沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩531 考察 22

2014年05月30日 22時00分59秒 | 政治論

 名護漁協(古波蔵廣組合長)は沖縄防衛局に、海底ボ-リング調査のための岩礁破砕同意書を提出している(他に海底21地点の掘削と作業区域明示用ブイの設置にも同意している)。事業者防衛局と県が、今後協議していく。

 名護漁協は既に増額(当初提示24億円から5割増しの36億円で合意但し増額の根拠については説明がない)された漁業補償費を受け取っているし、漁協の辺野古移設に関する反対意見(過年非公開での会合ではその結果が一方的でその内容に疑問符を残した)は皆無に等しいらしい。

 過疎地、という特異性はこのように、国乃至相応の事業主体が補償費さえ準備すれば「なりふり構わず」金に飛びつき後先考えない。拝金主義、現ナマ主義は権力側の考え方の中枢であり、「札びらさえきれば大概なびく」と踏むのが常套だ。54か所の原発立地過疎地もまたそうであったし、今後もその流れは主流であることに変わりはない。

 かつて沖縄海洋博が行われたとき、これの集客需要を当て込んだ多数の新規事業者がその後倒産に追い込まれた事例は夙に有名であり、勿論また防衛局関連事業の地元還元がおよそ有名無実な内容に終始してきたことも、よく知られてはいる。にも拘らず地元の都市化、あるいは過疎脱却の誘惑は権力者が弱みに付け込む類のナイーブな一面を備えており、その真の発展を約束するような根拠も薄弱な説得工作にくずおれて、人はむしろ不用意に承認の判をつく。そこにあるのは心理学にすぎず、その行為の功罪を見極める悟性の働きは不問に付される。地元は靡きやすい。何故、世界の卓越した有識者の声明が正しく読み込まれる必要があるか。(つづく)



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