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名にし負ふ竜田の川の今もなほからくれなゐに水くくりけり
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―<「舘野泉ピアノリサイタル2009~彼のための音楽を彼が弾くVol.3~」(12/1:東京文化会館小ホール)>を聴きて
彼のひとの左手だけで奏づると誰ぞ思はむ眼(まなこ)つむらば
内外に委嘱をなせる左手の曲の次第に数を増しゐぬ
病む右手(めて)も時にこぶしと肘つかひ楽を奏でり舘野泉は
小品を心のひだに沁み入らせ舘野泉は演奏終へぬ
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三万の増派をなして愚かにもオバマ歩まむ滅びの道を
*
降り立ちし駅より呆れ歩みゆくこれ途なるか法隆寺への
柿食まず鐘も鳴らねど斑鳩に仰ぎにけりな五重塔を
渡来せる猫にしあらむ斑鳩の古刹になじみ独りたゆたふ
斑鳩の丘に登れば人知れず黄葉を映す水辺ありけり
斑鳩に旧き家並みを求めつつ竜田の川の紅葉めざしぬ
*
日本語もロクに話せぬキャスターの九時のニュースにけふも出てをり
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今宮の社に知らで立ち寄ればもみぢの紅く空を染めゐぬ
黄と紅に錦織りなす晩秋(おそあき)の高桐院へ友をいざなふ
北山の山裾深く光悦のゆかりの地にぞ紅葉訪ぬる
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―<けふ、三十六歳で逝きし父を偲びて>
いつしかに五十九年も経ちにけり六つの冬に父を亡くして
*
人波のつかの間途絶え静もれり鹿ケ谷なる法然院の
願はくば紅葉の下に秋死なむその安楽寺の日の暮るるころ
坂をのぼり辿れば黒谷の真如の堂に紅葉あふるる
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教へ子のフィアンセ連れて訪ひくれし一夜(ひとよ)の明けて朝の清(すが)しき
*
朝光(かげ)のいざなふままに黒谷をふたたび訪へば紅葉きらめく
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朝刊に開戦記事を探せども空しかりけり師走八日に
*
鴨の字ゆ賀茂に変はりてなほ美(は)しき古都に流るる晩秋(おそあき)の川
まぶしくも紅葉(もみぢ)黄葉(もみぢ)と光りけり古都の御苑に巨樹の並びて
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御所なれど江戸世にあれば秋の日にしづごころなく紅葉散りけむ
*
降りつむる銀杏黄葉を足裏に踏みて歩まむキシキシキシと
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望遠のレンズ忘れし吾が前に葦のきらめき川蝉止まる
*
孝明と息子住まひし紅葉なき御所の異様に門のみ紅し
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冬野より摘みて活くれば赤ツメの花に温もるこころも部屋も
愛猫のCDアンプに乗り来る お前も好きかモーツァルトをば
能ふならけふは十キロ走らむと予期せぬ声の裡より湧きぬ
衰へに競ひ勝りて久々に十キロ越えて吾走りけり
*
雲南の旅を共にし丈高き友を襲ひぬ悪(にく)き病の
先行ける六十路の友を突忽に襲ひしことの他人事ならず
たたかひのつらさ深きを想ひつつはるかに願ふその勝利をば
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折節に心づくしの届きけり職退(の)く吾を今も忘れず
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過ぎ去りし秋の日思ひ今し吾歩み始めむ冬への旅を
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―<晩秋の横浜・山下公園岸壁にて>
秋の陽の落ちゆく際(きは)に岸壁で水と戯れアート織りなす
*
年金の二か月ごとに支給さる暮らしの周期変はりはせぬに
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不忍の冬の池畔をひさびさに訪ひて帰りぬ十キロ走り
教師辞め初の師走の寒けれど吾走りゐぬ独り六十路を
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冬の野をさまよひ見れば地に低くヒメオドリコソウ・ホトケノザ咲く
イヌフグリ・菜の花すでに咲き初めぬ冬来りなば春遠からじと
ドングリの実をば探して確かめぬクヌギ、コナラの区別あやしく
*
煮物をば初めてつくる さ・し・す・せ・そ 締め切り迫る吾妹に代はり
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億兆の時を眠らぬ樹々立ちていまひとたびの冬を迎へり
年の瀬にはや蝋梅の咲き初めぬ美(は)しくはあれどあやふさ秘めて
一輪のあはれにあらむ連翹の黄も鮮(あざ)らけく年の瀬に咲き
091221
冬の陽に八重咲く花の白かりき吾(あ)が裡底の面影もまた
さり気なき美のそこここに隠れゐてそをば認むる吾ら待たなむ
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年暮るる野辺に小春の風吹けば鳥らも憩ふ木々に水辺に
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柴又でうまき蕎麦食み年の瀬に江戸川べりを友と上りぬ
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―<信濃なる秘湯奥山田温泉「満山荘」に遊びて>
山深き湯宿の窓ゆ冬の陽の穂高が嶺に落ちゆくを見き
陽の落ちしはるかな嶺の連なりに切っ先黒く槍岳浮かぶ
雪肌の美(は)しき山なみ仰ぎつつ出湯に身をばゆだねけり
八十路なる湯宿の主(あるじ)公言す戦(いくさ)は敵なり家族と国の
兄弟を失くしてなほも特攻を志願せりとて老人悔いぬ
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鳥獣の戯画を描ける僧正の名をば騙りし下司を知りけり
091230
塩魚汁(しょっつる)は魚醤にあればニョクマムで鍋楽しみぬハタハタ入れて
億兆の時生きてなほ空高く冬迎へ立つメタセコイアの
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落ちかかる冬陽に浮かぶ青鷺の威厳に打たる間近にぞ立ち
職退きし自由の年の暮れゆきて来る年いかに生きむか思ふ