雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

房総・九十九里・銚子を旅してきます

2009-03-30 23:46:45 | Weblog

明日3月31日付で、定年退職です。
やっと今日、なんとか職場に残した書籍や資料の始末をつけることができました。
自称「怪傑ギリギリス」は、最後まで健在だったことになります。
明日から2日まで、2年先に自由の身になった先輩同僚のNさんと房総・九十九里・銚子に春を求めて旅してきます。
のんびり写真を撮り、夜は飲んだくれて、ということになるでしょう。
その間、ブログはお休みです。
ユメユメ、定年コロリなどと誤解されませんように。
では、行ってきます!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満開の枝垂桜を一番に

2009-03-29 22:56:09 | 日々写す

                   満開の枝垂桜を一番に見むと行けどもすでに人ある


        

                                                  六義園にて


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

090329 日々歌ふ

2009-03-29 22:35:41 | 日々歌ふ

クリックをすばやく二回繰り返し電脳宇宙にひとは飛び立つ

<分かれ目>と涙でひとの歌ひ来しはたと気づかむ係り結びと

                 *

満開の枝垂桜を一番に見むと行けどもすでに人ある


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

043:係(髭彦)

2009-03-29 14:41:04 | 題詠blog2009

<分かれ目>と涙でひとの歌ひ来しはたと気づかむ係り結びと


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

042:クリック(髭彦)

2009-03-29 14:14:25 | 題詠blog2009

クリックをすばやく二回繰り返し電脳宇宙にひとは飛び立つ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

090327 日々歌ふ

2009-03-29 00:00:20 | 日々歌ふ

カンパチにマグロ、ヒラメにホタテ貝手巻きに食める幸せありぬ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

041:越(髭彦)

2009-03-27 23:38:59 | 題詠blog2009

越前と越後の響き越中とかなりの差あるゆゑぞおかしき


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

090327 日々歌ふ

2009-03-27 23:28:42 | 日々歌ふ

鉢植ゑのすみれの花とわが職の共に終りて春の深まる

越前と越後の響き越中とかなりの差あるゆゑぞおかしき


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

040:すみれ(髭彦)

2009-03-27 19:55:20 | 題詠blog2009

鉢植ゑのすみれの花とわが職の共に終りて春の深まる


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

髭彦閑話17 「最終講義」余話

2009-03-27 00:17:07 | 髭彦閑話

髭彦閑話16 で書いた3月19日の「最終講義」に際して、学年の同僚たちが僕のためにうれしい「サプライズ」を用意してくれていた。
そのことを書きたい。
中学3年間をいっしょに学年を組んだ同僚のYさんは高1で学年を外れたのだが、実はそのYさんは勤務校の卒業生で、高1のときに僕が担任をした生徒であった。もう20年も前のことだ。
そういうこともあって、「最終講義」の後、生徒たちに続いて学年の同僚たちからの記念品を贈呈してくれる役を、Yさんは特別に務めてくれた。
Yさんは「記念品の贈呈の前にサプライズがあります」と言って、なにやらB4の紙を取り出し、読み上げ始めた。
思いがけないことに、それはYさんと高1のときの同級生で、僕が高2・高3も担任をしたある卒業生からの、僕と在校生へのメッセージであった。
その卒業生の名は、藤沢俊一郎という。
彼は父親の転勤で、卒業直後、浪人中に神戸の芦屋に引っ越して行った。1994年のことだった。
彼の祖父は勤務校の英語の先生で、僕もずいぶん世話になった。母親は楚々とした美しい方で、彼が勉強に身が入らないのを悲しみ、面談のとき涙を流されたのを覚えている。それに対して僕は、勉強に身が入らないといっても、気持ちは優しいし、ユーモアのセンスもあり、特にアブナイことにのめりこんでいるわけでもないので、大人になるための自覚が生まれるまでもう少し長い目で見て欲しいというような、親御さんにとっては恐らくあんまり説得力のないようなことを言った。
翌1995年1月17日、阪神大震災が芦屋をも襲った。受験のための内申書を求める彼からの手紙で、被災はしたものの彼も彼の家族も無事だったことを知って、ほっとした。
以来、時折、その後どうしているだろうと思いながらも、音信が途絶えたままになっていたのである。
1年ほど前、Yさんが突然、「藤沢がラジオのパーソナリティで活躍しているらしい」と教えてくれた。ネットで調べてみると、たしかにそうらしい。近畿・中国地方では「フジシュン」のニックネームで愛される、売り出し中のパーソナリティ=DJなのであった。意外な気もしたが、うれしかった。
Yさんが読み上げ始めたのは、まさにその藤沢君のメッセージなのであった。
長文のメッセージだが、藤沢君の許可を得て以下に掲載する。僕にとっては、文字通りの「サプライズ」で、身に余るメッセージであった。

