雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

060930 日々歌う

2006-09-30 18:37:14 | 日々歌ふ
季節狂ひふくらむつぼみ姫沙羅の一輪惜しみ長月の去る
(季節=とき)

白々と槿の低く咲く花を仰ぎて妖し彼岸の花の

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060929 日々歌う

2006-09-29 23:59:52 | 日々歌ふ
杜眠るしじまを破り耳聾す数多の虫の恋を歌ふや

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060928 日々歌う

2006-09-28 10:31:45 | 日々歌ふ
底抜けに秋の一日を突き抜けて空よ広がれ青きもあをく

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060927 日々歌う

2006-09-27 22:41:18 | 日々歌ふ
雨打てば路傍の華の赤裸々に彼岸を過ぎて立ち乱れをり

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060926 日々歌う

2006-09-26 21:36:23 | 日々歌ふ
満面の笑みで権力握りたる亡者の群れに雨ぞ降りける

降りしきる雨も冷たく秋さればこの国にまた冬の来るらむ

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060925 日々歌う

2006-09-25 23:44:58 | 日々歌ふ
筋・鰯・羊の青き天空に浮かぶを仰ぐ朝のうれしき

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060924 日々歌う

2006-09-24 14:41:40 | 日々歌ふ
誰よりもナチスの過去を責め来るグラスのあまりに長き沈黙

8月末に、ギュンター・グラスが17歳のときにナチスの親衛隊に所属していたことを告白したというニュースを聞いて、ぼくは下のように歌いました。

060826 日々歌う
自らが<SS>たるを告白すドイツの作家ナチを責め来て
若き日に<SS>たりしことよりも沈黙問はる六十年の
耳聾すブリキ乱打のガンガンとグラスの告ぐる事実の重さに
(事実=こと)

その後、欧米やインドなどでもこの告白をめぐって激しい議論が続けられています。
googleの海外ニュース検索でそれらの議論を追ってみると、やっぱり最大の焦点はグラスの60年にも及ぶ沈黙と今になっての告白の意味、あるいはその動機でしょう。

ここで全面的な展開をするだけの力はぼくにはありませんが、気になった事実をいくつか紹介しておきます。

①1985年にレーガン大統領がコール首相と共に、ビットブルク(Bitburg)のSSも埋葬されている戦没者墓地を詣でたことを誰よりも強く、グラスは糾弾しました。
そのとき、レーガンが見たSSの墓の多くは、まさにグラスと同じように17歳でSSに召集された少年兵たちの墓だったというのです。
グラスも当然それを知っていたのに、当時は自分の経歴にまったく触れないまま、レーガンとコールがSS詣でをしたといって糾弾していたことになります。
それが、今度の告白以後は、自分は家庭の厳しさを逃れてSSに入っただけで、ナチスのイデオロギーを支持していたわけでもなく、一発も銃など撃ったこともないただの17歳の少年に過ぎなかったと弁解しているのです。
しかも、それを恥じて戦後その事実を忘れようとしてきたが、ずっと心の重荷になっていた。60年後の今、ようやく時が来て告白することができたというのです。

②東ドイツが崩壊した後、東独の秘密警察シュタージが全市民の思想・行動・交友関係などを、家族・友人の中にも網の目のように張り巡らせた情報網によって調べ上げ、市民一人一人の膨大なファイルを作っていたことが明らかになり、東独市民に大きな衝撃が走りました。
本人が望めば閲覧ができます。
そのファイルには東独市民だけではなく、東独市民と交流のあった西独市民のものも含まれていました。
グラスのもありました。
数年前にある社会科学者がグラスにそれを見るように勧めたところ、グラスは直ちに拒否したといいます。
おそらくそのファイルには、グラスのSS歴も記録されているのではないかともいわれています。
グラスはすでにシュタージから、その記録を元に脅されていた可能性があるという疑いもあるのです。

http://www.pressconnects.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20060922/COLUMNISTS03/609220301/1005/
http://www.popmatters.com/pm/blogs/popwire_post/5196/nazi-past-will-likely-tarnish-gunter-grass-3298/

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<013:クリーム>から

2006-09-24 10:12:28 | 題詠blog2006から
命名は金子光晴そのむかし母愛用のクリームはモンココ (原田町)

