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ブログを使用しての種々の論考

詩407 日本の生き死に 5 日本の現実主義

2013年06月02日 20時14分27秒 | 政治論

 高坂正堯の「宰相吉田茂」や「現実主義者の平和論」が、所謂戦後日本の敗戦国としての現実への掛け値なしの視点を据え置こうとした試みであることは当然了解できることではある。

 彼はハーバード帰りの学者であり、恐らく戦後日本の現実路線を理論的に保証した無類のオピニオンリーダーだったことも明らかだが、その理論的中枢は「現実主義」における相対主義であり、かつそれがこの時代展望へアクチュアルな可能性を投機した革新性において本質的とみるならば、必ずしも保守陣営のブレインとなって政策提言助言者の地位に甘んじる必要はなかったとも言える。

 眼高手低も極まれば固陋に堕する。だが多かれ少なかれ人はこの修羅の現実を掻い潜って生きていくのだ。敗戦後焼け跡から出発した日本丸は国際社会の中で、かつて松岡全権が国際連盟議場を5尺の小躯で脱退したあの威勢とは裏腹に平身低頭、よくよく陳謝し隠忍自重して事に処して行かざるを得ないはめになった。

 しかし国家がそうすることと個人としての国民が如何に生きるかは真っ向から別物になってしまう、というのが真相ではある。そもそも戦後世代の我々にとって「敗戦」と「戦争責任」、あるいは負い続ける「贖罪」とはどのように解釈すれば「国家」とともに「国民」の何か、になるというのだろうか。

 戦後世代の我々の中にはあの戦争の光も影も実はほとんどないのだが、バーチャルリアルには意思的にこれを再現することは限りなく可能な時代を迎えている。我々にある「現実」は可能な限りそれに近いものとしてある、言ってみれば追体験可能な当時の「現実」そのものを何度も繰り返して認知し、これを認識し経験化することになる。

 ではいったい現代の戦争無知世代は、かの時代のいかなる人群、身分境遇を共有するのがよいのだろうか。あるいは全くの部外者として観照するのが正解なのか。歴史学の範囲において、史実として論う行為には特定の条件が付随する。つまり学問なのか否かだ(そこに現実と仮想、乃至仮定という分岐がつきまとい、その相克から逃れようもない)。

 そこに政治や外交が絡んでくると途端に事実関係の正確な検証は不可能な話になる。従って、我々がすることは史実の実証ではなく、時代の要請に沿った自己自身の身の振り方に過ぎないということになる。これを哲学的には倫理観と名づける。同様に「現実主義」の限界はそれが主義を出ないものである以上、そこに政治外交が絡めば完全な「相対主義」以外ありえないことになり、すべては仮定の話になってしまう。(つづく)



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