今回もまた、サイババの動画を見ながら、描いてみました。

以前のブログに、サイババの写真を撮ったら妙なものが写っていたと書きましたが、それを絵に書いてみました。
昨日、旦那が出かけてる間に、書いたのがこれです。
これは、サイババの写真をアイフォンのお気に入りに入れたら、サイババの手の真ん中にハートがあって、なかなかいいなと思った一枚です。
そして、これは、8月31日のブログに書いた、「サイババの写真立て」という記事の、写真に写った何かです。
これは微生物?宝石?何でしょう?
私はもう何年もサイババの写真立てをカバンのポケットに入れて持ち歩いている。
この写真立ては、一時期、押入れのカバンに入れて、数年間置きっ放しになったこともあるが、また取り出して持ち歩いているものだ。
私はこれ以外にサイババグッズは持っていない。
ところで、この間、何気なしにこの写真立ての写真をスマホで撮った。
8月22日のことだ。
拡大して見てみると、サイババの左の口の下が白くなっている。
なんだ、また傷つけてしまったのかと、その時はがっかりした。
それから、昨日、またそれを写真を撮ってみた。
今度は白くなっていない。
ん?なぜだ?
そして、今日、22日と同じ条件にして、もう一度写真を撮ってみた。
やっぱり白いものは写っていない。
はて?
と思い、白いものが写っている写真をまじまじと眺めた。
これはなんだ?
さらに、写真を拡大して虫眼鏡で見てみた。
すると、サイババの、左の鼻の穴あたりから二本の白い糸?煙?の用のものが写っていて、それが白いものに繋がっているように見える。
さらに、白いものは光っているようにも見える。
よーく見ると、白いものは、上の方に小さな玉が3つ数珠のように縦に並んで付いていて、その下にひし形のようなものがあり、白く光っているように見える。
なんだこれは?宝石?
だって、この写真は、わずか横2センチ、縦3センチなのだ。
という事は、白いものだって1ミリくらいだし、さらに白い糸のようなものはミクロン単位だろう。
スマホで撮って引き伸ばして見て、さらに虫眼鏡で見て初めてわかったが、サイババの右手にはほくろがある。
親指の付け根の左側に小さなほくろが見えた。
この写真立てとの出会いは、26年くらい前になる。
はっきりした年は忘れてしまった。
1993年あたりのお盆か正月だったと思う。
私はまだ幼い子供達を連れて、近くのスーパーのゲームコーナーで遊んでいた。
親戚の幼い子供達も一緒だった。
子供達は大はしゃぎで遊んでいた。
私は主人と一緒にクレーンゲームの所にいた。
そのクレーンゲームは、ガチャポンを掴むゲームで、ガチャポンの中に色々な物が入っていた。
見ると、取れそうな場所にガチャポンがあった。
主人は、一回でこのガチャポンを掴む事が出来た。
開けて見たら、このサイババの写真立てだったのである。
この写真立ては、周りが綺麗に装飾されてあり、小さな玉が30個付いていたが、今では左上の玉が3つ取れて無くなってしまった。
23日の明け方に、夢を見た。
ほんの少しだが、サイババがダルシャンをしているような場面も見た。
でも、私には目もくれなかった。
その後、若い頃の女友達の夢を見た。
その人とは、もう音信不通だ。
そして、その女性から私は当時、彼氏を奪われたのだった。
久しぶりに会って、私はその女性と親しげに話しをしていた。
何の恨みも全くなかった。
というような夢でした。
今日は、昔の友達に久しぶり会うために、10時頃家を出た。
車で1時間のドライブだ。
と言っても、途中2回も休憩入れるので、1時間半以上かかるのだが。
渋滞していれば、もっとかかる。
それで、スマホに入れておいた音楽を聴きながら、運転していた。
しばらくすると、道路に何が落ちていると思った。
布か、と思って近づくと、猫が車にひかれて道路の真ん中に横たわっていた。
なんだか、とても悲しくなった。
音楽はランダム再生にしていたのだが、その時かかっていた曲は、サイババのバジャンだった。
その精妙な音色を聴いていると、なぜだが涙がこみ上げて来た。
ランダム再生にしているにもかかわらず、なぜかその後にかかる曲も、サイババのバジャンだった。
その後、なんと、7曲くらいサイババのバジャンが続いた。
それを聴いているうちに、ますます悲しくなって来て、泣きながら運転していた。
この世の哀れを思って…
スマホに保存していた曲は、全部で196曲もあり、その中でサイババのバジャンは28曲だ。
しかもサイババのバジャンは、続けて28曲固まって保存してある。
ランダム再生で、こんなにたくさんのサイババのバジャンが流れるなんて、とても不思議な事だった。
こんな事は今まで一度もなかった。
それに、その時、わたしはとてもサイババのバジャンが聴きたいと思っていたのだ。
最近の私の低俗な生活に、自分でも呆れ、反省しながらも、こんな暮らしをやめられないでいる自分を、神様は、どう思っている事だろう。
もっともっと知らなければならないことは山ほどあるというのに。
先ほど、久しぶりにバッグの中から小さなサイババの写真立てを出して、虫眼鏡で眺めていた。
すると、目の錯覚か、サイババの左目から涙が流れているように見えて、えっ?と思って、もう一度よく見てみたが、今度は涙は流れていなかった。
しばらくの間、虫眼鏡でサイババを眺めていたら、ふっと一瞬、白檀の微かな香りがして、すぐに無くなった。
白檀の香りは、二回ほどして、あとはしなくなった。
もう一度嗅ぎたいと思ったが、そう思えば思うほど、匂いはしなくなった。
これらすべては、私の勘違いからくるものなのか、どうなのか…
今の科学では、こういうのは勘違いで片付けられるのだろうな。
一昨日の13日、実家に行くとき、1人で車を運転していたのですが、途中、何か音楽でも聞こうかと思い、スマホに保存していたサイババのバジャンを再生しました。
私のスマホには、サイババのバジャンが結構たくさん入っていて、何か作業をする時や、その場の気を清らかにしたい時に、何度も聞いていました。
でも、一昨日車の中で再生したバジャンは、一度も聞いたことのないものに感じました。
あれ、こんな音楽あったっけ?
音楽というより、バジャンというより、なにかマントラのように感じました。
そして、サイババかみんなの前で
両腕を上げて右や左を向いてました。
もう一度、聞こうかと思って、同じものを再生しようとしましたが、この音楽は一度きりで、あとは聞くことができませんでした。
実家に着いて、もう一度あの音楽を探そうと、保存してあったすべての曲を再生してみましたが、どこにもあの音楽は入っていませんでした。
またしても、サイババに遊ばれたかと、そんな不思議な気持ちになりました。
でも、これは、私の勘違いだったのか、どうもさだかではありません。
ただ、あの時に聞いた不思議なマントラと音は、とても精妙な響きで、もう一度聞きたくてたまりません。
9日は仕事だった。
帰ってきてトイレに入ったのは夕方の6時頃だった。
トイレに入ったら、とても良い白檀の香りがした。
今まで、こんなにはっきりとした白檀の香りはした事はなかった。
白檀の香りは一瞬で後は消えてしまった。
トイレには、白檀の香りのする小さな石鹸を置いているが、ほとんど匂わないのだ。
今までこんなに良い匂いを嗅いだことは一度もなかったので、とても不思議な気持ちになった。
トイレの神様が、遊びに来ていたのかもしれない、とそんな風に思った。
その神様は、サイババかもしれない、とも思った。