沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩531 考察 21

2014年05月30日 09時28分38秒 | 政治論

 好悪というのはどうしようもなくあるので、例えば筆者などは安倍晋三という存在が嫌いであり、どうしてそうなのかははっきりわからず、と同時にどこまでもこき下ろしたくなり、できれば速やかに埒外に去ってほしいと冀うのだ。当然原発事故に責任を負わずに逃げ切ろう、再稼働しよう、原発セールスに勤しもうなんて自民党連中なんぞは大嫌いなのであり、何事にもアメリカさまさまで、自国民である琉球沖縄の民のことなどなんとも思わないし、地位協定やら思いやり予算やら明らかに屈辱外交を展開して止まぬ、その摩訶不思議な国民性?にはあきれてものも言えない。

 自分の国のうるわしい海や大地、大自然を汚す以外功のない米軍を、そこの住民や環境団体、県民、に嫌われ否定されている場所に好んで誘致しようというこの国の為政者は狂っているのだが、彼らの圧政、強権主義が通用するような現代世界はどこにもない。従って、彼らのしていることは明らかな税金の垂れ流しにほかならず、これに物言いしない人民に日本国憲法は相応しくないものとなる。

 琉球沖縄は米軍と自衛隊によって、人の住む町でなく、戦場並にズタズタにされてきた土地としてあり、さながら住民は牛馬のごとくその土地を取り上げられ、追い立てられて、隅っこのほうに辛うじて息をしている格好だ。本土との差別である。これは偶然なんかじゃなく、明白に彼らの中にある差別的感性が然らしめたものである。アジア、中国、朝鮮に対するような、おぞましい優越感、だ。

 湧き上がる嘔吐感は、自家中毒の気もないわけでない。自己嫌悪ではないが、日本人であることのどうしようもない不愉快さは、此処に来て一層募る。(つづく)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。