―<父母と兄の眠る春遅きいわきを訪ね、友と集ひて>
いわきにてふるさと恋ひぬほど近き花の咲き満つ夜の森といふ
いわきにてふるさと恋ひぬほど近き花の咲き満つ夜の森といふ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/03/af55580aa9f9b59f7fa3efdc4aae2a5d.jpg)
19日の夜7時半過ぎにいわきへの旅から帰宅すると、その直前にNHKのニュースで福島県富岡町夜の森の桜並木のニュースが流されたということでした。その前夜にも同様のニュースが他局で流されたようです。
残念ながら両方とも見逃したのですが、ネットで探したところNHKのニュースはまだWeb上で見ることができました。
原発事故の起きるほぼ1年前に、僕はこんな歌を詠んでいました。
―<曽祖父半谷清寿(はんがい・せいじゆ)が植え初めし染井吉野の名所となるみちのくの故郷を思ひて>
夜の森の花の下にて春死なむそのふるさとの望月のころ
その第1原発から6~7キロの吾がふるさと夜の森を、原発事故が襲ったのです。
以下は、3/11以降の拙歌の一部です。
大地揺れ海の襲ひて原発の危機に瀕せる吾がふるさとよ 3/11
ふるさとの桜花こそ悲しけれ今年は咲かむ観るひともなく 3/16
桜花な咲きそ咲きそ住む民の核に追はれし吾がふるさとに 3/31
核をもて追はるる酷きかなしみをふるさと人の永久に強ひらる 4/13
フクシマの核にまみれしふるさとに今を盛りと花の咲くらむ 4/14
文字とほり小鮒釣りしふるさとのひと絶え果てぬ核に追はれて 4/16
花見なば思ひ起こせよフクシマの見る人もなく咲き散る花を 4/22
馬駆くる蹄の音のこだませし桜並木も核に閉ざさる 4/26
名にし負ふ浜通りとはなりにけり吾がふるさとの核にまみれて 4/28
―<吾一九四四年フクシマの富岡町夜ノ森に生れて一九五〇年に離る> 5/25
セシウムに深く冒され曽祖父の開きし土地は闇に閉ざさる
夜の森(ヨノモリ)とつぶやきみればとめどなく思ひの溢れ怒りのあふる
フクシマよ奥羽陸奥(みちのく)東北よ生ぎよ負げんな吾がふるさとよ 7/8
巨大なる凶刃と化しふるさとをなぎ払ひたり核の電炉は 7/15
そして今年も、夜の森の桜並木は観る人もなく満開となりました。
曽祖父の半谷清寿が植え初めし桜咲きけり核の荒野に
*
夜の森の桜並木などの詳しい由来については、『日々の新聞』212~214号に姉の気賀沢芙美子が「桜とツツジの夜の森」と題して連載しました。
今年の3/11に発行された『このいちねん』(日々のブックレット、日々の新聞社)の最後にも収録されています。
浪江町から小名浜に避難生活を送っている畿世橋の孫娘Sこさんが「福島民報」の記事を送ってくれました。桜並木の満開のトンネルの大きな写真が載っています。
メールで送ります。
滝桜を観て、S吾兄にも会ってきました。
これから写真をアップします。
短歌を詠んで胸がつまりました。
セシウムに深く冒され曽祖父の開きし土地は闇に閉ざさる
は、特に自分の住んでいる場所も含んで似たような気持ちになりました。
前をみないといけないと思いますが、なかなか難しいものです。励ましあいながら一緒に前に進むようですね。これからもどうぞよろしくお願いいします。
今住む場所はお互いに遠く離れていますが、同じ福島人として力を合わせましょう。