雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

2日続けて10キロ以上のはずだったが…(日々走る)

2011-01-26 23:27:51 | 日々走る

23日(日)・24日(月)に、親しい友人Kさん・Mさんのカップルと雪深い越後長野の秘湯を訪ね、温泉と雪景色を愉しんだ。
昨日25日(火)は不忍池コースを10キロ、ゆっくりジミに走った。
今日もあわよくば10キロ以上を走ろうと思い不忍池コースに向ったが、不忍池を2周半回ったところで臀筋に違和感が生じ、上野公園から芸大前に着く8キロ地点では痛みが高じてギブアップ。
やむをえず、後は歩いて帰った。
めったにないトラブルだったが、こういうこともある。
ムリはしなかったので、回復の早いことを信じたい。


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珍しく2日続けて、ただしヨタヨタと5.2キロ(日々走る)

2011-01-22 21:12:39 | 日々走る
明日23日の午後から1泊で新潟は越後長野温泉の秘湯に出かけるので、今日走らないとまた3日は空いてしまう。
昨日12.4キロを走った疲れがまだ足腰に残っていたが、それをおして夕方走った。
不忍池コースに行く自信はさすがになかったので、近所の1.3キロコースを走った。
案の定、調子は出ない。
何とか4周5.2キロを走って、お茶を濁した。
それでも走れば身体は軽くなる。
また3日を空けるよりは、やはり走ってよかった。


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3日置いて不忍池コースを、ゆっくりと12.4キロ(日々走る)

2011-01-21 23:44:03 | 日々走る

東京は連日好天が続いている。
寒さは幾分ゆるんだ。
19日(水)は10時半に、鶯谷のスウェーデン仕込みの予防歯科医療を先駆的に行なっている「あおい歯科」へ、4か月置きの定期健診を受けに初めて自転車で行った。
健診後に、言問通りを通って隅田川に出、559mに達したというスカイツリーを間近に観て写真に収めるためだ。
自転車で行くと、浅草、隅田川は意外に近い。
正解だった。
浅草寺に寄り、言問橋を往復し、吾妻橋から駒形橋まで行って渡り、そこから吾妻橋まで戻って、通称「ウンコ・ビル」のオブジェの芸術性を初めて認識し、写真に撮った。
その近くの「笹陣」という蕎麦店の「へぎそば」の看板に吸い寄せられて、1.5人前をおいしく平らげてから、スカイツリーに向った。
あちこちでポイントを探しながら、直下まで行き、人ごみに紛れつつその偉容を写真に撮り、帰途は不忍池を通って5時ごろに帰宅した。
20日(木)は、午後から見沼行き。
氷川女体神社に隣接した見沼氷川公園から芝川沿いを往復して2時間半ほど歩いたが、予想に反してあまり野鳥には出会えなかった。
しかし、道の端の日当たりのいいところにはよく見るとホトケノザやオオイヌノフグリの花がかなり咲いていて、春の近いことを感じさせてくれた。
という訳で、今日は3日置いての走りだったが、調子は悪くなかった。
ゆっくり、ゆっくり、ていねいに走った。
その結果、疲れをほとんど感じないまま、12.4キロを走ることができた。
この調子なら、15キロを走ることのできる日もそう遠くないかもしれない。
うれしい予感だ。


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一日置いて不忍池コースをバテ気味に11.2キロ(日々走る)

2011-01-17 23:28:56 | 日々走る

厳しい寒さが続き、列島各地から豪雪の報が届くが、今日の東京は快晴でそれこそ抜けるような青空の一日だった。
それに誘われ、昼前に自転車で小石川植物園に向ったが、何のことはない、着いてみれば月曜日で休園。
がっくり来たが、思いなおして小石川後楽園に向う。
そこで思いがけなく、寒牡丹や冬桜、ムクロジの実などを、好天の下で見、写真を撮ることができた。
夕方、できればまた12.4キロを走ろうと不忍池コースに向った。
しかし、走り始めは軽かった身体が不忍池に着く頃には少々重くなり、珍しく脇腹に鈍い痛みが出た。
次第にバテ気味となり、結局、2周半で切り上げて帰路に着いた。
ジョギングは、僕の場合、往々にして走ってみなければその日の調子が分からないことがあるのだが、まさに今日はそうだった。
それでも11.2キロを走れたということは、調子がよければもっと走れたということでもある。
一喜一憂せず、今後も淡々と走りこもう。
67歳になる2月には、できれば15キロを何回か走れるようになりたいものだ。


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不忍池コースをまたジミに、ただし12.4キロ(日々走る)

