雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

著書・論文・エッセーなど(目良誠二郎) ② 1980年~1999年

2010-11-01 12:32:05 | 著書・論文・エッセーなど(目良誠二郎)

共編著:教科書『倫理(新訂版)』(一橋出版、1998年)
共編著:比較史・比較歴史教育研究会編『黒船と日清戦争―歴史認識をめぐる対話―』(未来社、1996年)
共編著:比較史・比較歴史教育研究会編『アジアの「近代」と歴史教育〔続・自国史と世界史〕』(未来社、1991年)

                          *

「人類史的展望に立った平和教育・社会科教育の模索」(『わだつみのこえ』110号、1999年8月)
「東アジアの平和をめざす社会科歴史教育」(山梨県歴史教育者協議会『山梨の歴史教育』第7号、1999年7月)
「書評 韓国国定小学校社会科教科書『わかりやすい韓国の歴史』(明石書店) 深まる民族主義史観と教育方法の多様化の矛盾」(『日韓教育フォーラム』第2号、1999年7月)
「座談会 あらためて平和教育の課題を考える―目良誠二郎・竹内久顕・糀谷陽子・堀尾輝久」(『季刊・人間と教育』22号、1999年)
「戦後日本の平和教育と歴史認識―被害と加害の重層性」(『第二回日韓平和教育シンポジュウム 東アジアの平和のための日韓平和教育の課題と展望』1999年、所収)
「小さな交流の大きな成果―第6回日韓歴史教師交流会に参加して―」(日韓教育実践研究会編『第6回日韓歴史教師交流会<韓国・晋州市>』1998年、所収)
「開かれたナショナル・アイデンティティの形成と社会科・歴史教育―加害の授業をどう反省するか―(歴史学研究会大会特別部会報告)」(『歴史学研究』1998年10月増刊号)
「書評/君島和彦著『教科書の思想』」(『歴史評論』1998年10月号)
「加害の授業の反省と歴史の選択肢―一五年戦争期の学習とも関わって― 」(東京学芸大学史学会『史海』第45号、1998年6月)
「隣国へのまなざしを育む―高一「総合社会」での紙上討論授業の試み」(『歴史地理教育』1998年6月号)
「伊藤博文」(『週刊金曜日』1998年2月13日号)
「在留保証人を引き受けてきた市民の立場から」(『留学交流』1998年1月号)
「日韓関係史を学ぶ意欲を育てる」(「第5回日韓歴史教師交流会 東京シンポジウム」1997年夏、での報告)」(日韓教育実践研究会編『第5回日韓歴史教師交流会』1998年、所収)
「加害学習と日本近代史の選択肢―帝国主義か植民地化か」(『戦争責任研究』16号、1997年6月)
「加害の歴史の授業の反省から―歴史の転換期と近現代史教育の課題―」(『教育』1997年5月号)
「日本型国民国家の軍隊と戦争」(梅田欽治・佐藤伸雄編『いま学びたい近現代史』教育史料出版会、1997年、所収)
「日清戦争をめぐる歴史の選択肢と歴史学・歴史教育―朝鮮の永世中立化策の現実性と関わって―」(前掲『黒船と日清戦争』未来社、1996年、所収)
「徴兵農民兵士の反乱―竹橋事件」(佐藤和彦・佐々木虔一・坂本昇―編『地図でたどる日本史』東京堂出版、1995年、所収)
「中沢正夫のシリーズ対談④本物のリベラリズムとは―中沢正夫+目良誠二郎」(『季刊・高校のひろば』1993年冬号)
「近代日本の在り方と倫理」(『一橋情報 公民科93』一橋出版、1993年)
「日中歴史教育セミナーに参加して」(『中国研究月報』1992年8月号)
「コラム 茅原華山とエミル・ライヒ―韓国併合批判の忘れられた先駆者―」(歴史教育者協議会編集『知っておきたい韓国・朝鮮』1992年、所収)