                *

目良先生、在校生の皆様こんにちは。

目良先生の不肖の生徒、そしてY先生の海城高校同級生、藤沢俊一郎と申します。現在近畿、中国地方でラジオのDJやらTVのナレーターやらをしている者であります。

田原俊彦というかつてのビッグスターが『たのきんトリオ』というジャニーズのトップランナーユニットに在籍していた時代がございます。分からない皆さんはお父さんお母さんに聞くなりなんなりと各自調査です。

さて田原ですが、3年B組金八先生の生徒役だったトシちゃん(田原)はやがて後の金八先生のスペシャルドラマに卒業生として、金八の元教え子として登場した際、「金八っつぁんの不肖の生徒です」とはにかみながら、でも得意気に名乗るのです。そのシーンがむやみやたらと印象に残っている私にとって、こうして恩師に向って堂々と「不肖の生徒」と名乗れる日がくるとは感無量であります。

ここで胸を張りたいのは、「不肖」という部分ではなく「目良先生の生徒」という所です。とはいえやっぱり私は「不肖の生徒」でした。ダメな生徒でありました。そんな私は目良誠二郎という教師でなければ高校生活3年間を全うする事すら叶わなかったのではないかと思います。

目良誠二郎という人間力に支え続けられた、かつての3年間でした。

その一つ一つをここに列挙していこうと思いつつも、真っ先に胸に去来するのが当時の目良先生の山羊髭だったりするのです。ループタイだったりするのです。穏やかな表情であり、穏やかな声であるのです。それらの記憶は今もそのままなのでしょうか?

きっと、何も変わらぬ景色がそこにあり、きっと、変わらぬ信念が貫かれてきた事だと思います。

目良先生の喜怒哀楽は変わらぬままでしょうか?喜ばしい時には声が震えるのです。怒りを伝える時には、決して激昂せず怒鳴らず、しかし声が静かに震えるのです。身体も僅かに震えるのです。怒りと哀しみが同義のように哀しく震えるのです。楽しい時には、喜ばしい時と同じく声が震え、そしていつも垂れ気味な眉とまなじりがより垂れるのです。いつも細い目がさらに細くなり、一本線を描くのです。

その感情表現と共に伝えてくれた目良先生の思いは今尚私の思考の礎として強く根付きます。

言葉にすると陳腐なようで、それでも大事な事です。

何かに夢中になれる事。人が人と向き合うこと。思いやり。優しさ。グローバルな視点。そして現在スタンダードな「グローバルな視点」とされているものの陰に隠されている事実。そして、それらを見つめた上でもう一度自分が今日常生活を送る世界に還元される視野。

今、高校生の皆様はその全てに気付かれていらっしゃるでしょうか? 気付かれている方は幸せだと思います。やがて20代となってから気付く方も幸せだと思います。30代、それでも幸せです。40代、50代。やはり、幸せだと思います。これからいくつになろうと気付ければ幸せだと思います。

目良誠二郎は幸せの種を私達に、皆さんに穏やかにしかし情熱をもって植えてくれました。その発芽も、その芽をどう育てるのかも、その個人に任された種を。

その芽がどのような幹を形成して、どのような花を咲かせ、どのような実をなすのか私自身まだ分かりません。

しかし、諦めることなく種を植える作業を続けてくれた目良誠二郎という教師に、人間に私は深い感謝を捧げます。本当にありがとうございました。

私は胸を張ります。皆さんと同様に。

私は随分とダメな生徒でした。それでも、いやだからこそ、はにかみながらも得意気に言いたいのです。「目良誠二郎の不肖の生徒です」と。

本当にありがとうございました。本当に本当にありがとうございました。

髭彦閑話16 「最終講義」
髭彦閑話15 小田実と加藤周一を偲んで
著書・論文など(目良誠二郎)
「社会科・高校1年共催 目良教諭最終講義」(『海城プレス』2009年04月03日)


コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする