インドのカースト制、日本の江戸時代の士農工商。
身分制は、私も反対である。
身分がどうであれ、努力が報われる、優秀な人が世に出られる社会が望ましい。
しかし、現実には、身分は大きな影響を与える。
例えば、良い家系に生まれた人と同じくらい優秀であっても、底辺に住む人は、良い家柄の人より、就職や結婚でも損をする。
生まれながらに位の高い家に生まれたものは、親や親せきのおかげで、さして努力や苦労をせずに高い地位につけるのである。
それに比べて、底辺に住む人が高い地位に就くのは、ほんの一握りであり、並大抵の努力ではできない。
日本でも、就職に際しては、親や親せきのコネが大きくものをいうのではないか。
それに、どんなに努力してもかなわないのは、持って生まれた体や家族だ。
背丈や顔のつくり、健康の度合いなど、これは努力だけではどうにもならないこともある。
(虚弱に生まれたとしても、食事や運動に気をつければある程度は良い状態を保てるかもしれないが。)
自分がなぜ、このような体で、この親の元で生まれたのか。
なぜ、このような家庭環境なのか。
なぜ、このような知能を生まれ持ってきたのか。
そして、なぜ、今回日本に生まれたのか。
なぜ、インドの一番下の、あるいは一番上のカーストに生まれなかったのか。
人間は自由で平等と建前では言うけれど、それは自分の持って生まれた環境の枠内での話。
人間は、不平等に生まれてくる。
それは、なぜか。
カルマの法則、前世の行いの結果が、今の自分の姿なのだという。
そして、未来の自分の姿は、今生きている自分の行いの結果が反映されるのだという。
だったら、今のこの不平等な環境の枠内で、今を精いっぱい生きるしかない。