雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

あくがれのタイを旅して

2006-04-05 18:12:10 | あくがれのタイを旅して
あくがれのタイ訪ひ初めしさんぐわつは彼の地の夏の盛りと知らずも

出迎へし旧知の友の親切にわれらを待ちぬ二台のTOYOTAで

秋冬のあれど春なしタイの友かく云ひ笑ふたじろぐ吾に

高層のビル立ち並ぶバンコクにTOYOTA・ISUZUのマーク溢るる

十年前襲ひし危機の痕跡のすでにし消えむバンコクの街に
(十年=ととせ)

高層のホテルの裾に屋台ありフカヒレとろけチャーハン絶品!

シンハーの大瓶あればよろこびの声を挙げつつ乾杯なせり

遡るチャオプラヤ河の黄濁にふとよぎりしはメナム何処と
(何処=いづこ)

バンコクに流るる大河メナムとぞはるかに習ふ記憶のありて

無知なりし<メナム>が河の意味なるを知らずに想ふ<メナムのほとり>

色失せてメナムのほとりアルン寺の石塔高く左岸に見ゆる

ポー寺の伽藍を埋めて金色の姿も美しく寝釈迦ほほえむ
(美しく=はしく)

母と幼児の物乞ふ手をば路の端にタイでもやはり見ずにすまずも
(幼児=こ)

タイスキも食む能はずにわが腹のおどろになりぬ二日目にして

招かれど病み腹抱へ寝がての一夜の長きタイの民家で
(寝がて=いねがて、一夜=ひとよ)

郊外にタイの住まひの広々と黄の花枝垂るゴールデンシャワーの

大型のワゴンで共にアユタヤをタイの友らは巡りくれむと

バンパイン離宮を後に笹型の河舟やとひアユタヤめざす

岸の辺にメナムの暮らし垣間見え水遊ぶ子ら嬉々と手を振る

渡し場に餌付けされしか大鯰川面を埋めて群れはねをりき

乗り初めし象の背中に固まれる高きを厭ふわぎもこ支ふ

息荒く歩みのろきに年齢聞けば象の哀れよ七十六と
(年齢=とし)

象の背ゆ往古の塔の朽ちがてに立つを望めるアユタヤの地に

何故にかくも無残に破壊せむビルマのかつてアユタヤ侵し

御仏の首ことごとく刎ねし跡タイに残せるビルマも哀し

アユタヤの破壊の跡を夕光の照らせば燃ゆる煉瓦の赫く
(夕光=ゆうかげ)

タイ人で溢るる店の鶏飯を腹病み癒えず食む能はずも

マンゴーにもち米甘きデザートの思はぬ美味を吾も味はふ

友の血を聞けば夫婦の中国の血筋にあれど漢語解さず

愛らしき娘ふたりに日本語も教へくれをりタイの友らは

タイ国のエコ企業をば先駆くる労苦を聞きて感じ入りける

タイ・ラオス・ビルマを分かつ国境の見えざるままにメコンの流る

ベトナムのデルタ遥かな上流にメコンは流れ緑に濁る

下りゆく五星紅旗の翻る貨物の船に人影の見ゆ

国境のありやなきやの対岸にラオスの小邑しばし訪ひける

ミャオ族の土産を覗き戯れにコブラ・サソリの酒瓶手にす

夕刻の迫ればあふる国境に自転車・徒歩の老若男女の

ボロボロのパスポート見ゆ老人の日々越え行かむこの国境を

袈裟懸けの橙色も鮮やかな僧侶の在すケータイ耳に
(在す=おはす)

人逝かばメナムに灰を流すゆゑタイの民にぞ墓なきを知る

コメント (8)
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