<クリーム>の題で甦ったのは、懐かしい<モンココ>という<そのむかし母愛用のクリーム>。
しかも、それを命名したのは<金子光晴>だというのです。

正確には、そのクリームは<モンココ洗顔クリーム>だったのではないでしょうか。
1940年、アジア・太平洋戦争の開戦前夜に、<モンココ本舗>という化粧品会社が売り出したクリームです。
金子光晴が命名したのは、1932年に彼の実家である大鹿家の兄弟たちがつくったその化粧品会社の社名です。
アジア・ヨーロッパを妻の森三千代と共に食うや食わずで放浪し、最底辺で苦しみ生きる人々と苦楽を共にして帰国したばかりのときでした。
金子はこの会社の宣伝部の社員になって、ようやく親子3人そろった暮らしを始めたのです。
<モンココ>は、一般的には<mon coco>(直訳すれば<わたしのオンドリちゃん>)で、年下の男の恋人や子どもを呼ぶ呼び方ですが、金子は永井荷風の『ふらんす物語』の中の娼婦の名から取ったということです。
『ふらんす物語』には直接当たっていないので、その<モンココ>という娼婦の名の謂れや金子がなぜそれを選んだのかはわかりませんが。

モンココ洗顔クリーム>の貴重な映像を見つけたので、原田さん、どうぞ懐かしくご覧ください。

      

                          *

サヨナラと声だけ残しゆく人の緑哀しきクリームソーダ(佐田やよい

若いころ、クリームソーダが好きでした。
喫茶店で、あの緑色のソーダ水をストローで飲み、アイスクリームをスプーンで食べる。
ただそれだけで幸せでした。
恋人と2本のストローで分け飲めば、もっと幸せでした。
でも、幸せはながく続きません。
やがて、別れの時がやってきます。
相手は注文したクリームソーダを飲み残したまま、立ち去ります。
<サヨナラ>という<声だけ残し>て。
残されたワタシは、緑色のソーダ水を見るともなしに見つめるしかありません。
その緑の色はもはや幸せの色ではなく、哀しみの色に変わっています。

ぼくにもそんな情景が、半世紀も前にあったような気がしてきました。
しかも、立ち去ったのはぼくの方だったのかもしれないのです。

切ない歌ですね。

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060923 日々歌う

2006-09-23 11:46:00 | 日々歌ふ
けふ想ふ戦に抗し<法燈>を<一億二心>でひとり継ぐ詩人を

「戦争に反抗して殺されるのを怖れる人たちも、結局は駆り出されて死ぬ。反抗する者がたくさんあれば、或いは戦争を食い止めることができるという希望があり、まだしもよいのに、どうしてそこのふんぎりがつかないのかと歯がゆかった。
じぶん一人でもいい踏み止まろう。踏み止まることがなんの効果がないことでも、それでいい。法燈をつぐという仏家の言葉がある。末世の混濁のなかで、一人無上の法をまもって次代に引きつぐことをいうのだ。僕も、人間の良心をつぐ人間になろうと考えた。一億一心という言葉が流行っていた。それならば、僕は、一億二心ということにしてもらおう。つまり、一億のうち九千九百九十九万九千九百九十九人と僕一人とが、相容れない、違った心を持っているのだから。
そんな考えのうえで生きていく一日一日は、苦しくもあったが、また、別な生甲斐があった。」

詩人金子光晴が1957年、今のぼくと同じ62歳のときに出版した自伝『詩人』の中で書いていることばです。

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<012:噛>から

2006-09-22 23:30:22 | 題詠blog2006から
残生や岩を甘噛む潮騒のおほわたつみをふかぶかときく(みの虫

<残生> は<のこりよ>と読むのでしょうか。
人生の黄昏を迎えた身に、浜辺で聴く穏やかな潮騒は<岩を甘噛む>かのようだというのです。
<おほわたつみ>は<大海神>ではなく、単に<大海>ということでしょう。
太平洋(?)の<岩を甘噛む>潮騒の、途切れることもなく、あたかも永遠に続くかのような響きを、作者は自らのはかなく限りのある<残生>を思いながら<ふかぶかと>聴いているのです。
一昨年、故郷の福島の海で潮騒を聴いた情景がありありと甦りました。

                         *

磨り減つてゐるのでせうね 噛みあはぬ歯車だからゆつくり止めた(村本希理子

<磨り減つてゐる><噛みあはぬ歯車>。
夫婦の関係でしょうか。
長年の友人関係でしょうか。
いずれにせよ、このままの回転を続ければ、いつか決定的な破綻は避けられません。
だからといって、急激に回転を止めれば衝撃が大きすぎて、すべてが一瞬に壊れてしまうかも知れないのです。
<だからゆつくり止めた>のですね。
この歌のリアリティをぼくはそう感じて、打たれました。

初心者のぼくには、こうした<希理子ワールド>の<現代短歌>の解釈はあいかわらず難しいのです。
もしまったくの見当違いでしたら、お笑いください。

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