2011-01-15 23:59:52 | 日々走る

13日(木)は、午後から今年最初の見沼行き。
厳しい寒さだったが好天に恵まれ、Y先生・Hさんと3人で見沼自然公園で野鳥観察をゆっくり楽しんだ。
最大の収穫は、思いがけなく至近距離で、カワセミの自分としては初めて満足のいく写真を撮れたことだった。
14日(金)。なぜか、珍しく前夜からひどく肩こりがして、一日中調子が悪かった。
その内、吾妹も同じことを言い出して、何か悪いものでも食べたか、それとも揃って風邪かと心配したが、互いに熱もない。
さすがに走る元気は出なかったが、それでも僕は夜の更けるに合わせて調子を取り戻した。
吾妹は早めに寝た。
一晩寝て、互いにまあまあの状態に戻った。
夕方、吾妹は翻訳を教える仕事に出かけ、僕は走った。
寒い。
一抹の不安はあったが、走り始めてみると身体は意外に軽い。
そこで不忍池コースに向った。
今日と明日はセンターテストで、東大本郷キャンパスは閉鎖されているはず。
去年はうっかりして正門まで行ってしまった。
海城で最後に教えた高1の生徒たちもみんな受験しているのだろうなと思いつつも、去年の教訓に学んで農学部の横から言問通りに左折し、本郷キャンパスの下を通って不忍池に向った。
ゆっくりを心がけて走ったのだが、思いがけなく調子がいい。
ひょっとしてこれなら10キロ以上走れるかもしれないと思い、不忍池で様子を見ながら結局いつもより2周多い3.5周を走って、家路に着いた。
12月6日以来、40日ぶりの12.4キロ。
昨日、身体の調子が悪かっただけに、意外な結果でうれしかった。
この調子なら、1月の後半は10キロ以上をコンスタントに走ることができそうだ。
老いとのたたかいは、そう一筋縄では行かない。
最後の敗北は自明にしても、そこに至る過程は常に敗北を重ねるわけではないだろう。
大きな勝利はもう望めないし、望みもしないが、まだまだ小さな勝利の可能性は残されているはずだ。
それを信じて、ボチボチとがんばりたい。


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不忍池コースを「ジミに」10キロ(日々走る)

2011-01-12 22:41:50 | 日々走る

8日(土)に実に情けない走り初め5.2キロをしてから、9日(日)・10日(月)と家族で伊東の温泉に行き、昨日11日(火)は翻訳仕事の締め切りに追われる吾妹に代わって夕食を一人で作ったので、走れなかった。
馴染みの魚屋で仕入れた1尾280円也の丸々としたイナダを捌いて、ブリ(イナダ?)大根を作ったがこれがなかなかおいしかった。
菜の花のおひたし(酢味噌乗せ)、カキ酢も作ったが、結局、最後に吾妹がもう1品サラダを加えた。

今日も寒い。
8日の記憶とこの厳しい寒さに、少々めげそうな気分ではあった。
しかし、入念なストレッチをして走り始めてみると意外に身体が軽い。
不忍池コースはとてもムリだろうと思っていたが、これならばと予定を変更して不忍池コースに向った。
結果的には、スピードはゆっくりだったがさほどの疲れもなく、新靴も足に馴染んで、中3の姪っ子が使う表現を借りれば、不忍池コースを「ジミに」10キロ走ることができた。
めでたい。
いや、これも「ジミに」めでたい、と言うべきか。


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実に情けない走り初め5.2キロ(日々走る)

2011-01-09 11:27:46 | 日々走る

暮から正月は、家族や友人たちと連日のように集まって、盛大に飲み、食べ、語り、笑って過ごした。
おまけに、甥っ子からA型インフルエンザの<落とし玉>までもらってしまったので、とても走る余裕などはなかった。
幸い、医者の義妹からもらったタミフルが効き、インフルエンザは微熱と肩こり、倦怠感程度で済んだので、やっと昨夕走ることができた。

本当なら、1981年1月5日前後に初めてジョギングを始めてからちょうど30年目の、記念すべき走り初めのはずであった。
暮にジョギングシューズなども買い替え、心ひそかに15キロかあわよくば20キロを走って、吾がジョギング歴30年を飾るつもりであったのだ。
が、その夢はあっさりついえた。
何といっても、毎夜飲んだくれたことと、やはりインフルエンザの影響であろう、走り始めてみれば体は重く、とても不忍池に向うどころではない。
新靴も馴染まないし、近所の1周1.3キロコースをヨタヨタと1周走っては入念にストレッチをして、ようやく4周5.2キロを走っただけで終わりにした。
実に情けない走り初め5.2キロではあった。

ま、これもまた人生。
ここから再出発するしかない。
何回か走るうちに、また10キロを走る調子が戻るだろう。
1月は15キロを目指そうと思っていたが、しばらくおあずけである。


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自己新の月間120キロを越えて走り納め(日々走る)

2010-12-30 23:08:50 | 日々走る

27日(月)は、夕方から吾妹と恵比寿のガーデンシネマにウディ・アレンの新作を観に行った。
開設以来、年に1、2度は通っていたガーデンシネマが閉館になるというニュースにショックを受けた。
大のウディ・アレン映画ファンの吾妹に対して、僕はそのワンパターン気味にいささか食傷し、特に監督ウディ・アレン自身があの情けない泣き顔でしゃしゃり出てくるのを敬遠して来た。
が、今回の「人生万歳」にはウディ・アレンは出てこない。
それもあって、なおのことこれは行かずばなるまいということになったのだ。

