:01 | 日々歌ふ
青光るワカシを買ひて出刃振るふ楽しみもあれ独りの夕餉

水切りし木綿豆腐の歯応へを食みつ味はふ青紫蘇・茗荷

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050925 題詠マラソンから

2005-09-25 23:59:27 | 題詠マラソン2005から
【24197】 089:巻 誰もみなきっといずれは消えてゆくビデオが巻き戻される速度で(五十嵐きよみ)

 本当にそうですね。
 それにしても、人の死を「ビデオが巻き戻される速度で」「消えてゆく」と表現したのは、人類史上きっとこの歌が初めてでしょう。
 ただし、見たビデオがすばらしかったときと、どうしようもなかったときとでは、巻き戻しの終わるのを待つ間の感慨は相当に異なります。
 多分、人の死も。
 惜しまれて死ぬか、そうでないか。
 
 DVD以降の世代にはよくわからないレトロな表現、と言われるようになるかもしれませんね。
 

【24192】 053:髪 渾身の力作だったまとめ髪しゅるりと解かれて夏祭り(柴田 瞳)

 「しゅるりと解かれ」たのは「渾身の力作だったまとめ髪」だけではありえません。
 夏祭りの日、着ていたのは神輿を担ぐための印半纏なのか、それとも浴衣なのか。
 いずれにしても、「渾身の力作だったまとめ髪」が「しゅるりと解かれて」しまえばその後は、ということになります。
 まあなんと粋な性愛の歌、なのでしょうか。
 お見事、です。

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050925 日々歌う

2005-09-25 22:46:38 | 日々歌ふ
恵比寿なる美術館をばトシャビとてわが娘呼ぶブラッサイ観し

パリの真夜ひかり(微光)に浮かぶものたちに永久の姿をブラッサイ見ゆ

リアルさを底の底まで追ひ求めブラッサイ撮る対象(もの)の普遍を

街角の落書撮れるブラッサイ バスキアを知らずピカソを知るも

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050924 日々歌う

2005-09-24 18:32:21 | 日々歌ふ
ばつたりと出会ひし後にチャン(張)さんを喩へて想ふ白磁の壷と

目を剥きて玄関に座すマンションの対の狛犬守りしものは

狛犬は高麗犬にして沖縄のシーサーもろとも獅子の変化(へんげ)と

アッシリア駆けしライオン絹の道経めぐりて化く獅子・狛犬に

面つきの違ひに潜む歴史あれわが狛犬と彼のシーサーの

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050923 日々歌う

2005-09-23 16:20:15 | 日々歌ふ
真東に昇る朝陽を見ざりしにしかと見む陽の真西に沈むを

昇ること沈むことなく太陽が地平を滑るけふ極点では

数分は昼なほ長き束の間の日々も終はらむ曼珠沙華咲き

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