「日本近代の重大な欠点の自覚とその克服への意欲・展望を子どもたちとともに―日本の近現代史教育の一課題―(「日韓歴史教育セミナー」1991年7月末、ソウル大学、での報告)」(西川正雄編『自国史を越えた歴史教育』三省堂、1992年、所収)
「権力者の歴史抹殺と自らの歴史健忘症とのたたかい方のことなど」(『月刊・アジアの友』1991年10月号)
「第二回東アジア歴史教育シンポジウムはいかに準備され、そして行なわれたか」(前掲『アジアの「近代」と歴史教育〔続・自国史と世界史〕』未来社、1991年、所収)
「福沢諭吉の視点から柳宗悦の視点へ―日朝関係史のバクロ型授業を乗り越える試み」(『歴史地理教育』1990年12月号。後に、歴史教育者協議会編『歴史地理教育実践選集』第27巻、新興出版社、1992年・石山久男/渡辺賢二編『展望日本歴史二 歴史教育の現在』東京堂出版、2000年、に収録)
「年貢半減令撤回に関する岩倉父子の書翰をめぐって」(『海城中学・高等学校研究集録』第14集、1990年3月)
「竹橋事件研究の現在」(『歴史評論』1990年2月号)
「なにが問題なのか―戦後社会科(歴史)教育の正しい総括と結びつけた論争を(歴史学と歴史教育のあいだ-18-)」(『歴史学研究』1990年2月号。後に、歴史学研究会編『歴史学と歴史教育のあいだ』三省堂、1993年、に収録)
「近衛兵の反乱はどのような意味をもっていたのか」(歴史教育者協議会編『日本歴史と天皇』1989年、所収)
「アジアからの留学生とフジ三太郎の善意」(月刊『東京』1988年7月号)
「竹橋事件に関する官側史料の若干の整理(四)」(『海城中学・高等学校研究集録』第12集、1988年3月
「竹橋事件に関する官側史料の若干の整理(続々)」(『海城中学・高等学校研究集録』第11集、1987年3月
「新たな段階を迎えた竹橋事件研究―兵士の本籍大量発見を機に全国で掘り起こし運動を―」(『歴史地理教育』1987年9月号)
「本籍の判明した竹橋兵士たち」(『彷書月刊』1987年9月号)
「新たに本籍が判明した竹橋兵士④」(竹橋事件の真相を明らかにする会『竹橋通信』第40号、1987年5月)
「新たな一大掘り起こし運動を」(『竹橋通信』第40号、1987年5月)
「新たに本籍が判明した竹橋兵士③」(『竹橋通信』第39号、1987年2月)
「新たに本籍が判明した竹橋兵士②」(『竹橋通信』第38号、1986年12月)
「新たに本籍が判明した竹橋兵士①」(『竹橋通信』第37号、1986年9月)
「竹橋事件に関する官側史料の若干の整理(続)」(『海城中学・高等学校研究集録』第10集、1985年11月
「“竹橋暴動ノ余毒断然治療セズンバ能ハザルナリ”―官側史料で広がる竹橋事件像」(『竹橋通信』第33号、1985年9月)
「思案橋事件と竹橋事件の関係に関する新史料」(『竹橋通信』第31号、1985年4月)
「バクロ型の日本近現代史授業の反省」(比較史・比較歴史教育研究会編『共同討議/日本・中国・韓国〔自国史と世界史〕』ほるぷ出版、1985年、所収)
「竹橋事件に関する官側史料の若干の整理 」(『海城中学・高等学校研究集録』第9集、1984年8月)
「蜂起一ヶ月後の再挙の動きを示す新史料等」(『竹橋通信』第28号、1984年6月)
「未公刊史料を軸とした慶応三年十月期政治情況の再検討(上)」(『海城中学・高等学校研究集録』第8集、1983年6月)
「幕末維新政治史研究覚え書(2)慶応3年秋(下)―後藤象二郎・小松帯刀・辻将曹の動向を中心に―」(『海城中学・高等学校研究集録』第7集、1982年3月)
「幕末維新政治史研究覚え書(1)慶応3年秋(上)―後藤象二郎・小松帯刀・辻将曹の動向を中心に―」(『海城中学・高等学校研究集録』第6集、1980年10月)

