誰よりもナチスの過去を責め来るグラスのあまりに長き沈黙
8月末に、ギュンター・グラスが17歳のときにナチスの親衛隊に所属していたことを告白したというニュースを聞いて、ぼくは下のように歌いました。
060826 日々歌う
自らが<SS>たるを告白すドイツの作家ナチを責め来て
若き日に<SS>たりしことよりも沈黙問はる六十年の
耳聾すブリキ乱打のガンガンとグラスの告ぐる事実の重さに
(事実=こと)
その後、欧米やインドなどでもこの告白をめぐって激しい議論が続けられています。
googleの海外ニュース検索でそれらの議論を追ってみると、やっぱり最大の焦点はグラスの60年にも及ぶ沈黙と今になっての告白の意味、あるいはその動機でしょう。
ここで全面的な展開をするだけの力はぼくにはありませんが、気になった事実をいくつか紹介しておきます。
①1985年にレーガン大統領がコール首相と共に、ビットブルク(Bitburg)のSSも埋葬されている戦没者墓地を詣でたことを誰よりも強く、グラスは糾弾しました。
そのとき、レーガンが見たSSの墓の多くは、まさにグラスと同じように17歳でSSに召集された少年兵たちの墓だったというのです。
グラスも当然それを知っていたのに、当時は自分の経歴にまったく触れないまま、レーガンとコールがSS詣でをしたといって糾弾していたことになります。
それが、今度の告白以後は、自分は家庭の厳しさを逃れてSSに入っただけで、ナチスのイデオロギーを支持していたわけでもなく、一発も銃など撃ったこともないただの17歳の少年に過ぎなかったと弁解しているのです。
しかも、それを恥じて戦後その事実を忘れようとしてきたが、ずっと心の重荷になっていた。60年後の今、ようやく時が来て告白することができたというのです。
②東ドイツが崩壊した後、東独の秘密警察シュタージが全市民の思想・行動・交友関係などを、家族・友人の中にも網の目のように張り巡らせた情報網によって調べ上げ、市民一人一人の膨大なファイルを作っていたことが明らかになり、東独市民に大きな衝撃が走りました。
本人が望めば閲覧ができます。
そのファイルには東独市民だけではなく、東独市民と交流のあった西独市民のものも含まれていました。
グラスのもありました。
数年前にある社会科学者がグラスにそれを見るように勧めたところ、グラスは直ちに拒否したといいます。
おそらくそのファイルには、グラスのSS歴も記録されているのではないかともいわれています。
グラスはすでにシュタージから、その記録を元に脅されていた可能性があるという疑いもあるのです。
http://www.pressconnects.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20060922/COLUMNISTS03/609220301/1005/
http://www.popmatters.com/pm/blogs/popwire_post/5196/nazi-past-will-likely-tarnish-gunter-grass-3298/