農業協同組合の教育・組織の専門家である義兄は、2年前ネパールに赴任して以来、すぐさま精力的にカトマンドゥ盆地のあらゆる協同組合を探し求め、訪ね歩いて来たと言います。
本来ならば、カトマンドゥ盆地以外の農村地域にこそ活動の場を求めたかったのでしょうが、折からの国王独裁体制樹立の時期で、農村地区はマオイストの勢力が伸張し、外国人が入ることは不可能になっていたのでした。
カトマンドゥ盆地にも農村はありますが、カトマンドゥ・パタン・バクタプルの都市部が圧倒的です。
そのため、協同組合も貯蓄・信用協同組合や医療協同組合などが多いようです。
ちょうど8月12日に、義兄がプロモート役となって、カトマンドゥ盆地中の協同組合の若手(次世代)リーダーを結集し、互いの経験交流と協同組合のヴィジョンを議論するためのセミナーが予定されていました。
義兄を中心に20人ほどのリーダーたちは、この1か月ほどをセミナーの準備に全力を注いできたのです。
インターネットもファックスも整備されていない中、電話と車での往復以外に連絡さえままならない中での準備。
印刷物もネパール語と英語版が必要ですが、その校正・印刷ひとつが日本でのようにはとてもいかないのです。
やっと印刷物が出来上がり、プログラムと案内状を持って義兄が各組合を訪ねるのに同行しました。
最初に訪問したのは、パタンの旧市街でいちばんにぎやかな通りの一角の民家の一部屋にある、医療協同組合でした。
眼科と婦人科・外科の診療・治療に取り組むこの組合のリーダーが、どうやら義兄の最大のパートナーなのでした。
いかにもエネルギッシュでユーモアたっぷりの男性でした。
次に、パタンとカトマンドゥを隔てるバグマティ川(ガンジスの支流)を渡り、カトマンドゥ側の河川敷にあるスラムを訪ねました。
スラムが近づくと、川にむかって傾斜する道路は粗末な舗装さえもない、土のままのでこぼこ道です。
何軒かの商店があり、その一軒の飲食店に入って義兄が店番の少女となにやら話しています。
粗末なテーブルに座って待っていると、Tシャツ、Gパン姿の青年が戻ってきました。
ヒラさん、22歳。
河川敷にある105全世帯のスラム住民約400人を組織する貯蓄・信用協同組合の青年部のリーダーです。
組合は、3年前にヒラさんの両親が中心になって組織されたもの。
英語での受け答えは実に明晰で、落ち着いています。
JICA関係者も、義兄の赴任まではこのスラムに立ち入ったこともなければ、ましてそこにすばらしい協同組合活動が組織されていることも、まるで知らなかったといいます。
義兄はある協同組合関係の集まりでヒラさんの母親に出会ったことから、ネパール人ですら立ち入るのを恐れているこのスラムを訪ね、ヒラさんに出会ったのです。
ヒラさんは今や、義兄の有能なパートナーです。
一緒に、スラムの子どもたちのための映画会を定期化するところまでこぎつけました。
ちなみにこれまで上映された映画は、宮崎作品の「魔女の宅急便」「ラピュタ」などで、子どもたちにも大人たちにも大好評だったといいます。
ネパールで宮崎作品を観た数少ない観客が、このスラムの子どもたちなのです。
ヒラさんが、店を出て河川敷のスラムを案内してくれました。
広い河川敷の真ん中に、間口1間半ほどの粗末な小屋が長屋風に続いています。
その105世帯全戸が組合に組織されていると、ヒラさんは誇らしげでした。
子どもたちが元気に遊び、女性たちが家の中で働いています。
鶏が家の内外を走り回っています。
右手の草原には鶏のほかにアヒル、山羊、犬などが思い思いに餌を求めて歩き回っていました。
ヒラさんは次々に出会う人と挨拶を交わしています。
一軒の家に案内されました。
ダンス教室が開かれているというのです。
驚いたことに、中に入ると奥にさらにグリーンの壁の部屋があり、練習中の少女たちが恥ずかしそうに出迎えてくれました。
これも組合活動の一環だといいます。
ヒラさんたちは近々、子どもたちの補習塾を開くとも言っていました。
カトマンドゥでは、このような河川敷のスラムがこの数年で急増しているといわれます。
農村の貧困とマオ派との摩擦を逃れてたくさんの農民が、流れ込んでいるのです。
ヒラさんやご両親たちは、自分たちの経験に基づいて他のこうしたスラムにも協同組合を広げようとしており、すでにいくつかのスラムで組合が組織されたといます。
義兄はそれを積極的にサポートしているのです。
ヒラさんたちは今、河川敷をいわば<不法占拠>しているスラムが合法的な自治体として認められるよう、運動しているとも聞きました。
そういえば、このスラムは文字どおり草の根の住民自治組織そのものではありませんか。
その成功を祈ります。
ヒラさんは現代日本ではほぼ出会うことのできないタイプの、すばらしい若者でした。
貧困の中で人々の生活の安定と幸せを求め、屈することなく粘り強く行動できる、知性豊かな、目に強い光と輝きを持った青年でした。
このような若者と出会えた奇跡を喜びます。
それを可能にしてくれた義兄の2年間の活動に、改めて感動します。
ネパールの未来がヒラさんのような若者に担われて豊かに切り開かれることを、心から願って止みません。
川べりに鶏とアヒルと山羊、犬と共に暮らせるスラムを訪ひぬ
最貧の暮らしに抗し組合をスラムの民のつくりてあれば
ネパールの民も怖るるスラムにはひとの暮らしが豊かにありぬ
わが義兄に紹介されし若者の瞳輝きスラムにありて
(義兄=あに)