(2010年11月1日現在)


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著書・論文・エッセーなど(目良誠二郎) ① 2000年~2010年

2010-11-01 12:31:01 | 著書・論文・エッセーなど(目良誠二郎)

目良誠二郎・文、石井勉・絵『非暴力で平和をもとめる人たち』 (大月書店、2003年)
共編著:教科書『倫理 現在(いま)を未来(あす)につなげる』(一橋出版、2003年)
共編著:比較史・比較歴史教育研究会編『帝国主義の時代と現在―東アジアの対話』(未来社、2002年)

                             *

「「熱中症」考」(本ブログ「髭彦閑話34」2010年7月)
「サッカーとナショナリズム」②(本ブログ「髭彦閑話30」2010年7月)
「サッカーとナショナリズム」①(本ブログ「髭彦閑話29」2010年7月)
「「君は秀でし背もあれよ」後日談」(本ブログ「髭彦閑話28」2010年6月)
「『坂の上の雲』放送を考える全国ネットワークにリンク・掲載」(本ブログ「髭彦閑話27」2010年6月)
「「君は秀でし背もあれよ」~北一輝・松本健一・渡辺京二~」(本ブログ「髭彦閑話26」2010年6月)
「大名は箱を投げていました」(本ブログ「髭彦閑話25」2010年6月)
「何が現実的なのか」(本ブログ「髭彦閑話24」2010年6月)
「浅い現実主義と深い理想主義」(本ブログ「髭彦閑話23」2010年6月)
「安島太佳由写真展「上原良司と特攻隊」を観て」(本ブログ「髭彦閑話22」2010年5月)
「ポン・ジュノ監督「母なる証明」を観て」(本ブログ「髭彦閑話21」2010年5月)
「光琳・紅葉・咢堂」(本ブログ「髭彦閑話20」2010年1月)
「カルミニョーラ&アバドのモーツァルト・ヴァイオリン協奏曲全集を聴く」(本ブログ「髭彦閑話19」2009年12月)
「一教師として生きて」(海城学園同窓会機関紙『海原』第31号、2009年5月。本ブログ「髭彦閑話18」2009年4月)
「「最終講義」余話」(本ブログ「髭彦閑話17」2009年3月)
「最終講義」(本ブログ「髭彦閑話16」2009年3月)
「社会科総合学習のねらいと意義―「知の巨人」たちの死に、改めて思う―」(『海城中学・高等学校研究集録』第33集「海城社会科 総合的学習の実践的展開―目良誠二郎先生の退職に寄せて―」2009年3月、所収。本ブログ「髭彦閑話15 小田実と加藤周一を偲んで」に掲載)
「小田実と加藤周一を偲んで」(本ブログ「髭彦閑話15」2009年3月)
「ひとあし早い年末のご挨拶」(本ブログ weblog 2008年12月)
「ヒロシマ・ナガサキを歌ふ」(本ブログ「非暴力による平和」2008年8月)
「ノルウェイからただいま!(3)」(本ブログ「髭彦閑話8」2007年9月)
「ノルウェイからただいま!(2)」(本ブログ「髭彦閑話7」2007年9月)
「ノルウェイからただいま!」(本ブログ「髭彦閑話6」2007年9月)
「沈金、益子、小鹿田の皿と壷を買うの記」(本ブログ「髭彦閑話5」2007年7月)
「米西映画に沖縄飲み屋」(本ブログ「髭彦閑話4」2007年7月)
「岩波文庫創刊80周年に思う」(本ブログ「髭彦閑話3」2007年7月)
「角偉三郎はもういない」(本ブログ「髭彦閑話2」2007年7月)
「ぼくたちは正気でしょうか」(本ブログ「非暴力による平和」2007年7月)
「うろたえる」(本ブログ「髭彦閑話1」2007年6月)
「濱田千春と石垣りんと」(本ブログ「歌の力」2007年5月)
「アメリカの民と憲法」(本ブログ「非暴力による平和を」2007年5月)
「「戦争違法化」と日本国憲法」(本ブログ「非暴力による平和を」2007年5月)
「この人を見よ―森本喜久男―」(本ブログ「非暴力による平和を」2007年2月)
「在仏の平和活動家・歌人の美帆シボさんからのお便り」(本ブログ「非暴力による平和を」2007年1月)
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「<平和の季節>は終わり…」(本ブログ「非暴力による平和を」2006年10月)
「ダグラス・ラミスと小林節慶応大学教授」(本ブログ「非暴力による平和を」2006年9月)
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「エーレン・ワタダ中尉を支持する全米統一行動が6月27日に」(本ブログ「非暴力による平和を」2006年6月)
「Ehren Watada―イラク戦争への加担を拒んだ最初の米軍将校」(本ブログ「非暴力による平和を」2006年6月)
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「非暴力による平和の思想・教育・実践の深化のために―吉田満と非暴力の評価をめぐって」(『季刊・人間と教育』38号、2003年)
「オルタナティブと「和解」の歴史学・歴史教育を求めて―朝鮮の植民地支配を教えることから学び、考えたこと(朝鮮史研究会大会報告)」(『朝鮮史研究会論文集』第40集、2002年)
「二〇世紀初頭アメリカの反帝国主義運動の評価―「帝国史観」と「民主主義史観」の分裂を克服するために―」(前掲『帝国主義の時代と現在』未来社、2002年、所収)
「(対談)教育と効率―中沢正夫+丸山重威+藤原真由美+松尾高志+目良誠二郎」(中沢正夫・木村晋介・丸山重威編著『非効率主義宣言』萌文社、2002年、所収)
「図書紹介 尾花清・洪淳明共著『共に生きる平民を育てるプルム学校―学校共同体と地域づくりへの挑戦―』<キリスト教図書出版社、2001年>」(『日韓教育フォーラム』第12号、2002年1月)
「二人に一人が『殺意』を抱く中高校生の現実と平和教育の課題」(『民主教育研究所年報』2号、2001年)
「思えばずいぶん遠くへ来たもんだ」(『近現代史教育研究会論集』第1号、2001年9月)
「ナショナリズムの『癒し』と『覚醒』の歴史教育に抗して」(『日本の科学者』404号、2001年9月)
「日韓のナショナリズム克服への『狗肉』の策」(『教育』2000年12月号。本ブログ「髭彦閑話」313233に掲載)
「戦後社会科・平和教育に賭ける一つの試み」(『季刊・人間と教育』25号、2000年3月)

(2010年11月1日現在)


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「著書・論文など(目良誠二郎)」を増補・改定しました

2010-10-31 17:38:29 | 著書・論文・エッセーなど(目良誠二郎)

「著書・論文など(目良誠二郎)」を「著書・論文・エッセーなど(目良誠二郎)」に改称し、増補・改定しました。
まだ途中ですが、ご興味のある方はご参照ください。


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