【24605】097:静 ひたひたと濡れし音して車過ぐ静かに雨の降り初むらんか(久松)
静まり返った夜更けでしょうか。
夜明けかもしれません。
時おり通る車の音のいつものとの微妙な違い。
寝床の中で耳を澄まします。
雨の音が聞えてくるわけではありません。
それでもきっと。
「ひたひたと濡れし音して車過ぐ静かに雨の降り初むらんか」。
これはデジャ・ビュでもデジャ・エクテでもありません。
まさしくぼくも度々経験した音であり情景です。
みごとな歌によってそれらがありありと甦りました。
【24607】 099:動 嬰児が手を動かしたそれだけのことに眼のうるうるとして(久松 )
先日、電車の中で若い父親が嬰児(みどりご)をまるでこわれもののように抱いてました。
その嬰児(みどりご)の手のあまりの小ささに、思わず娘にあれ見てご覧とささやいてしまいました。
そのときぼくが同時に見ていたのは、30年近くも前のそのわが娘の手でもありました。
ただし娘にはそうは言いませんでしたが。
たぶん、この歌の嬰児(みどりご)は作者の初孫。
そして作者もまた、そのみどりごの母たる娘のかつての手を想い起こしたのではないでしょうか。
結句の「うるうるとして」も、このような情景に詠われたことはこれまでなかったでしょう。
ともすればセンチメンタルな響きになりがちなこのことばが、微塵もそれを感じさせません。
句またがりもごく自然で、気になりませんでした。
吾が子、吾が孫のもみじのような手が動くという、ただそれだけの事実に胸がいっぱいになる。
その人類普遍の想いがこめられた味わい深い歌ですね。