雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

050627 日々歌う

2005-06-27 22:54:49 | 日々歌ふ
『かさもっておむかえ』想ふ娘(こ)と読みし遥かな絵本長新太逝く

長新太林明子と五味太郎ありてぞ父娘(おやこ)絆深むる

『はじめてのおつかい』読めばわが娘こそかくありなむと引き込まれたり
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050627 題詠マラソンから

2005-06-27 19:19:04 | 題詠マラソン2005から
【17700】028:母 鋤簾(じょれん)引くしじみ漁夫の影を抱き母なる川のながれやまざり(青山みのり)

 鋤簾(じょれん)というのは、しじみ漁に使う「大きなツメのついた鉄カゴ」のこと。
 しじみ漁の方法には、船の上から20~30kgの鋤簾をおろし、海底の砂をかいてアサリを採る大巻き漁と、漁師が水の中に立ち、10~20kgの鋤簾を腰を使って後ろに引っ張る腰巻き漁の、2種類があるようです。
 (http://www.daichi.or.jp/pc/back/04135/nandemo/04135n.html)
 この歌は、おそらく早朝の河口で日々行われる腰巻き漁の情景を詠ったものでしょう。
 腰まで水に漬かって重い鋤簾を引く漁師の影が、朝陽を受けて川の流れに揺らめき映っています。
 「母なる川」という表現は、大河というより、豊かなしじみ漁を可能にするいのちの母を含意してのものだと思います。
 そして、「漁夫」でなく「漁師」だったらと思うと、よくぞ「漁夫」の表現をとうれしくなります。
 「師」と「母」では、「夫」と「母」から生まれる言葉同士の豊かな共鳴はなかったでしょう。
   鋤簾(じょれん)引くしじみ漁師の影を抱き母なる川のながれやまざり
 鋤簾という耳慣れない硬い言葉で始まり、きびしい労働の場を描きながら、全体として自然とともに生きる人間の営みがしみじみ(しじみではありません)と詠われて、心に滲みわたります。
 このような情景のいつまでも続くことを願う作者の想いが、見事に伝わってきました。
コメント (4)
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