―<閉館の決まった恵比寿ガーデンシネマで、ウディ・アレンの「人生万歳!」を観て>
本人の現れざるもよかりけり「人生万歳!」ウディ・アレンの
アメリカの無知と俗とを自虐してをかしかなしきウディ・アレンの
思ひ出のガーデンシネマの消えゆくは悲しからずや三越残り
                                       (101228日々歌ふ)

28日(火)。夕方、不忍池コース10キロを快調に走った。
29日(水)。午後は、吾妹に迫られて苦手な大掃除。夜は娘が夕食を食べに来て、楽しかった。
そして今日。
この冬一番と思われる厳しい寒気の中を夕方、今年の走り納めに不忍池コース10キロを走った。
月間122.4キロの自己新記録達成である。
12回すべて10キロ以上を走ったのも、これが初めてだ。
とはいえ、今日は思いがけない不調で、最後はヨタヨタに近い走りになってしまった。
ジョギング生活30年にふさわしい「有終の美」を完璧に飾ったとは言いがたかったが、ま、この間、自分ながらよく頑張った。
そう思って、来年のいっそうの飛躍に期待しよう。


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月間100キロを越えて、不忍池コースを10キロ(日々走る)

2010-12-27 15:12:53 | 日々走る

25日(土)は、義母の81歳の誕生日を祝って吾妹の家族がわが家に夕方からほぼ勢ぞろいした。
9歳から81歳までの総勢11人。
盛大にご馳走を食べ、9歳の甥っ子Aくんと14歳の姪っ子Aちゃんを除いて大いに飲んだ。

26日(日)。
夕方、不忍池コースを10キロ走った。
前夜の暴飲?・暴食?で、やはり多少体が重い。
それでも、なるべくゆっくり走っているうちにすっかり調子は戻った。
これで12月は10回目。
1回だけ12.4キロを走ったが、後はすべて10キロだった。
つまり、昨日で今月は102.4キロを走ったことになる。
月間100キロを越えたのは、5月に116.3キロを走って以来の7か月ぶりだ。
あと2回走れば、今年の月間最高走行距離になる。
何はともあれ、この年になって自己記録を更新できるのはうれしいことだ。


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4日もおいて、不忍池コースを10キロ(日々走る)

2010-12-25 00:08:02 | 日々走る

心ならずも、4日も走れなかった。
19日(日)に走った後、20日(月)は元同僚のSさんが心臓手術をして入院中だというので、旅の友Nさんと一緒に午後遅くからお見舞いに行った。
幸い手術もうまくゆき、Sさんはすっかり元気になっていて安心した。
その帰りに、大久保の大連料理店でNさんと二人だけの忘年会をした。
ビールのほかに、甕出しの紹興酒をかなり飲んだ。
お蔭で、翌21日(火)は宿酔というほどではないにしても、何となく走る元気が出なかった。
22日(水)は、吾妹の親しい友人たちとの年末恒例の忘年会で、わが家に夕方から元編集者のOさん・Tさんカップルと在日40年近い日→米翻訳家のアメリカ人女性Lさん、それに吾妹の次男Kくんがやってきた。
例年ならばその倍は集まるのだが、今年は諸般の事情で少々小じんまりとした忘年会となった。
それでも、深夜まで楽しく飲みかつ食べ、語り合った。
昨日の23日(木)は、もっと忙しかった。
午後2時過ぎから、浜松町の超高層マンションに住む吾妹の高校時代からの友人Kさん宅の忘年会に二人で招かれたのだが、お先に失礼させていただいて、4時半に貿易センタービルの喫茶店で、帰国中の僕の大学時代からの友人で40年間アメリカで心理学の大学教員をしてきたAくんと会った。
専門の発達心理学の立場からジェンダーの問題に関心の深いAくんが、日本語で初めて出すという本の構想を聞きながら、いろいろと議論をして面白かった。
特に、吾妹が訳したピンカー兄妹の著作にはAくんも前から注目していたという偶然もあって、話題は尽きなかった。
その後、僕たちは調布に住むジャーナリストMさんと写真家Fさんカップルのお宅に向い、一人娘S子ちゃんのためのクリスマス夕食会に友人のSさんと共に参加した。
MさんもFさんも料理の達人である。
いつもながらの一味違ったご馳走をいただきながら、飲みかつ楽しく語り合って、深夜に至った。
という訳で、やっと今日、4日もおいて走ることができた。
寒波がやってきたので風もかなり冷たかったが、4日のブランクはさほどでもない感じで無事10キロを走ることができたのは、めでたい。
さて、年内にはあと何回走れるだろうか。
それでも、久々に月間100キロを越えることはもう間違いがない。
いろいろあるが、無理をしない範囲でがんばろう。


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