雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

今度は秩父に行ってきます

2008-10-31 00:07:01 | Weblog

秩父に山荘を持っている職場の先輩OBからお誘いがかかり、金曜の午後から2泊で今度は秩父に行ってきます。
どうやら天気は好天に転じつつあるようです。
紅葉や白鳥などが美しく迎えてくれるかもしれません。
楽しみです。


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さきがけて一枝赤く夕光(ゆうかげ)に

2008-10-30 23:17:59 | 日々写す



           さきがけて一枝赤く夕光(ゆうかげ)にハゼの浮かぶを独りよろこぶ


 

                                                 六義園にて


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秋の実熟れて赤きに魅かる

2008-10-30 22:42:39 | 日々写す



            わがためにあらざることと知りながら秋の実熟れて赤きに魅かる


           

                                 高田馬場の道の端にて


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081030 日々歌ふ

2008-10-30 10:05:42 | 日々歌ふ


―<ノルウェイのピアニスト・アンスネスのリサイタル(東京オペラシティ・10/27)を聴きて >

まぎれなき巨匠となりぬアンスネス未だ不惑に達せざりしも

衒ひなき超絶技巧で深き音ふかきリズムをアンスネス弾く

終りなきシューベルトのソナタをも終るをいつか惜しみ聴きたり

息のみてドビュッシーの目くるめく音楽に酔ふただひたすらに

通俗のかけらなければ月光の曲ふかぶかとこころ満たしぬ

熱狂に応へて弾きしアンコール 掉尾をかざるスカルラッティ

                 *

わがためにあらざることと知りながら秋の実熟れて赤きに魅かる

さきがけて一枝赤く夕光にハゼの浮かぶを独りよろこぶ
(夕光=ゆうかげ)


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人知れず羊のごとに雲群れて

2008-10-29 23:57:30 | 日々写す



                人知れず羊のごとに雲群れて蒼空高く秋を食みをり


        

                                        勤務校の校庭にて


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081029 日々歌ふ

2008-10-29 23:50:38 | 日々歌ふ


人知れず羊のごとに雲群れて蒼空高く秋を食みをり


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自転車で帰る生徒を追ふ影の

2008-10-28 19:00:56 | 日々写す



               自転車で帰る生徒を追ふ影の長きに知りぬ季の移るを


       

                                       勤務校の前庭にて


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081028 日々歌ふ

2008-10-28 18:53:33 | 日々歌ふ


自転車で帰る生徒を追ふ影の長きに知りぬ季の移るを


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題詠blog2008<022:低>から

2008-10-26 23:10:32 | 題詠blog2008から

こゑ低き君にしあればガラスより繊細な魂(たま)ふと見失ふ(みずき

小学生だった頃、我が家を訪ねた初めての客がぼくの声を聞くときまってこう言ったものです。
「ぼうや、お風邪?」
それほど幼いぼくの声はしわがれていたらしいのです。
それなりに毎度、ひそかに傷つきました。
ボーイソプラノで目のくりっとした二つ違いの兄とは対照的に、ぼくは目も細くてどこかジジくさい子どもだったのですね。
中学2年の頃に、やっと声変わりしました。
どうした作用なのか、一転してぼくのしわがれ声は普通の声に変わったのです。
しかも、かなり低音の。
山の家に行った先で、他クラスの女の子から「低音でステキ!」と言われた記憶が未だに耳に残っているほどです。
よほどうれしかったのでしょうね。

中学3年を終わるころから、ものを思うようになりました。
水泳やバスケットボールに打ち込む一方で、人生に深く悩み始めたのです。
本を読み漁り、音楽に浸り、恋に恋をし、ともすれば自死の誘惑に駆られました。
それは、大学になんとか現役で合格した後も1年ほど続きました。

スポーツで鍛えた身体と低音の持ち主だったそのころのぼくに、そんな<ガラスより繊細な魂>が隠されていたことを知っていたのは、家族とごく限られた友だちだけだったでしょう。

<こゑ低き君にしあればガラスより繊細な魂(たま)ふと見失ふ >

一読して、まるで半世紀近く前のぼくの若き日を誰かが詠ってくれていたかのような、そんな錯覚をおぼえました。

以下は、そのほかに気になった歌です。

散りてのち 花の紅よりなお赫く 低きを染める 桜の屍(水風抱月
往還に枝撒き散らし鵲の巣は去年(こぞ)よりも低く仕上がる(今泉洋子
西日のみ低く差し込むアパートの窓より世界の黄昏を見る(つばめ


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人の世の魑魅魍魎をばその網に

2008-10-26 16:41:57 | 日々写す



            人の世の魑魅魍魎をばその網にとらえてくれぬかお女郎蜘蛛よ


           

                                        六義園にて


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