ナオスミンの雑記

2009年9月14日より、四年半使用し続けた、グリチルリチン酸配合のATPリピットゲルを中止。リバウンド体験中。

高校の時

2018年12月04日 10時41分28秒 | 言いたいこと
あれは、高校一年の入学したばかりの頃だった。
私の高校は女子校だった。
みんな、同じ中学からの知り合いは誰もいないという、不安な状態だったと思う。
私は後ろの女の子Mさんと、その後ろの女の子Tさんと、弁当を食べるようになった。
しばらくの間は、3人で授業の移動の時も行動していた。
しかし、すぐに私は、隣の女の子Dさんと気が合い、仲良くするようになった。
弁当は相変わらず、MさんとTさんと食べていたが、休み時間や教室の移動はDさんとするようになっていった。
すると、段々とMさんの様子がおかしくなっていった。
そのうち、Mさんは、学校に来なくなってしまった。
しばらくして、私は担任に呼ばれた。
Mさんの登校拒否の原因は、私だと言うのだ。
私はまったくMさんを仲間外れにしたという意識はなく、びっくりしてしまった。
担任から、Mさんと仲良くするように言われ、そうすると約束したが、やはり隣のDさんと気が合うのは、どうしようもなかった。
Mさんも登校しだしたが、私はMさんとTさんと3人グループだけで仲良くすることはできなかった。
Mさんは、席替えがあるまでずっと、私とDさんの行動を恨めしく思い続けたのだと思う。
二学期になり、席替えがあったが、私は相変わらずDさんと仲良く、授業中にマンガを読んだり、悪いこともしていた。
二学期以降、Mさんがどうしていたかは思い出せない。
それは.あの頃の私は、Mさんにまったく興味がなかったからだと思う。

しかし、今思えば、Mさんの苦しみもよくわかるのだ。
あの頃の私は、友達もいっぱいいて、いい気になっていた。
中学の時も仲のいい子がたくさんいたし、そういうのが、これからもずっと続くのだと思っていたのだ。
やがて、二年生となり、クラス替えになった。
今度は私が友達がいない状態となった。
前に座った子と仲良くもなったが、他にはいない。
二年生の秋には修学旅行があり、各自で仲の良い子達が旅行の班を作ったが、私を入れてくれる班はなく、前の席に座っていた子が哀れんで自分の班に入れてくれた。
しかし、その子以外とはまったく仲良くなく、修学旅行もまったく楽しくなかった。
それに、Mさんが、私のことをMさんのクラスの人達に話したようで、私はMさんのクラスに行くとみんなから睨まれるようになった。
それでMさんは気が晴れたのだろうか?
そして、3年となり、またクラス替えがあった。
私は、後ろの女の子と前の席の女の子と仲良くなり、一緒に弁当を食べるようになった。
3年生の時は、まあまあの学校生活だったと思う。

自分には悪気がなくても、人を傷つけてしまうことがある。
気の合う人と仲良くするのは楽しいが、その陰で苦しんでいる人もいるのだ。
そういう思いやりをもってMさんと接していたら、と悔やまれる。
もし今なら、Dさんとも仲良くし、Mさんとも仲良くできる。
それがわからなかったというのが、若いゆえの足りなさだったのだろう。